第45話 仕返し




 大浴場でもしお義母さんに会ってしまった日にはどうしようかとドキドキしていたが、タイミングがずれていたのかそれはなかった。よかった、裸の付き合いだなんてちょっと気まずい。


 まったり温泉に浸かり日頃の疲れをとった頃、湯気が出そうなくらいホカホカした体を弾ませながら部屋へと戻った。大満足の素敵なお風呂だった、明日の朝も入らなきゃ。それに浴衣ってなぜかテンション上がるよなあ。


 ルンルンであの広い部屋へ戻った時、言っていた通り巧の方が早かったらしく鍵は開いていた。私は何も考えずに部屋への襖を開ける。


「ねーすっごくいいお風呂……」


 言いかけた言葉が止まる。窓際にある椅子に腰掛けていた巧が振り返ってこちらを見て目が合った。


 紺色の浴衣に身を包んだ巧が、想像以上に似合っていて停止してしまったのだ。


 無駄に身長が高くスタイルがいい体に、黒髪と整った顔立ちは和装が非常によく似合っていた。正直どっかの雑誌に載っていてもおかしくないんじゃないかと思った。


……ひぇっ、やばい、巧がカッコいい!


 そう思った自分に衝撃を受けた。私は自分の付き合ってる人(夫)をカッコいい〜だなんて思うイタイ女だったのか! いや、付き合ってるんだからそれくらい思ってもいいのか? これが普通なの? そりゃ巧は元々外見は整っていた。でも日常生活で、改めてかっこいいなんて思ったこと一度もなかったのに。


 非常に、戸惑っている。心がむず痒い。


「杏奈? どうした」


「あ、いえ、なん、いやあ……」


「本当風呂長かったな。俺とっくに出てきてた」


「そ、のようだね」


 とりあえず彼から顔を背けて部屋に入り襖を閉めた。しずしずと敷いてある座布団の上に正座し小さくなる。


 今更だけど私なかなかすごい人と結婚してるんだな。ビジュアルは文句の付けようがない。しかも藤ヶ谷副社長、だなんて。


「杏奈?」


「あ、お風呂すんごいよかったねーあはははは」


「なんで棒読み」


「ちょっとのぼせちゃって。あは」


「……ああ。俺の浴衣そんなに新鮮だった?」


 意地悪そうな声が聞こえて顔を上げる。見ると、巧は勝ち誇ったように口角を上げてこちらを見ていた。自信に満ち溢れているその顔をみて思い出す。


 そうだった。ビジュアルもステータスも文句なしのこの男の欠点は性格が歪んでるところだった。


 巧が立ち上がり私のところに歩み寄る。しゃがみ込み、私の顔を覗き込む。随分と嬉しそうだ。


「浴衣好きだった?」


「いえどちらかと言えば異国の王族の方が」


「は?」


「あ、いや! えーと、まあ、似合ってると思うよ」


 なんだか恥ずかしいがそこは素直に告げる。でも彼にその返事は物足りなかったらしい。ずいっと私に顔を寄せて不満げに言う。


「まあ似合ってるってなんだよ」


「え、似合ってるって褒めてるじゃん」


「見惚れるほどカッコよかったって言えばいいのに」


 この男自分でこんな台詞言ってて恥ずかしくないのか? 呆れてその顔を見上げてみると、巧が子供みたいに私を見ているのに気がついた。


 楽しそうに期待している顔で、私を見ている。


 その顔が吹き出してしまいそうなくらい面白くて可愛く見えてしまって、私はつい笑いながら言った。


「……あは、うん、そうだね」


「え?」


「見惚れてた。新鮮で、カッコよくて。すごく似合ってるよ、浴衣」


 私がそう言い終わった瞬間、あれだけ期待している顔をしていたくせにこの男は面食らったように目を見開き、そしてすぐに顔を赤くさせた。


 その光景がまたしても面白くて笑ってしまった。普段すました顔して自信家のくせに、照れたりするとすぐ赤面するのを私は知っているのだ。


 なによ、もう。こう言わせようとしてたのはそっちじゃない。


 笑われていることが不愉快だったのか、巧は気まずそうに私から視線を逸らして立ち上がろうとする。その袖を慌てて引っ張った。


「あ、ちょっと」


「何」


「私は? 私の浴衣、可愛くて死にそう? のぼせそう?」


 からかいながらそう尋ねてみた。赤くなって照れてるその顔をもっと見てたいと思ってしまったのと、本当に素直に女として感想が聞きたかったせいだ。


 私にそう聞かれた巧は再びこちらを見て、私を上から下までじっと品定めするようにじっと見た。その行動に戸惑う。


 あれ。なんか思ってた反応と違うんですけど。これ、『身長とサイズが合ってない』とか文句が出てきそうじゃん。


 しばらく私を観察した巧は、うんと一つ頷いた。そしてぽかんとしてる私に瞬時に顔を寄せ、小声で言った。




「可愛いすぎて我慢できなくなりそう」


 


 ぎょっとして巧の顔を見た瞬間、彼の唇が私の唇を覆った。今回はチキン南蛮の味はしなかった。


 今度は私が真っ赤になる番だった。全身を固めてカチカチになっていると、巧がすっと離れる。そこにあった巧の顔は勝ち誇ったように片方だけ口角を上げている意地悪な顔だった。


 それを見て、ああ仕返しか、と悟る。


 さっき赤くなった巧を笑った仕返しなんだこいつは。


「さ、一息ついたら飯だな」


 まるで何事もなかったかのように言いながら立ち上がる巧を軽く睨みつけ、性格の悪いこの男をどうしてやろうかと心で恨んだ。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る