呆然とその様子を見ていたが、ガックリと肩を落とす匠実の姿に、恐る恐る声をかけた。


「匠実?」


 振り向いた匠実は、真っ赤になって怒鳴り返してきた。


「俺は……俺は、願いを叶えてほしくて……そのために必死に集めたのに……それなのに……それなのにッ!」


 徐々に匠実の様子が変わっていき、匠実の顔が憎悪に歪んでいく。


「必死で集めた魂を、あいつらがそれを全部無駄にしやがった」


 そう言って、匠実は余市さんたちを鋭く睨んだ。


「匠実お前、妖と取引したのか? それがどういう事か分かっているのか? 妖と取引をするということは、それなりの代償を払うってことだぞ」


 揺さぶるように匠実の肩を掴んだ俺の手を、不快気に払う。


「うるさいな」


 これまで匠実が俺のことをこんな風にあしらった事はなかった。


 だから、余計に不安が募る。


 少なくとも、匠実は人に頼ってまで望みを叶える奴じゃない。


 それほどに叶えて欲しい願いとは何だ?


 それ以前に、匠実に人の魂を奪う術はない。


 ならどうやって?


 考えれば考えるほど不可解な要素が増え、頭の中はいくつもの糸が絡み合って縺れていく。混乱すればするほど匠実の表情は険しくなり、否定すればするほど匠実の顔は怒りに歪んでいく。


「匠実?」


 額に青い筋をいくつも浮き上がらせ、目を吊り上げるその表情は、まるで悪鬼の形相だ。


 突然、匠実が俺の首に手を這わせ、力の限り絞めあげてきた。その手は、解こうにもビクともしない。


「……た……くみ?」


 息が出来ない苦しさと、首を絞めつけてくる痛みで頭の中が真っ白になる。抵抗することさえも出来なくなったとき、不意に締め付けられていた手が解けた。


「ッゴホッ、ゴホゴホゴホゴホ……」


 急激に大量の空気が入り込んできて咽ていると、肩に刃が刺さって呻く匠実の姿が目に入った。刃が刺さった肩からはシュウシュウと音を立てて、黒い霧のようなものが出ている。


「そいつはもう、人ではない。お前もそれに気づいているんだろ?」


 声がした方をみると、甘楽が立っていた。


「そんな……そんな事はない」


 首を絞められたせいなのか、恐怖ゆえか分からなからない。でも、俺の口から出たのは頼りない掠れた声だった。


 そんな俺を、甘楽は静かすぎる表情で見つめていた。


 甘楽は痛みに呻く匠実にチラリと視線を投げると、無表情に告げる。


「俺の刃は、普通の人間には刺さらない」


 その言葉を理解できなくて、いや、理解したくなくて、聞き返した。


「何を言ってるんだ?」


「そいつは……藤原はすでに人ではない。俺の投げた刃が刺さったことが何よりの証拠だ。それは……人に仇なすモノを狩る刃だ」


 痛みに悶える匠実を見ると、肩に刺さった刃が匠実を黒い霧に変えようとしていた。


 なんで匠実が?

