第14話 優しい嘘

「どうやって知り合ったの?」


「仕事でお会いして、私が杏奈さんに一目惚れしたんですよ」


「あら!」


「それから食事に誘って」


「あらあらあら!」


 両手を口に当てて嬉しそうに笑う祖母を見て、なんだかなんでもよくなってしまった。実は契約結婚だとか、この男は腹黒だとか、そんなこともういいか、って。


 おばあちゃんがこんなに楽しそうにしてるの、久々に見たから。


 末期の癌なので長くは生きられないと医者から言われていたが、高齢だと進行も遅いらしい。以前よりぐっと顔色は悪いが、それでも笑う元気がまだあるのだから私は嬉しい。


 ニコニコして巧と話す様子をただ微笑ましく見ていた。彼もやはり、完璧と呼ばざるを得ない夫を演じてくれている。


「杏奈ちゃんと一緒に暮らしてどう? この子ちょっと雑なところあるでしょ?」


「はは、それは私も同じですから」


「優しいのね〜。いいわね、うちのおじいちゃんも優しい人だったのよ。巧さんにちょっと似ているかも」


「それは光栄です」


「杏奈ちゃんのどこが好きなの?」


 まるで少女のようにはしゃぎながら質問するばあちゃんを慌てて止める。契約上の夫婦に、そういった質問はちょっと厳しい。


「もうばあちゃん、恥ずかしいからー……」


「そうですね。とにかく明るくてまっすぐですよ。私にはない陽気さですから、一緒にいてとても楽しいです」


 サラリと述べた彼の横顔をつい目を丸くして見る。満点の夫(の演技)、すごいな。私もし同じ質問されたらうまく答えれる自信ないや。


 口からでまかせを述べているのだとわかってはいたけれど、なんだかくすぐったい気持ちになった。もし本当に大好きな人と結婚できて、こんな風に言われたらすごく嬉しいんだろうな、って。


 あーあ、オーウェン画面から出てきてくれないかな。


 アホな事を考えている私をよそに、祖母は嬉しそうに何度も何度も頷いた。


「そうね、杏奈ちゃんは昔から凄く明るくて元気なの。しっかりしてるけど抜けてるとこもあってね。わかってくれてて嬉しいわ」


「抜けてるって、ばあちゃん……」


「そうだ、結婚式はどうするの? 会場探してる?」


 前のめりになりながら尋ねる。点滴の管が少し揺れた。私と巧は一瞬顔を見合わせる。


「あのね、私も巧も仕事がすごーく今忙しくてね、落ち着いた頃ゆっくり探そうかって話になってるの」


 以前巧のご両親に告げた内容そのままを祖母に言った。結婚式なんてごめんだと思っていたけれど、そういえばおばあちゃんにだけは見せてあげたかったな、とも思う。


 でも意外とばあちゃんはがっかりした様子もなく、あっけらんと言った。


「あらそうなの。今時は挙げない若者も多いみたいだしね? でも挙げる予定あるなら楽しみだわ、それまで長生きするよう頑張るわ!」


 ガッツボーズを取るように拳を握りしめて言った。その発言を聞いて心が寂しくなる。


 ごめん、本当は式なんて挙げる予定はないし、多分少し経ったら離婚しちゃうんだけどな……。


 もし離婚するってなったら、おばあちゃん悲しむだろうな。でもそういう契約だったから仕方ないし。


 少し感傷的になっている私の隣で、巧が優しく微笑んで言った。


「ええ、ぜひ。杏奈さんと話し合って、じっくり考えていい式にしますから」


「まあ、楽しみね!」


 少々無責任に感じる発言を聞いて、私は軽く巧を睨んだ。いや、こう言うしかないんだけどさ、でもあんまり期待させるようなことを言わないでほしい、ショックでおばあちゃんの体調に関わったらどうするのよ。


