第3話 もう戻れない



 とりあえずその日は連絡先だけ交換して私たちは別れた。


 普段と変わらぬテンションで仕事をこなし家に帰り、一人暮らしのやや散らかった部屋に入り電気をつける。オーウェンのポスターにフィギュア、抱き枕。私のオアシスとも言える場所だ。


「あーオーウェンただいま〜フリードリヒ、ロータスもただいま〜!」


 オーウェン以外にも推しはいる。彼が一番だけど、二次元は色んな人を好きになっていいのもいいところ。三次元じゃこうはいかない。


 持っていた鞄を放り投げて一旦その場に座り込む。今日も忙しかった、疲れた。帰宅した安心感ではあーと大きなため息を吐いた瞬間、ふと自分の頭が冷えた。


……今更だけど、私なんであんな誘いに即答したんだ??


 あの後も仕事が忙しくてゆっくり考える暇もなかったが、冷静になってみればなんて判断を下したんだろう自分は。正気を失っていたのか。まともじゃないプロポーズを受けてしまった。何が冷静に、だ。今思うと全然冷静じゃなかっただろうに。


「いや、やばいな、今更ながら大丈夫かな」


 腕を組んで一人大きな声で言う。


 藤ヶ谷巧さん、噂によればかなり気難しい人だと聞いている。他人にも自分にも厳しく、仕事上下さねばならない少々過酷な判断も、彼は気に負うことなく即決するとか。


 まあ少しして離婚すればいいやとおもってたけど、それまでルームシェアするんだしなぁ……やっぱりもう少しちゃんと考えた方がいいのでは?


 今更そんな当たり前なことを思った自分は、先程放り投げた鞄を手に取り中から携帯を取り出す。藤ヶ谷さんに連絡しようと思ったのだ。


 が、そこにはすでに一通のメッセージが届いていた。


「……もしやの?」


 慌ててそれを開く。想像通り、送り主は藤ヶ谷さんだった。


 もしかしたら向こうも今更冷静になったのかも、なんて期待を抱く。


『購入しておきました』


 そんな短い文章に、画像が何枚か添付されている。


「……うわぁっ!!」


 持っていた携帯を落としそうになる。


 マンションだった。


 外観、内装に間取り図が送られてきている。4LDKの高級マンションだ。立地も環境も申し分ない。


「購入しておきましたて!! トイレットペーパーのストックか!」


 大声で返事のないツッコミをした。一般家庭に育った自分としては感覚の違いに震えを覚える。さすがは藤ヶ谷グループ副社長だ、半日足らずで普通高級マンションの購入即決するかな?


 というかこれ、もう引き下がれないパターンなのでは……!


 あわあわと慌てているところに、またしても藤ヶ谷さんからメッセージが届いた。ぎくりと携帯を見つめる。嫌な予感がする。


 恐る恐るそれを覗き込むと、今度はこう書かれていた。


『両親には話しました、非常に喜んでいます。

 両親へ紹介する日程を決めましょう、15日などどうですか』


 あ、もうこれ引き下がれないやつだ。今更無かったことになんかできない。


 昼間の早まった決断に自分を殴りたくなった。なぜせめて『考える時間をください』ぐらいにしておかなかったんだ、あの時はおばあちゃんの笑顔が脳裏によぎってつい同意してしまったんだ。


 頭を抱えた。


「もし断ったら社会的に抹消されそうだ……」


 相手はうちの会社にとっても逆らえない藤ヶ谷グループ。


「オーウェン……これは逃げられないよ」


 目の前に貼られたポスターを見て半泣きで囁いた。金髪の彼はただいつもの優しい笑顔で私を見ている。


 とんでもないことになってしまった。もう相手の家族にご挨拶とは。……いや、もうも何もない、私たちに恋人期間なんてないんだから。


「仕方ない、こうなったら割り切って高級マンションでルームシェア、するしかない」


 このためにマンションまで購入してもらったんだ、私もできる限りのことはしよう。とりあえずは、ご両親に気に入っていただけること。ここで結婚反対されてはマンションが無駄になる。


「て、ゆうか、私も親に言わなきゃ」


 ついこの間まで「結婚の予定? ナイナイ」と両親に即答してガックリさせていた私が突然結婚だなんて言い出したら、二人とも驚きで失神するかもしれない。


 そもそもどうやって藤ヶ谷さんを紹介すればいいんだ? どこで知り合ったんだとか、付き合ってどれくらいだとか絶対色々聞かれるに違いない。


 困った。やっぱり安易に契約を決めては行けなかった。


 携帯を片手に戸惑っていると、突如それが鳴り響いた。画面を見ると、今度は彼から電話が来ていた。


 メッセージに電話と忙しないな……。行動力があると褒めればいいんだろうか。


 私は少しコール音を聞いてから、それに出る。


「はい、もしもし」


『高杉さん、私です。先ほどお送りしたもの読まれましたか』


 落ち着きのある、凛とした声が聞こえる。仕事が出来る男とは、その話し方一つにも表れると私は思っている。その声からは自信を感じ、人を魅了する声をしている。


「え、ええ……あの、マンションとか驚いてるんですが」


『あなたにも相談しようとは思ったんですが、気に入らなければまた他に買えばいいかと思いまして。場所はあなたが通勤しやすいところを選んだつもりですが』


 他に買えばいい!?? 藤ヶ谷グループって、想像以上の金持ち!!


 眩暈を覚えながらもなんとか食いしばる。


「い、いえ……勿体ないくらいです」


『それで15日の予定はどうでしょうか。両親がすぐにでもと言ってまして』


(マジで逃れられないわ……)


『まさか今更怖気付いていませんよね?』


「は、はい!! まさか!」


 そのまさかなのだけれど、悟られてはいけないと思った。ここまで来たら引き下がれない。自分で下した決断の責任はとらねば。私は自分を戒める。携帯を耳に当てたまま背筋を伸ばした。


『よかった。高杉さんのご両親にもご挨拶に伺いますので予定を決めておいてください』


「はい……」


『ボロが出るといけないので色々設定を考えましょう』


 藤ヶ谷さんの用意周到な設定を、その後延々と告げられた。



・付き合って一年

・キッカケは仕事で会った後藤ヶ谷さんから誘って食事をとった

・仕事に支障が出たりするといけないので周りにはずっと秘密にしていた




「はあ……わかりました」


『あとは何か聞かれたら私が答えますから適当に合わせてください。仕事は続けられますか?』


「はい」


 即答した。離婚した後仕事もなしでは今後に困ってしまう。仕事は今のまま続けていくのが妥当だ。


『分かりました。両親は恐らく退職をすすめて来ると思いますが上手く説得します。

……それで、恋人同士ということで名前も呼ばせて頂きます、いいですね杏奈』


 突如呼ばれた名前に、一瞬どきりとした。男性から下の名前で呼ばれる事なんてない。オーウェンは私の名前を呼ぶことはないのだ。


『あなたも私を適当に親しみやすい呼び方をしてください。では15日の場所や時刻はまた連絡します。あなたもご両親に説明しておいてくださいね』


 有無を言わさない威圧感。これが、あの藤ヶ谷グループ副社長の力なのか……。


 私はもう素直にハイ、と返事をするしかなかった。




 ちなみにその後母に電話し、結婚したいことと、相手があの藤ヶ谷グループの副社長であることを告げると、変な奇声をあげて卒倒していた。ああ母よ。





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