第16話 勘違い
「あっ、何これ、やばい」
「凄いでしょ……?」
「最高、最高だよこれ」
目を爛々と輝かせた麻里ちゃんが呟いた。予想通りの反応に気分がいい。オタクとは、仲間を見つけると異様に楽しくなっちゃうのだ。
麻里ちゃんの好みは分かりきっている、絶対に気にいるだろうと確信していたのだ。
「声優も文句なしじゃない……?」
「杏奈誰推し?」
「この二番目の」
「あーはいはい、わかるわ」
コントローラーを握りながら麻里ちゃんは目をキラキラ輝かせて画面を見ている。どうやら旦那さんは麻里ちゃんの趣味について理解してくれているらしいが、なんとなくこっそりプレイしているらしい。浮気してる気分になるとか。二次元への気持がガチすぎるゆえの悩みだ。
「ああ、いい! すごくいい!!」
「ね? たまらないでしょ……?」
「はあ、杏奈さすが、最高……」
「ここ、ここいいから」
「ああ、ちょ、最高、ひゃあ、最高だ……!」
うっとりと麻里ちゃんが呟いた時だった。廊下でガタン、という音が耳に入ってきたのだ。
私たちはオタク会談をピタリと止めて顔を見合わせる。
「なんか、聞こえた?」
麻里ちゃんが心配そうに呟く。私は頷いた。
時計はまだ昼過ぎだ。巧はこんな時間に帰ってきたことはないし、泥棒が入るには明るすぎる。いや、普段仕事で人気がないからこの時間に入り込んだのか?
私はすぐに立ち上がった。そして怯むことなく、部屋の扉を勢いよく開けたのだ。
「え、うそ?」
開いてすぐ玄関の方に視線を向けて見れば、まさかの巧がそこに立っていた。彼はもう靴を脱いだ状態で、床に仕事用のカバンが放り投げられている。先ほどの音はこれが落ちた音だったらしい。
「おかえり、全然気づかなかった。早いね」
「……ただいま」
彼はどこか目を座らせて仁王立ちしていた。そのオーラについたじろぐ。どう見ても彼は不機嫌だ、それどころか辛そうにさえ見える。何を怒っているんだこの人は?
「巧?」
「……お前さ」
「なに、なんか怒ってる?」
はあ、と呆れたように大きなため息をつく。
「恋愛は自由っつったけど、相手をこの家に連れ込むなよ。契約書に書いてなかったからってそこは常識で考えればわかるだろ」
眉間に皺を寄せて、巧は言い捨てた。
私はそれを聞いてただポカン、と口を開ける。
相手を? この家に? 連れ込む??
予想外の言葉だったので処理するのに時間がかかってしまった。しばらくは全く理解ができないまま時が流れる。
そんな時、背後から麻里ちゃんがひょこりと顔を出したのだ。
「杏奈? あれ、もしかして旦那様……?」
恐る恐る巧を見た麻里ちゃんに、巧は心底嫌そうな顔をした。いつでも人にはいい顔をしてビジネススマイルを放つ彼が、苛立ったように麻里ちゃんに言ったのだ。
「あんたも。ここは俺の家でもあるから、イチャイチャすんなら外でやってもらえる」
「は?」
ここまできて、ようやく巧が言っていることを理解した。そうだ、彼は私に女の恋人がいると思い込んでいるのだ。それで、麻里ちゃんがその相手だと勘違いしているのか!
