第37話 助言

 手を繋いで? 今日のあれは手を繋いだうちに入るのか? いやいやあれは繋いだじゃなくて手すりの代わりだ、ノーカウントだ。キス? 事故みたいなやつしかしてないよ! 突然のことすぎてどんな感覚だったかも覚えてない。今日キスするタイミングもムードもこれっぽっちもなかった。


 私は頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。


 果たして今日のあれはデートと呼べたのかも怪しいと思った。友達と出かけたみたいなものじゃないのか。


「はあー……」


 大きく息を吐いて俯いた。人生で初めてのデート、全然だめじゃん。


「……っていうかさ」


 私より断然デート慣れしてるであろう巧も、あんな感じなのってどうなの? あの男、性格から見るに何か手が早そうなのに、やっぱり私があまりにもノリが悪かったからだろうか。そりゃ昼過ぎに帰るような女じゃなあ。


 ぐるぐると色んな意見が頭を回って結論など出てこない。私はふらふらと立ち上がり、とりあえずリビングへ行こうと思った。家に帰ってきて自室に篭りきりじゃ態度悪く見えるだろう。もうこの頭じゃ何を考えても答えは出なさそうだ。


 力ない足どりで自室を出てリビングへ向かう。ゆっくりとその扉を開けると、先に入っていた巧がソファに座ってスマホをじっと眺めていた。


 その姿を見て再び申し訳なく思う。初めてのデート、ノリの悪い女でごめん。


「巧……」


 声をかけると、彼は私が入ってきたことに気がついてなかったのか驚いたようにこちらを見た。そしてすっと携帯をポケットに仕舞い込んだ。


「ん、何?」


「あ、いや、えーと、靴、改めてありがとう……」


「別に。預けたカードで勝手に買ってもいいんだから」


 淡々と言った彼は私と目を合わせないままテレビの電源をつける。バラエティの再放送でもやっているのか、明るい笑い声が響いた。


 巧に何かを言おうと思ったのだが何を言っていいのかわからなかった。恋愛経験値ゼロでごめん、三次元は予想外だったから、って? 言えるわけない。


 少々気まずくなった私はとりあえず冷蔵庫に向かって飲み物を取り出す。それを持ち、迷いつつも巧の隣に腰掛けた。


 彼と並んでテレビを見るのは初めてなんかじゃない。それなのに、なぜか私は緊張した。


 テレビを意味もなく眺めながらチラリと隣の巧の表情を盗み見る。別にいつもと変わりないように見えるが、どこか不機嫌そうにも感じた。


……どうしよう。呆れさせたかな。


 心の中で大きなため息をついた。


 やっぱりあの後も適当な場所をぶらついて夜になるまで待って、ちょっと夜景とか見にいってムードを作ってキスでもかましたほうがよかったのか。いやでも一緒に住んでるのにわざわざ外でそんなことする必要なくない? 


「杏奈? 何かすごい表情してるけど」


「へっ!!」


「この芸人嫌い?」


「いや、そういうんじゃないんだけどね。うん、大丈夫」


 焦ってそう返事をしたあと、手に持っていたお茶を飲もうとして口に運んだ瞬間、どうやらぼうっとして自分の唇の位置すら把握してなかったらしい。それは私の顎周辺で中身を盛大にこぼした。


「ああっ!」


「うわ、派手にやったな」


 慌てて立ち上がる。巧は素早くティッシュを箱ごと私に投げ、布巾をとりに立ち上がった。私は濡れてしまった洋服を拭くために何枚かティッシュを取りだす。


「はっ! 高級ソファ大丈夫!?」


「濡れたの杏奈だけだ。ほら」


「はあ、ならよかった……」


 もらった布巾も一緒にして必死に水分を吸わせる。何をやってるんだ、ぼうっとしすぎだ。しかもこの服、お気に入りなのになあ。


「お前本当仕事の時と違いすぎ」


「い、いや、今は考え事してて」


「何を」


「え、あー、うん、大したことじゃない」


 お茶でまだよかった、と思う。これがコーヒーやジュースだった日にはもっと面倒なことになっていた。私が必死に服に染み込んだお茶を拭き取っていると、巧がそれをじっと眺めながら言った。


