第50話
☆☆☆
それから10分後、大学では講義が開始されて蘭は校庭へと出てきていた。
さっきまで学生たちでにぎわっていた校庭も、今では静かなものだった。
講義のない生徒たちが何人かいるだけだ。
その中にも彰の姿はなかった。
バイト先にも大学にも隠れていない。
あと残っている場所といえば……。
そこまで考えたときだった。
不意に目の前に人影が現れて蘭は立ち止まっていた。
そしてその人物に目を剥き、絶句する。
なんで?
どうしてここにいるの?
頭の中は真っ白になり、なにも考えられなくなった。
目の前にいる人物が信じられなくて。
「蘭、やっぱりここだったのね」
震える声でそう言ったのは、蘭の母親だったのだ。
母親の目は真っ赤に充血し、目の下にはクマができて、化粧もしていないのか一気に老けてしまったように見える。
髪の毛はボサボサで、服は灰色のスウェット。
家にいるときでももっとキレイにしていたのに。
それでも間違いなく、今目の前にいるのは蘭の母親だった。
「お母さん……」
蘭はカラカラに乾いた声で呟く。
「さっきテレビニュースであなたの姿が映った気がしたの。まかさと思ってきてみれば……」
そこで言葉を切り、両手を口に当てる。
その目からが大粒の涙が溢れ出していた。
蘭は驚いて母親を見つめた。
この人が自分のために泣いている。
それが信じられなかった。
父親が死んだ後の地獄のような2年間は一体なんだったのか。
自分の体に刻まれている虐待の痕は嘘なのかと思うような光景だった。
「あの男のところからよく逃げてきたわね。さぁ、一緒に帰りましょう」
母親が蘭の右腕を掴む。
しかし蘭は咄嗟に身を硬くしていた。
「蘭?」
「違うの、お母さん」
「違うって、なにが?」
母親が首をかしげる。
蘭はまた下唇をかみ締めた。
「あたし、逃げてきたわけじゃない。朝になったら彰さんがいなくて、それで探してたの」
「探す? 蘭が、あの男を?」
母親は眉間にシワを寄せ、蘭をマジマジと見つめている。
「彰さんに会いたいの。このままじゃもう二度と会えなくなるから」
必死に訴えた。
これが自分の本当に気持ちだから。
母親ならきっと理解してくれる。
そう、思ったけれど……。
「可愛そうに蘭。あの男に洗脳されているのね」
両手で蘭の手を包み込むようにして言われて、蘭は愕然とした。
「洗脳なんてされてない! お母さんだって知ってるでしょ。あたしが誰かを好きになったら周りが見えなくなっちゃうの」
「それは知ってる。だけど今回は違うでしょう? ストックホルム症候群って言ってね、犯人に恋をしてしまう病気があるの。なぜだかわかる? 自分に危害を加えられたくないから、媚を売るようになるのよ。それが恋愛感情に発展してしまうこともある」
母親の説明を、蘭は必死で首を振って否定した。
「違う。違うのお母さん。あたしと彰さんはもっと前から会ってるの。それは、あたしが彰さんに付きまとっていたことが原因なの」
ストックホルム症候群なんかじゃない。
自分の愛は本物だ。
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