第17話 カレーは二日目が美味い
「従姉妹は帰ったのか」
しばらく経って麻里ちゃんを外に見送りにでた後、リビングに入ると未だスーツ姿の巧がソファに座っていた。
「うん帰った。ごめんね、突然呼んじゃって」
「それは全然構わない、だが次からメールしといてもらえると助かる。変な事を考えてしまったから」
「あはは、麻里ちゃんが私の彼女ってね〜」
冷蔵庫に向かい中から飲み物を取り出す。グラスに注いでいると、巧は未だ自分が犯した勘違いに落ち込んでいるのかため息をついて天井を仰いでいた。
そんな彼の隣に腰掛け、笑っていう。
「大丈夫、麻里ちゃんは元々私たちの事情知ってたからさ。巧が勘違いするのも無理ないなーって言ってたよ」
「まさか親戚だったとは……」
「そんな落ち込まなくても。麻里ちゃんってほんとすごくいいお姉さんでね、信頼してるから。いつかもっとゆっくり会えるといいねー」
そう言いながらお水を口に入れると、巧がやけに真剣そうにこちらを見ているのに気がついた。
「何?」
「いや、ゆっくり、会えるといいな」
それだけ短く言うと、立ち上がりキッチンへ向かう。飲み物でも出そうとしたのか冷蔵庫前に来た彼は、ふとコンロの上にある大鍋に気がついた。
「何これ」
「あ、無性にカレーが食べたくて作ったの」
「杏奈が?」
「そう。巧も食べていいよ」
サラリと言ったが、巧は「別にいらない」とでも言うと予測していた。私のズボラさを知っているから、そんな女の料理なんて藤ヶ谷副社長は食さないかと思ったのだ。
が、意外にも彼はすぐにお皿を出して炊飯器の蓋を開けていた。まさか食べると思っておらずぎょっとする。
「え、食べるの?」
私が尋ねると、彼も目を丸くして私をみる。
「え、いいって言ったろ」
「言ったけど……食べると思わなかった」
「杏奈が料理するのなんて貴重だからな」
からかうように言いながらご飯をよそう。
「いや、たまには私もするんだよ! 平日はめんどくさいだけでさ」
「暮らしてから初めてみるから。って、なんだこれどんだけ作ったんだよ!」
お鍋の蓋を開けて彼は呆れたように言う。
「うん、約三日分はあるかな。それでも私はおかわりしたし麻里ちゃんも食べたんだけど」
「毎日カレー食うつもりかよ」
「つもりだよ。あとは冷凍しとくー」
「……ははっ」
私の言葉に、巧は白い歯を見せて笑った。くしゃりとした犬みたいな顔でカレーをよそっていく。何がそんなにツボに入ったんだか。
スプーンを持ってテーブルに置きながら巧はなおも笑う。
「敏腕秘書どこに行ったんだよ。ほんと別人だな」
「うるさいなあ……」
膨れる私に構わず、巧は頬を緩ませながらそのカレーを食べた。やはり作った身としては味の感想が気になり、私はじっと咀嚼している巧をみる。
彼はへえ、と感心したように言った。
「意外とうまい。市販のルー溶かしただけのやつじゃないな」
思った以上に素直な感想に、私は親指を立てた。
「さすが藤ヶ谷副社長……違いのわかる男!」
「お前は単純すぎるんだよ」
そう言いながら、巧はまた目を細めて笑った。
「高杉さん、この書類チェックして頂けますか、社長に頼まれたもので明日の午前中までなんです」
「はい。そこに置いといてもらえる」
パソコンに向かって凛とした姿勢で、私はそう答えた。仕事モードの高杉杏奈だ。今は決しておにぎりのTシャツなどではなく、しっかりしたスーツを身に纏っている。ちなみにマネキン買いしたやつだ。
家であぐらをかいてコントローラーを握っている不恰好な姿勢でもなく、背筋を伸ばしてキーボードを入力していた。努力して築き上げた自分の仕事中の姿だった。
この仕事を選んだ理由はドラマで見た秘書という役割がカッコ良かった、なんていうくだらない理由だ。それでも幸運にも向いていたらしく、そこそこ大きな会社で秘書として仕事を続けられている。社長たち上司の性格はクソやろうだけど、そのほかの人たちには恵まれて人間関係も悩んではいない。
私は一旦画面から目を離す。ふうと息をついて目頭を抑えた。
「高杉さんって新婚さんなのに、こう浮かれた感じしなくてビシッとしてますよねえ……」
隣から声が聞こえてくる。見れば、一つ年下の河野さんだった。ロングヘアーの髪を揺らしながら彼女はキラキラした目で私を見ている。
新婚、って、形だけだからね。なんて言えるわけもなく苦笑する。
「普通そんな浮かれるもの?」
「ですよ〜! 惚気とかも全然聞かないし、私高杉さんから聞きたいですよ!」
「はは、惚気ねえ」
「相手はあの藤ヶ谷副社長だっていうし……知らなかったから私ショックでしたよ。教えてくれてないんですもん」
恨みがましく言われた。デスクの上に置いてあるコーヒーを少し飲んで答える。
「ごめん、親にすら言ってなかったから」
「秘密主義〜! 藤ヶ谷副社長って家でどんな感じなんですか!? 愛してるよとか言うタイプ?」
「何を突然突っ込んでくるかなこの子は」
私は笑って言った。結構奔放で自由な性格の河野さんは、よく私に懐いてくれていた。私にはない女の子らしさがあって、こちらも憧れてしまうこともある。時々二人でご飯を食べに行ったりと、そこそこ仲良くしている後輩だ。
「ずっと聞きたかったんですよー! 今度ご飯一緒にいきません? 高杉さんから! 惚気が! ほしい!」
「私惚気とかいうの苦手なの」
「クール! クールすぎ!」
クールでも何でもなく、惚気るネタがないだけなのだが。オーウェンについての愛なら一晩中語れるんですがね。
河野さんは不満げに頬を膨らませた。
「なーんか、想像つかないんですよ。高杉さんと藤ヶ谷副社長の結婚生活。超お似合いですけどね? 並んでるとこ見たことないし、結婚式もまだ考えてないっていうし〜」
「別に普通の生活よ」
「行ってきますのチューとか?」
「それが河野さんにとっての普通ってことはよくわかった」
「えー普通じゃないですか! 高杉さんと藤ヶ谷副社長の朝のチューとか超絵になる!」
「勝手に想像しないでくれる?」
鼻息荒くしている彼女に呆れながらも笑う。キスなんて、するはずもない。抱きしめることだって、手を繋ぐことすら私たちはするはずがないんだから。
もし河野さんと飲みに行ったら色々ボロが出そうだな、と心の中で心配している時だった。デスク上の携帯が光っていることに気がつく。
手に取ってみると、着信は母からだった。
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