第32話 ストレートに聞かせてよ

「そっか、あの後ちゃんと手紙もらってくれてたんだ。そうかあ。何か今更嬉しいよ。当時はショックだったから。まあ、大人になった今は恥ずかしかったんだろうなーって想像つくけどね」


 笑いながら言った。別に恨んでたわけでもないし、苦かった思い出がちょっと味を変えたかなあと思う。こんなに時間が経ってから真実がわかるなんて。


 笑っている私の隣で、巧はクリアファイルをデスクの上に置いた。乾いた音が部屋に響く。


「杏奈」


「ん?」


「俺嘘ついてたんだ」


「嘘?」


 巧がこちらを見る。その表情をみて笑いは止まった。酷く真剣で、恥ずかしそうで、怯えたようで、まるで小さな子供みたいな顔だった。


 つられてこちらも体が強張る。




「……好きなシングルマザーなんていない」




 へ、と間抜けな声が漏れた。ぽかんとした顔で巧を見上げる。


「いないんだ。そんなの、最初から存在しない」


「……え、ええ?」


「でまかせだったんだ」


 まさかの言葉に大混乱が生じる。あれだって、その人と付き合い続けるために契約結婚の相手を探していたのに……?


 私はオロオロとしながら聞いた。


「え、でも樹くんが忘れられない相手がいるって言ってたじゃない、シングルマザーじゃないの?」


「…………それは、その」


「何でそんな嘘ついたの?」


「……この流れで普通感づくだろ……」


 はあと大きなため息をついて彼は項垂れた。私は首を傾げてなお追求する。


「え、全然わかんないよ、ねえ分かるように説明してよ」


 私は彼の服の袖を握って引っ張った。歯切れの悪い巧にやや苛立っていると、彼は突然顔を上げた。その顔面は真っ赤になっていて驚きで固まった。


 巧は吹っ切れたように大きな声で言う。


「お前だよ!!」


「…………?」


「別に馬鹿みたいにずっと想ってたわけじゃない。普通に恋愛もしてきたし女とも付き合った。でもどうしても、あの手紙を捨てた相手の子は何してるかなって頭の片隅に残ってた」


「…………?????」


「そしたら偶然仕事で杏奈を見つけた。普通に声をかけようとしたら、杏奈が男は恋愛対象じゃないって噂を聞いたから。だから正攻法じゃ駄目だと思って」


「は、はあ…………」


 巧は強く頭を掻いた。黒髪が揺れて飛び跳ねる。


「……形だけでも、結婚すれば少なくとも繋がりはできると思った」


 巧の口から漏れてくる言葉はあまりに難解すぎた。いや、決して小難しい単語を使ってるわけでもない。ただ内容が信じがたくて、想像をずっと超えていてもう私の脳では処理が追いつかないのだ。


 もはやフリーズしている私の顔を彼が困ったようにみてきた。目が合った瞬間、胸が痛いほどに鳴り響いた。


「それらしい理由をつけて杏奈に契約を持ちかけた。あんなすぐ承諾されるとは思ってなかったけど」


「……」


「心がわりされないようにマンションも即決して外堀を固めた。そういうのは俺得意だから」


「ああ、確かにめちゃくちゃ早かったね色々」


「正直言うと、男に興味ないって言っても一緒に暮らしてみればなんとかなるかもしれないと邪な気持ちはあった。でもお前下着見られても平気だわ俺の裸も感心しながらガン見だわで脈なしなのはよくわかった」


「ま、って、じゃあ、え? 巧、私のことが好きなの?」


 どストレートに聞くと、巧はぎょっとして目を見開き、困り果てたというように大きく天井を仰いだ。大袈裟なほどの振りだった。


「おま、それさ、ストレートに聞くかな……」


 そう呟いた巧の耳は真っ赤だった。


 ようやく彼のいう話の内容を理解し出せていた。


 つまりは巧はずっと前から私を知っていてくれた。他に好きな人がいるなんてのも嘘で、大昔に渡した手紙のことをずっと覚えていてくれてた。


 それはまさに晴天の霹靂。目の前に雷がおっこちてきたみたいな衝撃。


 ずっと私になんて興味がないと思っていた巧がまさか。


 理解してきた途端、カッと顔が熱くなって胸が苦しくなった。未だかつて感じたことのない恥ずかしさと嬉しさと困惑が混ざって自分がどうにかなってしまいそう。あなたを好きになったのは無謀なんだって思い込んでたんだから。凄く辛かったんだなら。




