第10話 オフモード
私は立ち上がって笑う。
「ごめんごめん、すぐ片付ける」
「いや、いいんだが……
こうなることを予測して、普通下着ぐらいは自分の部屋に部屋干ししないか?」
巧は腕を組んでため息をつきながら言った。ああ、なるほど。やけに気まずそうにしてるなあと思っていたら、干してあった私の下着を見てしまったからか。
私は首をかしげた。
「下着くらいいいじゃない、裸でもあるまいし」
私がいうと、ギョッとしたように彼は目を見開いた。信じられないコイツ、といった顔だ。
「お前……」
「何で見ちゃった方がそんな態度なの、下着の一枚や二枚」
「お前仕事の時と印象違いすぎる。敏腕秘書はどこへいった」
「だから仕事とプライベートは別よ」
私が言い放つと、巧はため息をついて片手で顔を覆った。あれ、どうしてそんな反応? この男なら、私の下着を見たくらいじゃ何も気にしなそうなのに。
「なるほどな、今まで男と関わらなかったからそういう感覚に疎いのか」
「そういうって?」
私が聞き返すと、巧は顔を上げて鋭い目つきで私を見る。つかつかと歩み寄り、私を上から見下ろした。
「危機感を持て。俺も男なんだから」
「そりゃ知ってるけど」
「俺がお前を襲わない保証はないだろ」
「だってすごく好きなシングルマザーがいるんでしょ」
キョトンとした私に対して、さらに彼は呆れたように首を振った。
「あのな。男は、別に好きじゃない女でも抱けるんだよ」
「それは知ってるけど、あなたはそんな頭の悪い雄とは違うでしょう?」
私が言うと、驚いたように目を丸くする。
「藤ヶ谷グループの副社長、好きな女の人もいる。なのにそんな馬鹿げたことをするわけない、夫婦間でもレイプは成立するっていうし、私が世間に声をあげたらおしまいだし」
「…………」
「脅すようなこといっても無駄だよ、私たちはこんな形の結婚をしたことでお互い弱みを握ってるんだから。そんなことくらいわかってるくせに」
「……お前さあ……」
もう何度目かわからない深いため息をつかれた。
がくりと項垂れるその姿が、なんだか力ないように見えた。そんな光景が珍しくてつい人間らしいな、なんて感心する。
「そういうところで冷静に反論するな。普通なら狼狽えるところ」
「ごめん」
それもそうだと思ってつい謝ってしまった。三次元に興味ない私はいつでも目の前の人間を男と意識することができない。確かに少女漫画なら、きっと慌てて干してある下着を隠しにいくイベントだ。
巧は困ったように頭をかき、私に言いにくそうに言った。
「じゃあこういえばいいか。
別に好きでもない女のものでも下着をみればやや欲情するのが男として面倒なので部屋干ししてくれ」
「はーい」
「なんで急に素直になるんだよ」
「女にはわかんない苦悩なんだなって今思ったから。大変だね男も」
「そんな同情のされ方されたの初めてだ」
項垂れて彼は言う。そんな弱々しい姿が、の藤ヶ谷巧だなんて思えなくて私は笑った。意外と可愛いところあるんだな、なんて思う。
笑われたことが癪だったのか、ギロリと睨まれる。おっとと笑顔をとめた。確かに洗濯物を干しっぱなしだった私が悪い。もうこれ以上はやめて素直に従おう。
「では急いで片付けてきます」
「そうしてくれ」
私は慌ててリビングを出て行った。
洗濯物を全て取り込み自室へ入れ、再び晩酌へと戻った。冷めないうちに巧が作ってくれた料理を食べて喜ぶ。これ本当に舌に合う、美味しい。
それにしても、下着だけは自室で部屋ぼしとは面倒くさい。正直そこまで考えていなかった。
先ほど指摘された通り、三次元の男とほとんど接してこなかった私は色々な面で疎い自覚はある。ルームシェアしていくなら、そのことで巧に不快な思いをさせるのはいけないと思った。気をつけねば。
酒も進み空の缶が増えた頃、お風呂から出てきた巧がリビングへと入ってきた。つまみのスルメをかじりながら、反射的にそちらへ目を向けると、広範囲に肌色が見えた。
「お先」
巧は上半身裸で現れた。髪は濡れて普段のキチっとした印象とはまただいぶ違う。筋肉質な自分とは違う広い胸板に一瞬目を奪われる。広い肩幅、厚い胸板、逞しい腕。
服の上からはわからない鍛えられた体。すごい、こんな至近距離で男の人の体なんて見たことない。
そういえばオーウェンってセクシーショットなかったなあ……ロータスはあったのになあ。そういうサービスショットってやっぱり必要だと思うんだけど。
「……杏奈」
「え?」
「見過ぎ」
いつのまにかスルメを齧るのも忘れて、私は彼の体を注視していた。しまった、めちゃくちゃガン見してしまっていた。
「ごめん、いい体だなと思って」
「お前親父か」
「それ鍛えてるの?」
「別に」
「へえー男の人はやっぱり鍛えなくてもそれだけ立派な筋肉つくんだねー女とは違う。うんうん」
「…………」
スルメを齧って感心し素直に賞賛の言葉を投げた。けれど、濡れた髪をタオルで拭きながら、巧はどこかげんなりするように目を伏せた。
「思ってた反応と違う……」
「え?」
「なんでもない。俺ものむ」
巧は冷蔵庫まで向かい、中から冷えたビールを取り出した。それを持ち私の隣までくると、すとんとソファに腰掛ける。
ここにきて、巧と隣に座ったのは初めてだった。思ったより自然だし、気まずくもない。
「温めようか、さっき作ってくれたやつ」
「できるのか」
「レンジくらいできるよ!」
先ほど巧が作った料理はやや冷めていたので、それを持ってレンジに放り込む。ちなみに私の分はとっくに完食している。
温まったそれを再び巧がいる方へ持っていき置く。立派なダイニングテーブルも存在するのに、私たちはローテーブルに食物と飲み物を広げてくつろいでいた。
「ありがとう」
「いいえ」
ビールを煽った彼は私が広げたつまみを指先で掴んでぽいっと口に入れた。黒髪の毛先から小さな雫が落ちる。それを鬱陶しそうに、タオルで拭いた。
なんとなくそれをじっと眺めながら私もお酒を口にする。
いつもスーツ姿で髪も乱れないスーパー副社長が、ビールとお菓子を摘んでる。上半身は裸で。なんだか違和感を感じると同時に、すごく親近感を覚えた。なんでも怖いくらい準備が良過ぎるし、用意周到すぎて恐怖だったけれど、こう見ればただの人間なんだなって。
当たり前のことだけれど再確認。巧もプライベートは普通の人間なんだなあ。
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