第41話 予想外の再会




「杏奈ちゃーん。おっつかれー」


 そんな声が響いて私は振り返る。


 茶色の髪を揺らして笑う樹くんがこちらに向かって手を振っていた。すれ違う女たちが彼の横顔に見惚れている。


 仕事終わり、さて帰ろうかと会社を出た途端聞き慣れた声で止められた。まさか、また彼は私の仕事終わりを待っていたらしい。呆れてため息をつく。


「樹くん、また待ってたの?」


「だって杏奈ちゃんご飯行こうって誘ってもはぐらはすじゃん」


「だから巧も一緒にって言ってるだけじゃない……」


「だからやだよあんな固いやつとご飯食べるの」


 目を座らせて言う彼を、私は今回はあまり邪険に扱えない。巧が事故をして病院へ運ばれた後連絡をしてくれたのは彼だった。あれがあって巧とは仲直りしたと言っても過言ではないし、多大な恩がある。


 ただ、いまいち樹くんが何をしたいのかよく分からない。多分初めは巧の妻ってことを疑ってちょっかいをかけ出したんだろうけど、もう私たちの偽装結婚を疑ってるわけでもないし。巧の事故の時は連絡くれたりしたし。普通にいい『義弟』となっているのだが。


 相変わらず巧のことは嫌いそうだし。仕事終わりを待ち伏せまでして私と食事して何がしたいんだ。


 ちなみに巧も相変わらず樹くんには『二人きりでは会うな』とうるさい。なんだこの兄弟。


「正直に言うけど、巧に止められてるの」


「だろうね。もう押し倒したりしないっていうのにさー」


「今まで巧の歴代彼女にちょっかい出してきたから心配されるのも無理ないと思うけど……ていうか樹くんはなんでそんなに私と食事に行きたがってるの? 他に相手いくらでもいるでしょう」


「杏奈ちゃんみたいな変わった子なかなかいないって」


「変わった……」


「どうやら本当に二人はちゃんと結婚してるらしいけど。それでもやっぱりど〜も腑に落ちないのも事実でねー…。ま、それは置いといて。単に一度ゆっくり杏奈ちゃんと話してみたいだけだよ。巧の幼少期の頃とか気にならない?」


 ニコッと笑って言ってくる彼の子犬感はやはり凄い。ううん、前ほどあしらえないなあ……人がたくさんいるようなご飯やさんならいいかなあ。


「分かった、近くにあるご飯屋さんでいい?」


「イエーい!」


「あと、巧も呼ぶ」


「げ!?」


「それでいいね」


 私は携帯を取り出して素早く巧にLINEした。ただ、いつも仕事で夜遅くまで働いてる彼はそんなすぐには来れないだろう、それでも隠れて樹くんと二人は避けたい。


「巧はいらないって!!」


「兄弟でしょ。たまにはご飯くらいいいじゃない」


 私の手から携帯を取り上げようとする樹くんをサラリとかわすと、私はしっかり送信した。これで、よし。


 私は振り返って言う。


「そこにある和食屋さん。美味しいの、行こうか」


 巧をよんだことに口を尖らせて拗ねる樹くんだが、そのまま素直に私の隣をついてくる。結局行くんだ

食事。この子よくわかんないなあ。


 私の隣に並んだ樹くんが言う。


「せっかく杏奈ちゃんと二人かと喜んだ時間返してよ」


「私なんかと食事して何が楽しいの?」


「押し倒してもびくともしないようなところだよ」


「だから道端で誤解を招くようなセリフやめてくれる?」


「誤解を招くも何も事実じゃーん」


 自由奔放。マイペース。一体彼はどう育てられてきたのだろう。計算高い巧とはまるで性格が反対な気がする。


 まず外見からして違うもんなあ。ピアスに茶髪。社会人でよくこの……あれ、そういえば。


 私は隣を振り返って聞いてみる。


「樹くんって仕事は何してるの?」


「わお、ようやく俺に興味湧いてきた? てゆうか聞くの遅すぎじゃない?」


「てゆうか心のどこかであなたが社会人ってこと忘れてた。ニートって言われても納得する」


「ちょっとちょっと!」


 慌てたように樹くんは言う。


「ちゃんと仕事してるよ! まあ簡単に言えばデザイナーかな」


 つい目を丸くして彼の顔をみる。なんていうか、納得しつつも驚きもある。


「凄いんだね! 才能なきゃできない仕事だよ」


「んーまあ向いてるとは言われてきたけどね」


「お父様の会社で働かなかったのはやりたいことがあったからなんだね」


「そういうと聞こえはいいね。単に巧の下でなんか働きたくなかっただけ」


 眉をひそめて彼は言う。またでた、巧の話題になると本当につっけんどんになる。そりゃタイプも違うから気が合わないかもしれないけどさ……。


「あ、ここここ。小さなお店だけど美味しいの」


「へー。いいね」


 すぐ近くにある暖簾を指さした。昔から通っている行きつけのお店だった。中はカウンター席と少しのテーブル席で決して広いとは言えないが、出てくる料理はほっこり感じる暖かなものだ。


 個室などもないし、狭いからこそ周りの人との距離も近い。これなら巧もそう文句をいわないのでは。


 私は引き戸を開け、暖簾をくぐった。


「いらっしゃいませ」


「あ、すみません三人……」


 声を出そうとして止まる。すぐ近くのカウンター席に座る姿に見覚えがあったのだ。私は瞬間的に脳が停止した。


 くるりとこちらを振り返った男女が、驚いたような顔で私たちをみる。


「あれー!? 樹と杏奈さんじゃない!」


 私の背後から樹くんがひょこっと顔を出した。


「あっれ、父さんと母さんじゃん」


 そう、こんな小さな店のカウンター席に座ってお酒を飲んでいたのは義両親だった。結婚する時に会って以降全く会えていないお二人だ。まさか、こんなところで会うなんて! 藤ヶ谷社長もっと高級店にいかないの!?


 私は慌てて頭を下げる。


「ご、ご無沙汰しております!」


「やだ、奇遇ね! 凄い偶然ー!」


 上品で美人のお義母さんはニコニコと笑いながら私たちに言う。どうやらお酒が入っているようだ。隣に座るお義父さんもこちらに手を挙げた。


「お久しぶりだね杏奈さん、よかったら一緒にどうだ」


「は、はい!」


「大将、テーブルに移ってもいいかな」


 なんとも自然な流れで義実家との食事へと変わってしまった。一気に緊張感が増す。隣の樹くんもやや不服そうだ。


 それでもさっさと義両親はテーブル席に移ってしまった。私も仕方なしにその向かいに座り込む。


 ああ、思えば引っ越してから全く連絡も取ってないし会ってない。嫁としてダメダメなのでは? まさかこんな形で再会するなんて思わないじゃない!


 ……いや待てそれより。


 ちらりと正面に座るお二人を見た。以前お会いした時も優しくて明るいご両親だったけど。この方たちには大きな嘘をついている。


 そう、巧と一年以上付き合って結婚しただなんて。本当はつい先日付き合い出したばかりなんです! これはいけない、気をつけなければボロが出そうだ。



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