 だって、ねえ。ストレートに聞かせてよ。




「……そうだよ。俺はずっとそうだったんだよ」



 

 苦しそうに小声で言った彼が、酷く愛おしい。




 巧はデスクの上のクリアファイルをすぐ下の引き出しに仕舞い込んだ。未だ赤い顔を落ち着かせるように息を吐いて言う。


「……ごめん、引いたろ。いつか言うべきかなと思ってたけど、引かれるの分かりきってたから。バレないように色々気遣ってたつもりが」


「巧」


「無理だって思ったら言えばいい。どっか違うマンションでも買って杏奈はそこに住めばいい」


「巧って」


「この前も、キスしてごめん。カッとなった。もう二度としないから」


「たーくーみってば!」


 一人でペラペラ話す男の背中を思い切り叩いた。バシッと大きな音が響く。いてっと巧は反応してこちらを振り返った。


 私は気まずそうにしている巧の顔を見て笑う。いつも自信家で隙のない男のそんな顔が非常に可愛いと思った私はもう引き返せない。


 この人意外と不器用なんだな。


「自分ばっかり話して私の話は聞かないの? こう言う時王子様たちはもっと落ち着いて振る舞うんだよ!」


「王子……?」


「普段自信満々のくせに、何で大事な時には自信無くすの? 私が巧を好きだってどうして1ミリも思わないの?」


 私のセリフを聞いて、彼はぴたりと停止した。


 こんなはずじゃなかったのになあ。私、二次元専門だったんですけど。しかもオーウェンから程遠い腹黒男。


 でもなってしまったものはしょうがない。


 笑顔で巧を見つめる私を、彼はただ茫然として眺めていた。肝心なところで判断力ない奴!


「……杏奈、だってお前樹を」


「そんなの巧の思い込みだよ、ホテルの前で巧を見てショック受けてた私を励ましてくれてただけだし……あの時、本当に悲しかったから」


「悲しかった、って」


「出て行かないよ。私は巧には他に好きな人がいるんだって思ってたから辛かったわけで……変な嘘つかないでよね馬鹿! ややこしくなったじゃん!」


 私がそう言い終わったと同時に、巧が突然力強く私を抱きしめた。その勢いに体が後ろに倒れそうになるのをなんとか踏ん張る。苦しいほどの力に一瞬戸惑いつつも、あの日巧の胸で泣いたことを思い出した。彼からは何だか懐かしい匂いがする。


 巧の背は私よりゆうに高い。肩幅もずっと広い。そんな今まで体験したことのない男性の抱擁に、すっかり心奪われる。心臓が馬鹿みたいに騒いでいる。


 巧はそっと私を離すと、どこか余裕のなさそうな顔で私を見ながら呟いた。


「……杏奈、悪いけどめちゃくちゃ好きなんだ。

 付き合ってくれるかな」


 それを聞いた途端、私はぶはっと吹き出した。最後の決め台詞のはずなのに完全にツボに入ってしまった。


 巧は眉を下げて不機嫌そうな顔になる。


「何で笑うんだよ」


「だ、だって……! 付き合うって! 私たち、結婚してるんだよ!」


 ケラケラ笑いながら言うと、巧もつられて笑った。笑うとできる目尻の皺が優しい。


「それもそうだった」


「もう、順番めちゃくちゃ……! お腹痛い!」


「それにしてもムードのない女だよお前は」


 ひとしきり笑った私は息を落ち着かせた。巧の顔を見上げて返事する。


「うん、そうだね。そこから始めよう」


 それを聞いて巧はまた優しく笑った。結婚してるくせに今日から交際スタートだなんて、ほんとイレギュラーすぎ。


 それでも嘘で固められた壁をようやく壊して彼の気持ちが聞けた今日のことを、私は絶対に忘れないと思った。


 好きな人に好きだと言ってもらえる喜びは恋愛ゲームでは味わえない幸福感だとしれたんだから。


 私たちの変わった関係はやっと今日からスタートする。









 





 

 

 

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