第13話 お見舞い
翌日曜日。
お互い仕事が休みの私たちは、巧の運転する車に揺られて少し遠出をしていた。休日のデート……なわけもなく、目的は明確にある。
それは私のばあちゃんのお見舞いだった。
初めから私の祖母について事情を知っていた巧と、結婚の挨拶にいこうと話していた。だが引っ越しだの巧の仕事が忙しいだので、ようやく時間が合わせられたのだ。巧はさすがはあの大企業の副社長なだけあり、忙しい毎日を送っているらしかった。平日は帰りも遅いことが多い。いや、例のシングルマザーとでも会っているのか? 別にどうでもいいけど。
一緒に暮らしていても顔をゆっくり合わせたのはあの雨の日くらいだった。
そんな多忙な毎日の中ようやく訪れた休日をお見舞いで潰してしまうのはやや申し訳なくも思ったが、彼は疲れた顔も見せず平然と車を運転していた。まあ、こういう約束だったもんね。
祖母は末期の癌だった。治療もせず、現在は緩和ケアのためにそれ専門の病院に入院している。痛みのコントロールと、あとは毎日を穏やかに暮らす目的の病院だ。
少し離れているため、私もなかなか頻回に会いには行けず、ばあちゃんと会うのは久しぶりのことだった。
「電話で何て言っていた?」
ハンドルを握りながら巧が聞いてきた。黒いジャケットを纏う彼は、やや暑そうに車のエアコンの温度を調整する。
「すっごく喜んでた」
「そうか、喜んでくれてたか」
「まあ、ちょっと騙してる感じもあってやや心苦しいのも事実なんだけど」
本当は愛し合って結婚したわけじゃないし。契約結婚だしなあ。
だが巧はケロリとして言う。
「何言ってる、ひと昔前は見合い結婚が当たり前だったんだぞ、似たようなもんだ」
「でもお見合いで結婚したあとはちゃんと夫婦になってるでしょ、私たちは違うじゃない」
「まあいいだろ。いろんな形の夫婦があったって。お互いが納得してるんだ、ある意味幸せなんだから」
そうだけどさ、と小声で言う。愛も何もないし、これから芽生えることもない。きっとばあちゃんが想像してる結婚相手とはまるで違うんだけどな……
「あ、あれか?」
巧が前方を見て言う。私は頷いた。
「そうそう、あれ。駐車場は左手にあるから」
「分かった」
そびえ立つ立派な病院の駐車場に車を入れて行く。そこそこ混雑しているようだった。日曜日は見舞客も多いのだろう。
空いている場所を探しながら巧は言った。
「ばあちゃんっこなんだろ」
「うんそう。昔は近所に住んでて、鍵っ子だったからおばあちゃんの家で両親の帰りを待ってたの。仕事の都合で途中で引っ越しちゃってからはあまり会えなくなったけど、それでも仲良しだよ」
「へえ」
「巧は?」
「母親の方はすでに亡くなっている。父親の方は祖母だけ生きてるが、認知症でね。俺が会いに行っても顔も分からない。元々あまり頻繁に会ってなかったからな」
「そうなの……」
空いているスペースを見つけた彼は早速駐車する。やや狭いが、一度でスムーズに入れてしまった彼は運転が上手いらしい。ちなみに私はペーパードライバーだ。
エンジンを止めて鞄を持つ。
「運転ありがとう」
「別に礼を言われることじゃない」
ぶっきらぼうにそう言った巧は颯爽と車から降りた。私も続いてすぐさま歩き出そうとした時、巧が後部座席の戸を開いて何やら漁っているのに気づく。
足を止めてそれを見ていると、彼が何かを取り出した。
「え、何それ」
「は? 見舞品に決まってるだろ」
「……え!」
巧の手には有名な和菓子の紙袋があった。驚きで目を丸くしてしまう、あんなに忙しいそうなのにいつ買いに行ったの? というか、気が利くじゃないか。私より。
「嘘、ありがとう……わざわざ」
