第4話 顔合わせ
来たる15日、私は呼ばれたレストランに行くために準備をしていた。ある日唐突に自宅に送られてきた高級そうなワンピースを身にまとい、髪もしっかりセットする。はて、住所は教えてないはずなのだが、細かいことは気にしないでおこう。
約束の時間に迎えに行きますと言われたため、自分のアパート前で待機しておく。
藤ヶ谷グループの社長とは仕事上顔を合わせたことはある。ぱっと見気のいいおじさまという感じだったが、奥さんの方は見たことがない。
私は一般庶民だし、果たして結婚を了承されるかどうかすら怪しいと思う。そうなれば契約自体パーで、高級マンションも無駄となる。そのあと私はどうなる? 冷酷と有名な藤ヶ谷巧に何をされるのか。
やや憂鬱なきもちで待っていると、目の前に高級車が停まった。どこにでもある平均的な家賃のアパート前に異質とも呼べる車だ。
颯爽と、中から藤ヶ谷さんが出てきた。仕事中と変わりなく、ピシッとした身だしなみだ。だが今日はスーツではなく、私服姿だった。
そこそこ身長のある私、しかもヒールを履いているのに、それでも藤ヶ谷さんの背は高い。文句の付け所がない顔面は、営業スマイルで私をみた。
「お待たせしました、どうぞ」
挨拶もなく彼はそう言い、助手席のドアを開けてくれる。私は一度お辞儀をして中へ乗り込んだ。
ふわりと優しいコロンの香りがした。座り心地のいい革のシートに身を任せ、シートベルトを着用する。
すぐ運転席に乗り込んだ藤ヶ谷さんは、車を発車させた。エンジン音が響く。
「……ええと、洋服、ありがとうございました」
とりあえず沈黙が気まずかった私はお礼を述べる。
彼はああ、と思い出したように呟きながらハンドルを回した。
「あれくらい。妻になる人に贈るには足りないくらいですよ」
「は、はあ」
「それより私の呼び名は大丈夫ですか、間違えて藤ヶ谷様なんて呼ばないでくださいね」
「はい、巧さん」
私がそう呼ぶと、彼は満足げに頷いた。
「まあ、あなたは敏腕秘書と有名な方ですから。そんなボロは出さないでしょう」
「仕事とプライベートは違いますけど……」
「契約、なのですからこれも仕事と同じですよ。そうだ、そのぎこちない敬語もなんとかしましょう。いいかな、杏奈」
自然と抜けた敬語に、私は頷くしかできない。私も取らなくては敬語。……一番難しいかもしれない、職業上藤ヶ谷副社長にタメ口って。
「それで、杏奈のご両親はなんて?」
ハンドルを握りながら彼は尋ねた。とてもスムーズな会話の入り方だった。どこか私も肩の力が抜ける。
「ええと、喜んでた」
「それはよかった」
「またうちの両親との顔合わせは日程を連絡しま、するから」
つい溢れそうになった敬語に、藤ヶ谷さんはちらりとこっちを見てくる。どきっと心臓が痛くなった。だめだ、失敗は許されない。タメ口、呼び名!!
「ああ、それで頼む」
敬語が取れたことでどこか威圧感を感じるのは気のせいだろうか。恋人というより、上司と部下みたいな。この人の性格なんだろうなあと冷静に分析する。
「で、結婚式のことなんだけど」
「ぶ!」
ついむせかえる。
「け、結婚式!?」
そんな単語が自分の脳から消えていたことに自分で呆れる。相手はあの藤ヶ谷グループの副社長だ、そりゃ結婚式も大々的に行うに決まっていた。
多くの人を呼びドレスを着て誓いのキス?
オーウェン、私無理だよ!