私は慌てて巧に説明した。
「巧! 麻里ちゃんは従姉妹だよ!!」
私の言葉を聞いて、彼はピタリと動きをとめる。私はなおも続けた。
「子供の頃近くに住んでて仲良くしてるの! 普段ちょっと離れたとこに住んでるけど今日はこっちに用事があったから新居に呼んだだけで……麻里ちゃんは結婚してるから!」
私が早口にそう言い終えた瞬間だった。
巧は片手で口元を押さえると、一気に顔を真っ赤にさせたのだ。
……あら、初めて見る顔だ。
普段飄々としている男が、とんでもない勘違いをしてそれに気づいた瞬間。ちょっと可愛いと思ってしまったじゃないか。
巧はしまったとばかりに目を泳がせ、頭を下げた。
「そ、それは失礼なことを。申し訳ありませんでした」
「あは、麻里ちゃんが私の恋人って。すんごい間違いだね麻里ちゃん!」
お気楽に笑っている私の隣で、麻里ちゃんも慌てて巧に声をかけた。
「いいえ、家主の方に挨拶もなく勝手に上がっていてすみません……! 杏奈とは小さなころから仲良くしてて、今回も無理を言ってお邪魔させて頂いたんです!」
「いいえ、私が真相も確かめずに思い込んだのが愚かだったのです。別に杏奈が誰を呼ぼうといいのです、それを早とちりし……」
巧は困ったように言いながら私をチラリと見た。何となくその視線で彼が思っていることがわかり、私は言う。
「あ、麻里ちゃんだけは知ってるんだ、この結婚について」
契約書には、別に他の人に話してはいけない、だなんて書かれてはいなかった。だが、麻里ちゃんには話しているということは巧は知らなかったはずだ。
私の言葉を聞き、彼はああと少し納得したように声を漏らした。
「そうでしたか」
「あ、もちろん他言はしてませんし……! 私は杏奈の友達というか姉みたいな立場で。安心してください、絶対に誰にも言いませんから!」
「よろしくお願いします」
巧は丁寧に頭を下げ、床に置かれていたカバンを手に取った。
「どうぞごゆっくりなさってください。今後も別にいつでも来ていただいて結構ですから。本当に、失礼をいたしました」
「い、いいえこちらこそ……」
二人は気まずそうにそう言葉を交わすと、巧はそのまま廊下を突っ切ってリビングの方へと入っていった。その背中がどこか疲れているように見えるのは気のせいだろうか。
彼がいなくなったのを目で見送ると、麻里ちゃんがはあーとため息をついた。私は笑って謝る。
「ごめんごめん、巧に麻里ちゃんがくること言ってなくて。変な誤解されちゃってたね」
「びっくりしたよお」
麻里ちゃんがフラフラと部屋の中に戻り、私のベッドにどしんと腰掛けた。力が抜けたようにそのままこてんとベッドに寝そべる。
部屋の扉を閉めた後、私は再びテレビ画面の前に腰掛けた。
「そういえば杏奈の男に興味がない、の言葉をはき違えてるんだったね、それも忘れてたから大混乱だった……」
「あーあれね。別にあえて今更訂正する必要ないかと思ってそのままにしておいたんだけどさ。こんな所で誤解生むとは思わなくて」
「てゆうかさ。思った以上にかっこよかったわー巧さん……勘違いしてたことに真っ赤になってて、むしろ人間らしくて好感持てたよ。思ってたのと全然違った」
麻里ちゃんはベッドから起き上がり、前のめりになりながら私に鼻息荒くしていう。
「一緒に住んでて本当に何も思わないの!?」
「え」
コントローラーを握ってゲームを再開しようとしていた私は驚いて麻里ちゃんを見る。至って真剣な顔で彼女は私を見ていた。
「ええ、私が三次元の男に興味ないこと知ってるじゃない」
「よーーく知ってますけど。あれはまさに二次元から飛び出してきたようないい男じゃない。惚れないなんてある?」
「二次元ならもっと性格いいはずだよ」
「そんな性格も悪い人には見えないんだけど」
納得行かなそうに麻里ちゃんは眉を下げる。まあ、いいところもある、とは思っている。腹黒いけど律儀なところもあるなあって。
……だけどさあ。私は部屋に貼られたポスターを見る。
「オーウェンと比べたら月とすっぽんで」
「そ、そりゃそこと比べたらさ……」
「それに、他の女好きな人なんてあえて好きになってどうすんのよ」
「それもそうか……愛人いるんだもんね」
しおしおと麻里ちゃんが小さくなった。多分、麻里ちゃんは私に三次元にも興味を持って欲しいと思っている。
だが残念ながら、巧はすでに他の女のものだ。戸籍上は私の夫だけど、それは形だけの婚姻関係にすぎない。
「そういうこと。まあ、いいお友達ぐらいにはなれるかもね。ほらー続きしようよー」
私が笑いながらコントローラーを差し出すと、麻里ちゃんが渋々受け取った。それはどうも、納得していない。そんな顔だった。
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