 なんで……。


 考えても答えが出るわけもなく、その間にも匠実の体は少しずつ黒い霧となり散っていく。慌てて匠実に駆け寄り、刺さった刃を抜こうとした。


 けれど、空を掴むばかりで刃に触ることすらできない。


「甘楽ッ! 甘楽、早くこの刃を抜いてくれ。匠実が……匠実が消えちまう」


 何故か視界がぼやける。


 無表情に見つめる甘楽の顔も、苦しそうに顔をしかめる匠実の顔も滲んで見えくなる。


 空を掴む手にポタポタと水滴が落ちた。


 この時、初めて自分が泣いている事に気付いた。涙を拭う事も忘れ、叫んだ。


「甘楽ぁ~頼むから、これを……これを抜いてくれよぉ~、匠実を助けてくれ」


 必死に頼む俺の声が聞こえないはずはないのに、甘楽はただそこに立っているだけで何もしてくれない。


「甘楽にも、どうすることも出来ひんのや。自分の手を離れた刃はどないすることも出来ん。甘楽をそないに責めんといて、甘楽はお前を助けただけや」


 責める俺の視線からかばうように、多紀さんが甘楽の前に立ちはだかる。


「俺は……俺は……」


「助けてくれなんて頼んでいない、なんて言うなよ」


 言いよどむ俺に、怒りにも似た声をかけてきたのは余市さんだった。


 気付けば上総さんも穂国さんも、俺と匠実を囲むように立っていた。周りを見渡すと、すでに人ならざるモノたちはいなくなっていた。


 まるで、後は匠実を残すのみと言外に言われているようで、俺は守るように匠実を抱きすくめる。


 するとの首元に冷たい何かを感じた。


 見れば刃が向けられていた。


 信じられない思いでその刃の先を追うと、余市さんが居た。余市が俺の首元へ、長い槍の刃を向けていたのだ。


「我々は人に仇なすモノを狩る。それが誰であろうとだ。例えば甘楽が人に仇なすモノにくみすれば、我々は容赦なく甘楽を狩る。だが、仲間の誰かが窮地に陥れば、持てる全ての力で助け出す。それがたとえ人ならざるモノであろうとな」


 余市さんの声が冷たく胸に突き刺さる。


 匠実を助ける術がないと告げられた気がした。


 匠実は人の魂を奪っていた。


 匠実は人に仇なモノだ。だから狩るって言うのか?


 このまま黙って匠実が霧となって消えるのを見てろって?


 いや、違う……そうじゃない。


 余市さんはなんて言った?


『持てる全ての力で助け出す』と、それが『人ならざるモノ』であろうと助けるとそう言った。


 俺は余市さんを見た。


「彼を狩ろうとする甘楽に牙をむくか? それとも我らとともに仇なすモノを狩るか? どちらを選ぶ?」


 先ほどよりも厳しい声で余市さんが聞いてきた。

 そんなの決まってる。


「俺は、仇なすモノを狩る」


「中途半端な気持ちじゃ、お前まで乗っ取られるぞ」


 穂国さんが真剣なまなざしで俺を見つめてきた。


「俺が匠実を助けます」


「よう言うた。これは君にしか出来ひん事や」


 俺の言葉に多紀さんが嬉しそうに言った。

 でも、多紀さんの言葉の意味が分からなかった。


「お、俺にしかできないこと?」


 尋ねる俺に、多紀さんは目を丸くして驚いた。


「なんや、見えてへんかったんか?」


「え?」


 見えてへんかったんか? って何が?


 首をかしげる俺に、多紀さんは少し呆れたように言う。


「ほんまけったいなヤツやね……。ま、それは置いといて、この子の中に居るもんを引っ張りださなあかんねん。そやけど、俺らじゃ気が強すぎてこの子を消してしまうんや」


 多紀さんの言葉を補足するように、上総さんが言葉を続ける。


「はじめは外から操っていたようですが、うまく操れなかったのでしょう。この子の中に入り込み乗っ取る算段のようです」


 そう言うと、上総さんが匠実の首筋を指さした。


 すると首に大きな痣があった。


 こんなところに痣なんかあったか?


 匠実とは小学生のころからの付き合いだ。こんなでっかい痣なんかなかった。


 でもなんだか普通の痣とは少し違うような……。


 しかもこの痣、クモのような形をしている……って思ったら、モソリと痣が動いた。


 まるで肩に刺さった刃から逃れようとしているかのようだ。


 これが、匠実を狂わしている元凶なのか?


 でもどうすれば……。


 匠実の中に巣くおうとしているモノを引っ張り出すったって、俺にはその手段も方法もわからない。


 どうしろって言うんだよ……。


「呆けてる場合か? 早くしないとコイツは消えるぞ」


 途方に暮れる俺に容赦なく厳しい声をかけたのは、甘楽だった。


「消えるったって俺に何ができるんだよッ!」


 ふがいない自分に腹が立ち思わず怒鳴ってしまった。


「助けるって言ったのはお前だろ。それとも口先だけか?」


 甘楽が挑発するように言った。


「違うッ! 口先なんかじゃない! 匠実は俺が助ける」


 絶対に!