「その顔は嫌だって顔だな」
ふ、と彼が笑った。私はちらりと隣を見る。
「ええと、正直そのことは忘れてて」
「まあ、俺も挙げたくないからここはなんとか挙げない方向で説得しよう」
……あ。俺、だって。初めて聞いた一人称が何故か気になった。
普段営業スマイルで私、なんて呼んでる藤ヶ谷さんも、プライベートでは俺なんだ。へえ、人間らしい。
「なんとかそれで通してほしい。私も見せ物になるなんて嫌」
「同感。お互い他に好きな人がいるわけだし」
「そうね」
私が即答した時、ちょうど赤信号に止まる。藤ヶ谷さんがこちらを振り向いた。
「なんだ、やっぱり今相手がいるんだ?」
「え?」
「男に興味ないっていうのは知ってたけど、今現在の恋愛についてはどうなのか分からなかったから」
「ああ、ええと、うん」
めんどくさいのでそういうことにしておく。ちなみに無論好きな人とはオーウェンのことなのだけど。
藤ヶ谷さんは納得したように何度か頷く。再び前を向くと、青信号に変わったためまた車が動いた。
「パートナーは結婚について理解してるのか」
「ええ(二次元なので)」
「同居についても?」
「ええ(二次元なので)」
「それはよかった。お互い理解のあるパートナー持ちってことか」
何の疑問も持たずに納得した藤ヶ谷さんに、少し呆れる。こんな状況を理解してくれる人なんて普通いないよ。あなたのお相手のシングルマザーが変わりすぎてるだけ。
藤ヶ谷さんのお相手とやらについて少し聞いてみようと思ったところに、彼の言葉が響く。
「理想的だ」
「え?」
「お互い相手がいる方が関心が逸れる。恋愛対象が男じゃないと言っても、俺に惚れない保証はないだろ」
「…………」
すんごい自信家。ちょっと今鳥肌立ったわ。
いや、頭よし家柄よし顔よしとくれば自信がついても仕方ないか。でももうちょっとそれ隠してくれないかな。
「ご安心を。私は絶対あなたを好きになりませんから」
ビシッと断言する。いくら顔が良くても家柄が良くても、ちょっと性格に難がありそうだもの、これ無理。
となりでぷっと笑う声が聞こえた。横を向くと、面白そうに笑っている藤ヶ谷さんがいた。
「いや、素晴らしい宣言だ」
「はあ」
「でも敬語だったぞ」
「しまった」
何がツボだったのか、彼はそれからしばらく小さく笑いながら運転を続けた。
「まあまあまあまあ! こんな素敵なお嬢さん、どうして今まで紹介しなかったの!」
レストランに到着した途端、上品な美人の奥様が私を見て声をあげた。隣には以前も仕事でお会いしたことのある藤ヶ谷グループ社長。二人ともさすが、出立ちだけで只者ではないことがわかる。
思ったより歓迎されていることに目をチカチカさせながらも、私はニコリと笑って丁寧にお辞儀した。
「ご挨拶が遅くなってしまい申し訳ありません。高杉杏奈と申します」
「あなたが謝ることじゃないわ、さあさあ座って!」
顔を綻ばせ私に話しかける奥様は、どうやら本当に息子の結婚話に賛成らしい。少し良心が痛む。
隣の社長が微笑んだ。
「以前お会いしたことあるのを覚えているよ、いやとても素晴らしい仕事ぶりで感心していた」
「そんな勿体無いお言葉を」
「君みたいな人が巧の結婚相手ならなあと思っていたんだよ、本気だ」
「またまた、お上手ですね」
思ったよりいい妻を演じられそうな自分に安心した。なんせ仕事中のテンションで対応しておけばいいのだ、伊達に秘書の仕事を長くやってきたわけじゃない。
私たちは椅子に腰掛ける。人数分のカラトリーを見た時、一人分多いことに気がついた。
不思議に思っているところに、藤ヶ谷さんがそれを指摘する。
「樹はまだなのか」
やや不機嫌そうに言ったのを、奥様がたしなめる。
「もう来るわ、さっき連絡があったから。そんなピリピリしないで」
私はちらりと隣の巧さんを見上げる。その視線に気づいたようで、すぐにああと思い出したように説明してくれた。
「すまない、弟が遅れているようで」
「弟がいたの?」
驚いて声をあげて、しまったと思う。一年も付き合ってる設定なのに、弟がいることを知らなかったのは不自然だ。
だがしかし、奥様が困ったように言った。
「やだ、教えてなかったの? 昔から兄弟仲があんまりよくなくてね〜。ここ最近は仲良くなったと思ってたんだけど」
「あ、そうだったんですか……」
藤ヶ谷グループの副社長をしている巧さんは、後継者として雑誌に載ったりその名前が噂されたりしていたけれど、弟の存在はまるで聞いたことがない。
兄があんな大きな会社を継ぐとなれば、多少劣等感もあるのかもしれない。
「樹さん、も藤ヶ谷グループにお勤めなんですか?」
「いや、弟は全く違う仕事をしてる」
「え、そうなの……」
私がそう呟いた時だった。バタバタとした慌ただしい足音が響いてくる。反射的にそちらを見ると、長身の男性がこちらに近づいてくるのが見えた。
そのビジュアルを見てぎょっとする。
陶器のような肌、色素の薄い瞳、どこかあどけない可愛らしい顔立ち。異国の血が混じっていそうな、とんでもない美青年が現れたのだ。
これはこれは、藤ヶ谷家の遺伝子とは素晴らしい。私は素直に感心した。
巧さんとは違うタイプだが、とにかく顔が綺麗。こんな兄弟反則だと思う。
だが樹さんの髪は茶色に染められ、ピアスがつけられていた。キチッとしている巧さんとはまるで正反対の印象だった。
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