「甘いもの嫌いとかないか? 杏奈に何がいいか聞こうと思っていたんだがなかなか時間がなくて話す機会がなかった」
「ううん、ばあちゃん和菓子大好き! ありがとう!」
私は笑顔でお礼を言った。形だけの夫婦だというのに、ちゃんと考えてくれているのは素直に嬉しかった。きっと巧からすれば『そういう契約だから当たり前だろ』みたいな性格悪いこと言い出すんだろうけど、それでも今回はただただ嬉しい。
きっとばあちゃんが喜ぶから。
素直に笑った私を見て、彼はやや面食らったような顔を一瞬したが、すぐに普段通りのすました顔になった。
「別にこれくらいいい」
「ばあちゃん喜ぶよ、お菓子っていうよりそういう気遣いがさ。しまったな、私全く忘れてたや」
「時々会いにきてやってるんだろ。きっとそれが一番の見舞品だ」
「げ、何ちょっといい事言ってる。どうしちゃったの」
「お前はほんといい性格してるよな」
呆れたように言う巧の隣に、笑いながら並びそのまま駐車場を歩んで行った。
エレベーターで祖母が入院している階まで登り、病室まで廊下を歩く。個室の部屋だった。最後に尋ねたのは、確か二ヶ月以上前だったか。
忙しくて中々来れないのを歯痒く思っていた。特にここ最近はこの男との契約について時間を取られることが多く間が空いてしまったのだ。
見慣れた扉の前にたちノックをする。中から返事が聞こえた。
「おばあちゃーん、きたよー」
私は扉を引きながら声をかけた。そこそこ広めの個室の奥にあるベッドに、上半身を起こしたままこちらを向いているばあちゃんがいた。半分白髪混じりのグレーの髪は、肩まで伸びて揺れている。
鼻には酸素チューブが繋がっている。それから腕には点滴。以前会った時よりぐっと痩せたその姿に一瞬驚いたが、ばあちゃんはすぐに元気そうな声で笑った。
「杏奈ちゃん! 待ってたのよ〜旦那様を早く見せて!」
第一声がそんな言葉だったので私は笑ってしまった。中に入り、後ろにいた巧も続けて足を踏み入れる。ばあちゃんは私より背後にいた巧を見、そして嬉しそうに笑った。
巧は以前よく見ていた営業スマイルで、祖母の隣に立つ。
「初めまして、藤ヶ谷巧と申します。挨拶が遅くなって申し訳ありません」
爽やかさ満点のその姿を見て、そういえば藤ヶ谷巧ってこんな感じだったよなあと思い出す。最近性格が悪い場面しか見てなかったから忘れていた。
ばあちゃんは満面の笑みで微笑み頭を下げた。
「とんでもない、遠いところわざわざきてくださって……ありがとう。会えて嬉しいわ」
「こちら、お口に合うといいのですが」
「まあまあお気遣いありがとう、二人とも座って」
巧から見舞品を受け取り嬉しそうに言った。私たちは近くにあった椅子を引っ張りベッドサイドに構えて腰掛ける。おばあちゃんはもらった袋を覗き込んで言った。
「私ここの和菓子とっても好きなの」
「そうですか、それはよかったです」
「いやあ、杏奈ちゃん付き合ってる人がいるなんて全然言ったことなかったのに、こんな素敵な人と結婚なんてびっくりよ! 長生きはしてみるものね」
目が線になって無くなってしまうくらいに祖母は微笑んだ。それはそれは、嬉しそうな顔だ。
「ごめんね、えーと、内緒にしてて……巧はちょっと有名な人だし」
「そうなの。いいのよ、結果二人が幸せに結ばれたなら。それにしても想像以上の男前だわあ、杏奈ちゃんいい人見つけたのね」
巧はにっこりと笑う。
「そんなことありませんよ」
嘘だ、と私は思った。きっとこの男の心の中は、「当然だ満点の夫だろ」とドヤ顔しているに違いない。
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