 考えろ……考えろ、考えろ考えろ……。


 俺にも何かできるはずだ。


 そうだ! この前襲われた時に出した弓はどうだ? 今度はちゃんと矢を撃てるかもしれない。


 いや、ダメだ。そんな不安定なものに頼っている場合じゃない。しかも弓矢じゃ、匠実ごと消えちまう。


 なら……九字切りはどうだ?


 ダメだ。あれは護身法だ。


 考えても一向にいい考えが浮かばない。


 そもそも自分には匠実を救う術がない。

 どうやって匠実を救えばいい?


 何もできない自分が情けなくて、知らず手をギュッと握っていた。

 その時、左手がほのかに熱を帯びていることに気づいた。


 そうだ!


 これならいけるかも。


 そう思って、左手を痣にあてた。


 すると、ジリっと音がして、その痣から黒い煙が出た。


 途端にその痣が匠実の身体から飛び出した。


 その拍子に匠実は力なくその場に崩れた。


「匠実!」


 慌てて抱き起すと、それまで鬼の形相していた匠実の表情が、穏やかな表情へと変わっていた。


 肩に刺さっていた刃も消えていた。


 もう匠実が消えていなくなることもないのか?


 そう思って甘楽をみると、甘楽も安心したような表情で無言で頷いた。


 ホッと息をつきかけた時、目の前を黒い何かが横切る。


 すかさず余市さんが槍で突こうとした瞬間、美しい女性の姿になった。


 襟をたっぷりと抜いて着物を着崩し、帯もゆったりと結んでいる姿は妖艶だが、長い髪は蜘蛛の足を思わせる。青白い肌に真っ赤な口がニィっと笑った。


『我の玩具を盗ったのはお前か?』 


「ようやく姿を現したか、絡新婦じょろうぐも


 余市さんも負けず劣らず妖艶な微笑みを返した。


 俺以外の者は、絡新婦の存在に気付いていたようで、さほど驚いた様子はない。俺だけが、突如現れた絡新婦の姿に唖然としていた。


 絡新婦。


 糸で人間を操ったり動けなくして、食べたり殺したりする妖怪。四百歳になると美しい女性に化けることが出来るようになると、おじいちゃんが遺してくれたノートに書いてあった。


 ということは、目の前にいる絡新婦は、ゆうに四百年は生きている妖怪という事だ。そんな妖怪が匠実に憑いていたなんて、今の今までまったく気づかなかった。


「絡新婦? 妖か……。そんなモノが匠実に憑いていたなんて全然気づかなかった」


 そもそも見ることはできても、察知に関してはめっきり不得手だ。これまで常に後ろ向きな生き方をしてきたせいで、人ならざるモノの気配を察し、それに対して事前に対策を取る事をしてこなかったというのも大きい。こんなに近くに居たにもかかわらず、いつから匠実に憑いていたのかさえ気づかなかった。


「絡新婦は夜な夜な夢に出ては人をかどわかす。憑りついているのとは少し違うから、気配を感じられないのも無理はない」


 甘楽が珍しく優しい言葉をかけてくれた。信じられない思いで見つめると、甘楽はプイッと顔をそむけた。


 上総さんが、甘楽の言葉の後を続ける。


「彼に憑いたのは、余市に集めた魂を奪われた後ですね? 彼の生気を吸って力を補っていたのでしょう?」


 すべてを見透かされた絡新婦は、苛立ちに顔を歪めた。


『我は人の魂を喰って、もっと強くなるのじゃ。それなのに……』


 そう言って、ギリッと歯ぎしりをした絡新婦は、俺を見るなり、ニタリと笑った。


『そこの人間を喰らえば、我はもっと強くなれる』


 言うなり、絡新婦は口からいくつもの蜘蛛を吐き出した。蜘蛛がゾロゾロと俺の方へと向かってきた。


 その時、俺の胸の奥深くで、何かがもそりと起き上がった。


 そんな感覚に首を傾げる俺の心を闇が支配し、黒く歪んだ闇の中に引きずり込もうとしていた。


『ようやく姿を現したな……許さない』


 どこからか女性の声が聞こえたが、俺の思考は闇に取り込まれ沈んでいく。


「やっとラスボスの登場やな」


 遠くの方で、多紀さんの声が聞こえたのを最後に、意識は闇に飲み込まれた。

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