俺の知る伝承は、玉藻前に化けた九尾の狐が石にされるというものだが、ふたりの話を聞いている限りでは、石にされたのは絡新婦ということになる。


では、玉藻前は九尾の狐ではなく、絡新婦だったという事か……。


けれど、その伝承に絡新婦は登場しない。


いったいどういうことだろう……。


頭を抱える俺をよそに、会話は進む。


『そのままくたばっていれば再びここで討たれずに済んだものを、懲りずにしゃしゃり出てきおって、ほんにうっとうしい奴じゃ』


蔑むような薄ら笑いを浮かべた九尾の狐に、絶対的な優位を確信しているのか、絡新婦が皮肉に言い募る。


『そんな所で吠えていても仕方あるまい。それこそ負け犬の遠吠えじゃな』


そう言うと、絡新婦はククッと喉を鳴らして笑った。

それには耐えられなかったのか、九尾の狐が怒りの声を上げた。


『お前のような虫けらなんぞ、檻の中におっても余裕じゃわい』


すると、靄のような塊が犬のような塊になって絡新婦へと向かっていった。

その塊が大きく口を開け絡新婦を飲み込んだ。


『奴の動きを封じていられるのも時間の問題じゃ。早うわらわを此処から出せッ!』


美しい顔が怒りで歪む。

狂気を含んだその眼光にゾッと背筋が寒くなったが、その言葉には従えない。


「無理だ! 俺にはできない」


どうして九尾の狐が檻に入れられているのかも分からないのに、どうやって解き放てというのか。


けれど、たとえ知っていたとしても、きっと俺はこの檻を解いたりはしない。


九尾の狐はフンと鼻を鳴らす。


『お主を喰らうとでも思うておるのか?』


馬鹿にした口調で言う九尾の狐に、俺はうなずいて見せた。


「ああ、そうだな。喰らいたければ喰らえばいい。でも、あいつを討ってからだ」


どんなに馬鹿にされようと、どんなに脅されようと屈する気はない。そんな思いを込めて、語気を強めて言った。


語気の強さにというより、言葉の内容に九尾の狐の態度が急変した。

九尾の狐は、ギリッと鋭い視線を絡新婦に向けた。


『ならぬッ! 奴はわらわが仕留める。お主では奴を討つことはできぬ』


そんなこと、言われなくてもわかっている。自分では力不足だということは、重々承知だ。それでも諦めることはできない。


「そうかもしれない。でも、俺はあいつを許せない。大切な友だちを……匠実を……絶対に許さない」


そう断言した時、絡新婦を飲み込んでいた黒い塊から銀色の糸が何本も飛び出し、俺は瞬時にしてその糸に体の動きを封じられてしまった。

細く頼りなく見えるが、引きちぎろうにもまったく切れることはない。


『グズグズしておるから、そんなモノに捕まるのじゃ。早う此れを解けッ!』


苛立ちをむき出しに、九尾の狐が吠える。


苛立つのも無理はない。

こんなに容易く動きを封じられているのだから。


『解かぬというなら、お主ごとこの檻を焼き払うぞ』


言うなり、九尾の狐の頭身が炎に包まれる。

途端に体の奥深くが熱くなる。


「……グハッ」


まさに『はらわたが煮えくり返る』熱さに、口から血を吐き出した。

気づけば動きを封じていた糸も焼き切られていた。


「死にたくなければこれを解け」


さっきよりも冷静な声で、九尾の狐が言った。 

何度となく檻を解けと言われているが、そもそも何故九尾の狐が檻に入れられているのかもわからない。


「……なんで檻に入れられてんだよ」


純粋に質問しただけなのに、九尾の狐の機嫌はさらに悪化する。


「何を寝ぼけたことを。お主が檻に閉じ込めたんじゃろッ!」


んなわけあるかよ。


俺にそんなことできるわけがない。そんな術が使えてたら邪鬼に怯える生活なんかしていない。


「悪いが、お前を檻に入れたのは俺じゃない」


「なんだと? ……そうか、あの時の小僧か。ならば力ずくで解くのみ」


なんだ。自分で解けるのか。


だったら最初からそうすればいいのに……。って、なんで、九尾の狐ははじめから自分で破らなかった?


待てよ……。これって呪詛返しってやつか?


だったらかけたヤツはどうなる?


拘束している力の倍の力で無理やり解くわけだから、ダメージは相当なモノだろう。


そもそも九尾の狐はなんで檻に入れられてるんだ?


『あの時の小僧』って……、もしかして甘楽のことか?


そういえば修学旅行で襲われた時、光の円が獣の形を霧を包み込んだ。


あれが檻だとすれば、術をかけたのは甘楽だ。


九尾の狐が無理やり術を解けば、その報いは甘楽へと向かう。


「ま、待った! ダメだ! ダメッ! 無理に解けば甘楽が傷つく」


『わらわの知ったことではないわ』


九尾の狐はしびれを切らしたように怒鳴った。


するとまた九尾の狐の頭身が炎に包まれる。しかも、さっきよりも炎に勢いがある。


「おい! よせッ!」


腹の中が次第に熱くなる。先ほどの比ではない。

立っていられずに、その場に膝をつくとさっきよりも多くの量の血を吐いた。


もしかしたら、俺だけじゃなく甘楽にも同じことが起きているかもしれない。


「や……止めろッ! 俺が……ヤツを倒す。だから……お前はジッと……してろ」


「お主の言うことをわらわが大人しく聞くとでも思うておるのか?」


「言うことを聞かないなら、今ここで俺がお前を狩る」


「今あのクモの動きを止めてるは、わらわじゃぞ。血反吐を吐いてうずくまっているお前に何ができる?」


九尾の狐の言うことはもっともだ。

でも、甘楽を傷つけるわけにはいかない。

これ以上誰かが傷つくのはごめんだ。


それに、匠実を人ならざるモノに変えようとした絡新婦のことは絶対に許せない。


あいつは俺が狩る。


どんなに九尾の狐が怒り狂おうと、それは譲れない。


とはいえ、俺にはなんの力もない。

一矢報いどころか何もできないかもしれない。

その可能性のほうが大きい。


「俺が、俺が死んだら……好きにしていいから」


「それまで黙って見ていろと?」


頷いて見せると、九尾の狐は鼻で笑った。


「わらわは妖ぞ。人間の戯言を聞くとでも思っておるのか?」


そう言って意地の悪い笑みを浮かべた九尾の狐に、俺も笑って見せた。


「お前はすぐにでもその檻を解くことができる。俺を殺すことも造作ないことだろ? でもお前はそれをしない」


『それはお主の思い込みにすぎぬ。わらわはすぐにでもこの檻を解き、お主を喰らう』


「いや、お前は……そんなことしない」


『何故そう思う?』


「笑った顔が、とても悲しそうだから」


九尾の狐がハッとしたように目を見開いた。

一瞬の沈黙ののち、九尾の狐がフッと笑った。


『お主は……あの方によう似ておる。わかった。思う存分怒りをぶつけてまいれ。お主の屍はわらわが拾うてやる』


九尾の狐が笑みを浮かべると、煮えくり返っていた腹からスッと熱が引いていくのがわかった。

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