「……杏奈」


「え?」


 呼ばれてぱっと顔を上げた瞬間、思ったより近くにいた巧の顔に驚く。ついその衝撃で後ろにのけぞってしまった。


 巧は何だか困ったような顔をしていた。何かを言いかけては口籠る。


「え、な、なに……?」


「……いや、なんでもない。ごめん。着替えてきたら」


 ふいっと顔を背けて彼は言った。巧が言いかけた言葉の続きが気になったけれど、今の私は無理に聞き出せるだけのパワーがなかった。巧は再びソファに座りつまらなそうにテレビを眺め始める。


 私は無言でそんな巧に背を向けてリビングを後にした。この濡れた服を着替えるためというのは勿論、なんとなくここには気まずくていられないと思ってしまった。





 その後私は自分の部屋に篭り、夜になってようやくリビングへ行った頃は今度は巧がいなかった。どこかへ出かけたらしかった。


 誰もいない広いリビングを見てため息をつく。どうしよう、これなんかちょっとヤバい感じじゃない?


 そう思い悩んだ瞬間、持っていた携帯が音を鳴らした。はっとしてみれば、救世主麻里ちゃんだった。


 なんというタイミング!!


 巧とこうなったことを、麻里ちゃんだけには話していた。私のオタクも契約結婚も知っているのは麻里ちゃんだけなので、必然と相談相手も彼女しかいなくなる。


 私は急いで電話に出ながら自分の部屋に再び戻った。


「麻里ちゃーーーーん!!!」


『うわ、どうしたのすごいテンション!何かあったの?』


「もうだめだよ、私は三次元相手はだめだよー!」


 自室に入り急いで扉を閉じた後嘆く。あいかわらずの派手な部屋が出迎えてくれる。


 電話口で麻里ちゃんが呆れたように言った。


『急にどうしたのよ、せっかく三次元に彼氏……いや旦那? ができたっていうのにさ』


「それがさあ……」


 私は項垂れながら今日の出来事を話した。外出してほんの数時間で帰るのを促してしまったこと。手を繋ぐこともキスもせず十四歳女子に負けてしまったデートだったこと。初めてのデートだというのに気が利いたことも言えず全然盛り上がらなかったこと。


 私は悲しみの極限で話しきったのだが、次に耳に聞こえた麻里ちゃんの声はなんだか嬉しそうな弾みっぷりだった。


『え、やだ、ちょっと、思ってた内容と違う!!』


「……へ? 思ってた内容?」


『いやいやいやいや杏奈……

 いやいやいやいや! あんた! 可愛すぎかよって!』


「おーい麻里ちゃん帰っておいで」


『三次元はだめだっていうからね。てっきり、デートしてみたらオーウェンとまるで違う振る舞いでがっかりした、彼氏なんかいらないっていう報告かと思ってたのよ』


 麻里ちゃんは明るい声でそう言った。それを聞いて確かに、今までの私だったら言いそうなことだなと納得する。全ての言動をオーウェンと比べるってやりそうだもん。


『それが何? 緊張して経験もないからどうしていいか分かんなくて帰りたいみたいなこと言っちゃって呆れさせたかもって、やめてよもう……』


「な。なんか要約の仕方に悪意を感じる」


『どこがよ! そういうことでしょ? もっと可愛く甘えて手でも繋いでキスぐらいしたかったってことでしょう!』


「うわーーーやめろーー!!」


 思い切り叫んで床に転がり込んだ。いやいや! やっぱり悪意のある受け取り方だよ! 麻里ちゃん、言い方が意地悪だ!!


 もだえる私と反して、麻里ちゃんは冷静に続けた。


『杏奈、私は決しておちょくってるわけでもなく嬉しいよ本当に。ようやく中学二年生の女子としての感情が杏奈に芽生えたのね』


「さらりと人の恋愛偏差値中学二年生っていうのやめてくれる」


『恥ずかしいことじゃないって。あのね、解決策は一つしかないよ。

 正直に巧さんに言うことだよ』


 麻里ちゃんは至極真っ当なことを言った。私は冷静になりふうと息をつく。


 わかってるんだよそんなこと。ちゃんと話した方がいいってことぐらい。


 私の恋愛偏差値は中学二年生より下で、経験だってゼロに近い。いい年してびっくりするくらい中身が幼稚なんだってこと。


 巧に言った方がいいんだよなあ……。


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