第42話 登場
「ここ、この人と昔よく来てたのよ」
「あ、そうだったんですね」
「新婚生活はどーう?」
ニコニコしながらお義母さんが聞いてくる。私もにっこり営業スマイルでこたえた。
「試行錯誤しながらですが、楽しく過ごせています」
「あらよかった! ほら、あの子は夜遅くまで仕事してるし、支えてくれる奥さんができて本当に喜んでるの」
(言えない……料理とかもほとんどせず巧の方が上手いなんて……)
「もう、この人が働かせすぎなのよ。もっと早く帰れるようにしてくださいな」
(言えない……遅く帰ってくるのを待つ良妻なんかじゃなく先に寝てることも多々あるなんて……)
引き攣りそうになる笑顔をなんとか自然に戻し、店員さんが運んでくれたメニューを開いて簡単に注文する。お酒はやめておいた、酔っ払って頭の回転が遅くなっては困る。
隣に座る樹くんが言う。
「巧そんな帰り遅いの?」
「え? ああ……そうだね、平日は結構ね」
「いやあ、息子の方が仕事ができるんだよ。ついつい任せてしまってね」
わははと笑う藤ヶ谷社長は少し顔を赤くしながら日本酒を飲んだ。お義母さんが私と樹くんを交互に見つめて言う。
「それよりあんたたち二人で食事するくらい仲良くなったの? いつのまに!」
「ああ……後で巧さんも仕事が終わったら来る予定なんですけど、終わるかどうか」
「えええ! 巧と樹が一緒に食事!?」
目をまん丸にしてお義母さんが叫んだ。あまりに大きな声だったので驚きでのけぞる。彼女は信じられない、といったように首を振っている。
「杏奈さん、どうもありがとう……!」
「へ」
「この子たちが特別なこともないのに一緒に夕飯をとるだなんて。あなたのおかげだわ、信じれない……」
どんだけ仲悪いんだ、この兄弟。
呆れて隣をみると、樹くんはつまらなそうに目を座らせて背もたれにもたれていた。
「いや俺は杏奈ちゃんと二人のつもりで」
「そういえば杏奈さん、結婚式の話は進んでいるの? 招待したい方々がたくさんいるしお祝いの言葉を多く頂いちゃってて」
それはそれは楽しそうに目を輝かせて言われた。もう引き攣った頬の筋肉がすでに限界だ。
結婚式の話なんてしてるわけない。
どう答えようか迷っている時、お義父さんがたしなめた。
「ほら。杏奈さんのおばあさまが亡くなったばかりだろう」
「あ、そうだったわ、ごめんなさい私ったら……」
慌てて口をつぐむ。私は小さく首を振って微笑んだ。
「ええ、まだそこまで巧さんと具体的には話ていなくて……祖母の喪中が明けるまで少し期間がありますし、それまで時間をかけて練ろうと思います。お待たせして申し訳ありません」
「ううんそんな! しょうがないのよ、ごめんなさいのね私ったら」
お義母さんが眉をひそめ話題が途切れたことにホッとする。その時ちょうど運ばれてきたドリンクを手に取り、軽く全員で乾杯した。
私以外はみんなアルコールだった。樹くんもサワーをごくごくと飲んでいる。顔に似合わずお酒はそこそこ強そうだ。
それでもすぐにお義母さんはまた顔を明るくさせて言った。
「指輪とかはどう!? 見に行ったの?」
「えっ」
「ねえもしかして巧婚約指輪も渡してないんじゃない?杏奈さん付けてないもの、まさかプロポーズに手ぶらだったのあの子!」
「い、いやそれは……」
「一生に一度のプロポーズに手ぶらなんて! だめよねそんなの、今からでも買わせるべきだわ!」
お義母さん、マシンガントークタイプか。
私は心の中で呟いた。
ぱっと見上品な方だし美人でそうは見えなかったけど、口かずの多さはうちの母と変わらない。おしゃべり好き。
キツい。偽装結婚してる私たちにはキツい。
「いいえ、私が婚約指輪はいらないって言ったんです。その分ほら、家具とかに使いたくて。その通り巧さんは素敵なマンションと家具を用意してくれましたし」
「ええー? そうなの? 最近の子は無欲なのね。
あ、新婚旅行はどこに行きたいの!? まだまだ先だけど、海外は早めに予約がいいわよ」
「あ、ははは」
「モルディブとかいいわよ、若いうちにいっておかないと」
「え、ええ素敵ですねあはは」
「早めに仕事も調整しないとね。あの子も杏奈さんも。結婚式と新婚旅行が終わったらまた気分がぐっと上がって結婚したんだって実感が沸くわよ!」
「あはは」
もはや渇いた笑いしか出てこない。ああ、後で巧に設定が増えたって言わなきゃ。婚約指輪は私が欲しがらなかったってエピソード追加。
辛い。この状況は非常に辛い。私一人で誤魔化しきれるだろうか。巧にも来れたら来るように連絡は入れておいたけど、仕事が終わるのいつも遅いからそんなすぐには来れないだろう。なんとか私一人で間を持たせないと……!
涼しい顔をしながら体はぐっしょり汗をかいていると、突然背後から声が聞こえた。
「なんで父さんと母さんまでいるんだ」
はっとして振り返る。私以上に汗だくになっている巧が立っていた。いつもピシッとしているスーツもやや乱れている。
「巧……!」
「まーたいらないやつが来ちゃったよー杏奈ちゃんと二人きりはどこにいったやら」
隣の樹くんが顔を歪めて言った。反対に、義両親は嬉しそうに笑う。家族みんなで食事をするということが貴重なんだろうと思った。
「巧! お前よくこんな早く来れたな」
「杏奈から連絡もらって……まあ、残った分の仕事は明日朝行ってやろうと思ってる。というか父さん上がるの早すぎだ」
「わはは、すまんなあ。ほら座れ座れ。明日朝私も仕事に付き合うから」
巧が私の隣に腰掛ける。額にかいた汗がまぶしい。もしやまだ樹くんのことを心配していてこんなに急いでくれたんだろうか。
どこか嬉しさを噛み締めながら巧にメニューを手渡す。ソフトドリンクを注文し、彼はようやく一息ついた。
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