 彼は私の視線に気づかないのか無視をしているのか、涼しい顔でおばあちゃんを見ていた。


「ああ、あとは赤ちゃんね! ひ孫を見なきゃ!」


「ぶっ」


 突如かまされたとんでもない発言に、つい私は吹き出してしまう。それでも祖母はいたって大真面目な目で続けた。


「結婚式もいいけど子供もね! できちゃったんなら式なんてどうでもいいのよ!」


「ば、ばあちゃん……」


「どっちに似ても可愛い赤ちゃんが生まれるわねえ、楽しみねえ!」


 想像するように頭を揺らして笑う。間違っても私と巧に子供なんてできるわけがないんだけど。


 テンションの高い祖母に困って呆れ顔でため息をついたが、隣の巧は何故か楽しそうに笑っていた。その顔はやっぱり、子供みたいな笑顔だった。







「ありがとう、付き合ってくれて」


 帰りの車内、私はハンドルを握る彼に言った。巧はぶっきらぼうに答える。


「別にそういう約束だったし」


「でも、おばあちゃん本当に喜んでたし。なんてゆうか、最初はいいのかなあって思ってたけどやっぱりよかった。この結婚した甲斐があるかなって」


 本心だった。


 あそこまで喜ぶとは思っていなかった。あとどれほど生きられるか分からないし、いいニュースを伝えることができてよかったと思う。


 まあ、結婚式だの子供だの、期待させるようなこともあったけど……。


 窓の外を見る。見慣れない景色は夕焼け色に染まっていた。人々が行き交う様子を見ながらぼんやりとあの笑顔を思い出す。痩せて皺が濃くなったように見えたなあ。


 あと何回会えるだろうか。会うたびに結婚式のこととか聞かれたりするかな。誤魔化すのに一苦労かもしれない。


 心の中でそう一人考えていると、長く沈黙が流れた後、隣の巧がポツリと言った。


「結婚式、する?」


 思ってもみない言葉に、ぎょっとして隣を見る。彼はまっすぐ前を見据えたまま続けた。


「杏奈のおばあさんのために。凄く楽しみにしてたし。うちの親は盛大にやりたがるだろうけど、別に家族だけの小さなものにしておばあさんに参加してもらえば」


 彼がそんな提案をぶつけてくるとは思わなかった。ただ目を丸くして彼を見つめる。


 私と結婚式を挙げるだなんて、別に巧にとってなんのメリットもないからだ。好きでもない女とお金をかけて式をあげるなんて、労力も時間も無駄。例えばいろんなお偉いさんを招いてっていうならまだしも、家族間だけの式だなんて。


 それなのにそんな提案をしてくれたのは、紛れもなく私の祖母の事を考えてくれたからなのか。さっき微笑みながらばあちゃんと話したのは気休めじゃなく、実現させるつもりだったのか。


「…………何」


 私があまりに長い時間ぽかんとして彼を見ているもんだから、巧は不機嫌そうに言った。


「い、いや、びっくりして。巧がそんな気遣いまでしてくれるなんて……」


「おばあさんを安心させたくてこの結婚に踏み出したんだろ。そこに協力するのは当然だろ」


「だって、こうやって挨拶してくれただけで十分なのに。結婚式まで……」


「仰々しいのはごめんだけど、家族だけ招くくらいなら別にいいだろ。それを楽しみにしてるってあんな顔で言われちゃな」


 苦笑していうその横顔をみて、私は微笑む。


 いつでも自信家でちょっと歪んでるやつだなと思っていたけど。なんだ。ちょっと優しいところ、あるんだなあ。


「……だから何。変な顔でじっと見るな」


「変な顔って。笑ってるのよ。巧も人間みたいな優しいところあるんだなって感心して」


「俺はいつでも優しいだろ」


「本気で言ってるの?」


「んでどうする。規模の小さな式ならそんな時間もかけずに準備できるだろ。遠出は辛いだろうから、おばあさんの病院からなるべく近い式場でも見つけて」


 本当に具体的に考え出した彼にまた私は笑ってしまった。変なところで真面目で気がきくんだから。何この人、変な人!


「ありがとう。でもまあ、もうちょっと考えておくよ。お互い仕事が忙しいのは本当だしさ」


「わかった」


「ありがとう、巧」


 繰り返し感謝の気持ちを述べた。嘘の婚姻で結ばれただけの私たちだが、そんな形のお互いを思いやれる人でよかったと思った。


 とりあえず、家に帰った後巧に感謝の気持ちを込めておにぎりのTシャツを買ってやろうと思った。これは、私のカードでね。



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