第21話 名探偵か?




 約束の時間ぴったりになり、再び鳴らされたインターホンに気を引き締めた。


 部屋はまあ、普段から交代で掃除してるし(主に巧が細かいところまでしてるし)清潔だ。簡単にだけど着替えて化粧も施した、特に問題はないはずだ。


 あとは自分の部屋の鍵だけしっかり閉めておいた。間違ってあの夢の楽園の扉を開かれた日には私はおしまいだ、隠し続けたオーウェンへの愛がバレてしまう。


 私は玄関の扉を開ける。


「あ、久しぶりお姉さん!」


 文末に星とか音符がついてそうなテンションで樹くんは言った。画面越しで見るのとはまた違う顔の美しさ。巧とは違うタイプの、とんでもないイケメンくんだ。


「ごめんね待たせて。上がってください」


「はい、失礼しまーす!」


 招き入れてスリッパを用意する。樹くんは感嘆の声を上げながら辺りを見渡した。


「すんごい家だね、巧も思い切って買ったねー」


「あはは、そうよね。コーヒーか紅茶どっちがいいかな?」


「んーコーヒーで!」


 廊下を歩いてリビングへ向かっていく樹くんの後ろ姿を眺めながら、ふと一応巧に連絡をしておこうと思い立った。


 ポケットに入れておいた携帯を取り出し、こっそりメッセージを入れておく。私たちの関係バレないようにがんばるからね、と……。


「うっわ、リビングひっろー」


 遠くから聞こえる声に慌てて足を進めた。リビングへ入ると、もう彼はソファに座って腰掛けていた。その自由ぶりについ面食らう。


 以前会った時も思ったけど、この子すごく奔放で自由だよなあ。人懐こいし、天然で人を振り回すタイプに見える。


 キッチンに入りコーヒーを淹れる。あまり長居は望ましくない、私たちが形だけの夫婦だとバレては困る。


 樹くんは楽しそうに座っている。そんな彼の目の前に、淹れたてのコーヒーをおいた。


「どうぞ」


「あ、ごめんねありがとう!」


 子犬みたいな顔で見られれば、悪い気はしない。とんでもない力を持っているもんだ。


 なんとなく隣に座るのも気が引けるので、私はそのままローテーブルの前にしゃがみ込んだ。


「突然どうしたの? 驚いた」


「んーごめんね。父さんから今日巧が休日出勤するだろうって小耳に挟んでさ。一度、杏奈ちゃんとゆっくり話してみたなったんだよね」


 目の前のコーヒーを啜りながら言った。


「巧と、あんまり仲良くないんだっけ」


「はは、そうなんだよね。兄の巧はさ、頭良くて会社の跡取りで、こっちはコンプレックス持ってるわけ。んであの性格だし反発するよね」


「そうなの? 樹くんだって、こうやって人とすぐ馴染める特技持ってるのに。巧とは全然違うよ、彼は最初どこか近寄り難い感じがあるもの。全然似てないんだね」


 樹くんに沢山話して欲しいと思っていた。下手に結婚生活話や付き合っていた頃の話を聞かれると、ボロが出そうだと思ったからだ。


 彼は小さく笑う。


「まあ、似てないかな」


「無理に仲良くする必要ないけど、たまには会うくらい——」


「ねえ、二人って本当に結婚してる?」


 完璧なるいい妻を演じている最中、彼はそうぶっ込んできた。つい一時停止する。


 まさかそんな真意を突いた質問をこんな序盤でされるとは思っていなかった。私は笑って樹くんを見る。


「あはは、婚姻届も出してるよ。ちゃんとしてます」


「そう言う意味じゃなくてさー……。前食事を取った時、何か違和感感じてたんだよね。二人が一年近くも付き合ってきたとは思えないよそよそしさ」


「あの日は緊張してたの」


 鋭すぎる。心の中で嘆いた。陽気で細かいことなんて気にしなそうな樹くんなのに。


 彼はゆっくりコーヒーを啜って間をおく。


「あ、何か食べる? 甘いものとか……」


「巧があんなに長い間忘れられないって馬鹿みたいに言ってた女の人、どうなったのかなあ。杏奈ちゃん知ってるよね?」


 どきりと心臓が鳴る。それは私は全く持っていない情報だったからだ。巧が忘れられない女性とは間違いなくシングルマザーのことだろう。でも残念ながら、私は彼女について何も知らない。こんなことなら巧からそれなりに聞いておくべきだったと嘆いた。


 樹くんは私を試すように視線を送った。今にも額に汗をかいてしまうそうなのを堪える。彼を家に入れるべきじゃなかった。


 それでも。私は密かに拳を握る。仲睦まじい夫婦を演じるのが契約の内容なのだ。私はこれを乗り越える義務がある。


「知らないの」


「え? 奥さんがなんで」


「そういう人がいたってことは勿論知ってる。でも細かいことは聞きたくなくて。私、好きな人の過去の恋愛とか聞きたくないタイプの女なの」


 ニコリと余裕のある笑みを浮かべた。樹くんはそれを聞いて、感心するようにこちらを見る。うまいこと答えたな、という反応か。


「はあーなるほどね。いい返事だね」


「あは、どう言う意味」


「巧は今までもそれなりに女の人と付き合ってきたけど、心のどこかで例の人が気になって入れ込めないみたいだったから。俺からしたら巧がそんな昔の話を引きずるのが意外すぎるんだけど、もっと意外なのはそれほど拘ってたのにあっさり杏奈ちゃんと結婚したことだよね」


 樹くんは笑いながら言う。そっと置いたコーヒーカップの音がやけに大きく響いた気がした。耳に光るピアスを意味もなく見つめ、私は何も答えずにいた。


 彼はさらに続ける。


「んー例えばー。結婚しろしろうるさいうちの親に疲れた巧が、なんらかの理由で杏奈ちゃんに目をつけて形だけ結婚しませんかーって提案したとか」


(当たってるよバーロー)


「だから二人は戸籍上は夫婦でも、実際はただのルームシェアしてる男女であって付き合ってもないのかなって!」


(今までの流れ全部見てたんか?)


 あまりに鋭くて全てを当ててくる樹くんに、もはやどう誤魔化せばいいのかわからなくなってきた。私は心の中でため息をつく。でもまさか素直に認めるわけにもいかない、巧とは仲があまりよろしくないみたいだし……言い振り回されてたりしたら。


 樹くんは私の顔を下から覗き込む。少年のような表情が、どうもペースを乱される。


「面白い話だね。もしそうだとして、樹くんは何がしたいの? 巧の弱味でも握ったことになる?」


 私がそう尋ねると、意外にも彼は目を丸くして首を振った。


「ううん! そんなこと全然考えてないよ」


「そうなの? てっきりそうなのかと思って」


「俺の目的は巧じゃなくて、杏奈ちゃんだから」


 少しゆっくりさせた口調で樹くんがそう言ったのを耳で聞いた瞬間、突然ぐるりと視界が回る。あれっと思った時には、背中と後頭部に冷たい床の感触を感じていた。


 唖然とする私の視界に見えるのは、重力で髪の毛を垂らしながら私を見下げる樹くんだった。


 …………??


 あれ、どうなってる?


 ただひたすらぽかんとしている私の上から、彼はどこか色気の感じる声で囁いた。


「一目惚れしちゃったから」




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