第33話 祝



祝・高杉(藤ヶ谷)杏奈、二十七にして初の彼氏ができる






「……ってそうじゃない」


 私は冷静にツッコんだ。


 ベッドに横になり布団を被ったまま寝返りを打つ。部屋のカーテンからは朝の光が漏れていた。枕元の携帯を覗くともう八時を過ぎていた。


 大きく伸びをして息を吐く。休日の朝だと言うのに、一時間ほど前から目が覚めていた。それでも中々リビングに起きていく気になれず温かな布団の中でゴロゴロしていたのだ。


 初の彼氏ができる。その相手は結婚相手だ。


……意味わからないわ、文章無茶苦茶か。


 巧と交際を始めましょうとなったのがもう数日前。その後私はホテルに置きっぱなしにしていた荷物をまとめて帰ったり、巧は事故の後処理や仕事だったりと忙しい日を過ごした。そしていつものように朝を迎え、お互い仕事に出かける、と。


 元々平日はあまり顔を合わせることはなかった。藤ヶ谷副社長の巧は特に仕事が忙しく、帰ってくるのは夜遅い。帰ってきて食事をとってお風呂に入るともう就寝時間、ってことはよくある。


 だから二人でゆっくり過ごしていない。付き合いましょうとなったと言っても、今までとまるで変わらない日々を送っていたのだ。


「……はあ」


 訪れた今日は土曜。もちろん私も巧も仕事は休みなのでようやく話す時間もできたと言うわけだ。


 が。


「色々ぶっ飛んでるんだよ〜……私何すりゃいいのよ〜……」


 顔を両手で覆って嘆いた。


 恥ずかしいことに三次元はまるで興味なかった私にとって人生初彼氏となる。それはいい、いやあんまりよくないけど。


 何より私と巧の関係がぶっ飛んでいることが問題なのだ。


 彼氏どころか戸籍上は夫。一緒にも暮らしている。すっぴんだっておにぎりのTシャツだってズボラなところだってとっくに見られているところからスタートする交際なんてある??


 こんな形の関係に、私は酷く動揺していた。初めての彼氏がこんな形だなんて。


 嘆いていてもしょうがないのでとりあえずベッドから起き上がる。カーテンを開けると清々しいほどの青空が広がっていた。


 ゲームの世界じゃ対象相手と結ばれておしまいだ。その後の生活なんて描かれていない。デートのシーンだって普通付き合う前に体験するもので、彼氏になったあとのことなんか知らない。


 あまりに酷い。自分の恋愛についての知識が。


 はあとため息をつきながらとりあえず部屋から出て洗面所に向かう。歯磨きと洗顔を終わらせ化粧水を塗っていると、これまたどうでもいい疑問が浮かび上がってくる。


 今までは休日なんて出かける予定なければすっぴんだった。でも流石にメイクくらいすべき?


 でもそれって「お、いつもすっぴんの癖に俺を意識して朝からメイク頑張ったのか」とか思われそうでなんか癪じゃない? あの男絶対そうやって思いそう。


 じゃあ服は? 部屋着じゃだめ?


わ・か・ら・ん!!!


 パニックに陥ったところでもう全てを放棄した。私はいつも通りすっぴんと部屋着でリビングへと向かって行ったのだ。


「おはよ」


 扉を開けると、巧はもう起きていた。ソファに座って優雅にコーヒーを飲みながらテレビを見ている。平日夜遅いし土曜日くらいゆっくり寝てればいいのに。私より早いって。


「お、はよ。早いね」


「普通だろ」


 そう答える巧声は至って普段通りだった。なんとなくそれにほっとする。自分の中で張っていた緊張がややほぐれる。


「朝ご飯食べた?」


「まだ」


「あ、昨日のご飯余ってた。卵かけご飯にしよう」


「お前さ……いやいいけど」


 巧は呆れたように言った後小さく笑った。そんなどうでもいいシーンなのに、なぜか私はどきりと緊張した。それを隠すように慌ててキッチンに入っていく。


「巧もいる? 卵かけごはん」


「もらう」


「流石にもう一品欲しいよねえ〜ほうれん草でも茹でるか」


 冷蔵庫を開けて独り言を言いながら野菜を取り出した。さっさとお湯を沸かしてすぐに茹で、絞ってカットする。醤油とかつおぶしでよし!


「完成ー私ほうれん草好きなんだよねー」


 ご飯をよそって卵も準びすると、いつのまに来ていたのかダイニングテーブルに座っている巧がいた。私は上機嫌で運ぶ。


「ありがとう」


「あー美味しそう! いただきます!」


 卵かけご飯にほうれん草茹でただけ。いつもと変わり映えしない朝食だった。むしろ平日はパンだけを齧っているから普段より豪華かもね。


 私が早速箸を持って食べ始めると、その様子をなにやら面白そうに見てくる男がいた。巧は何が面白いのか、小さく笑いながら私を見ている。


「え、なに」


「いや、なんでも」


「いやめちゃくちゃ笑ってるじゃん」


「杏奈。今日出掛けるぞ」


 突然発せられた言葉に面食らった。ほうれん草が喉に詰まりそうになる。


「え、何!? どこに!」


「どこ行くかな。行きたいところあるか?」


「へ!? え、えええ、ええ……」


 しおしおとしぼんで小さくなった。せっかく普段のテンションが戻ってきたところで、再び混乱の世界へ陥る。


 つまりはだ。デートというやつだ。この人生無縁だったもの。画面の中ではこなしまくったデート。妄想の中ではしまくったデート。


 困って視線を泳がせる。巧とは出かけた事はあるけど、それはおばあちゃんのお見舞いとかだったし……


「え、映画、とか……?」


「いいよ。何見たいの」


「え! し、調べてみる」


 とりあえず無難な映画をあげてみた。それくらいしか浮かばなかった。別に見たいものがあるわけじゃあない。


 異性と二人で出かけるだなんてほとんど初めての体験だ。一体何をどうしてよいやらさっぱり分からない。


 ポケットに入っていたスマホを出して現在上映中の映画を調べてみた。海外アクション映画やSF映画、恋愛ものなどがずらりと並んでいる。


 ……やばい、どれも興味ない。




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