第37話
お出迎えなんてずっとなかったことだから、蘭はその場で固まってしまった。
それに、今朝とは違う服を着ている。
足首まである青いロングワンピース。
そんな服、父親がいたときだってあまり着ていなかったのに。
明らかに様子が違う母親に困惑していると、早く着替えてくるように言われてようやく玄関を上がった。
「できるだけキレイな服を選びなさい。今日は外食だからね」
そう言われたので、蘭はこの前買ってもらったばかりのTシャツを取り出した。
買ってもらったといっても蘭の意向は聞かれていない。
蘭の私物はすべて母親が勝手に決めて勝手に買ってくるようになっていた。
なにかが欲しい。
こっちのほうがいい。
そんなこと、今の蘭にはとてもじゃないけれど言えないことだった。
Tシャツを着てジーンズを手に取ろうとして、動きを止めた。
さっき見た母親はワンピース姿だった。
それなら自分もスカートの方がいいかもしれない。
そうしたほうが、親子で並んだときも見栄えもよさそうだ。
そう考えて蘭はブルーのフリルスカートを手に取った。
これで大丈夫だろうか。
ボロの服は選ばなかったけれど、普段オシャレをしない蘭には自信がなかった。
もし失敗していたら。
また殴られるだろうか?
考えるだけで胃の辺りがギュッと傷んだ。
吐き気を感じて口元に手をやる。
その時「蘭、着替えは終わったの?」と、廊下から声をかけられて、蘭は吐き気を飲み込んだ。
今日は外でご飯だと言っていたし、今吐き気がするなんて言うことはできない。
母親のいかなる用事も自分が台無しにするわけにはいかない。
「うん」
蘭は短く返事をして部屋を出た。
母親は蘭の服装をマジマジと見つめて、その間蘭は生きた心地がしなかった。
いつ手や足が飛んでくるか。
そのことばかりを考えて身構えた。
「うん。まぁいいんじゃないの?」
ニッコリと微笑む母親に蘭は大きく安堵のため息を吐き出した。
どうやらこの服で大丈夫だったようだ。
だけど、今日は本当にどこへ行くんだろう?
母親は鼻歌を歌いながら準備を進めている。
それを聞いて蘭はハッと顔を上げた。
母親は機嫌がよくなると自分でも気がつかない内に鼻歌を歌うのだ。
この2年間蘭は母親の鼻歌を聞いてこなかった。
こんなに機嫌がいいなんてどういうことだろう。
自分がなにかしたんだっけ?
考えてみても思い当たることはなにもない。
テストで高得点をとっても、率先して家事を手伝っても、母親が鼻歌を歌い始めることなんてなかったから。
だからこそ、今日は一体なにがあるのか、蘭の胸には不安が広がって言ったのだった。
☆☆☆
それから数時間後。
蘭は母親に連れられて駅前の中華レストランに来ていた。
父親が生きていた頃に何度か3人で訪れたことのあるレストランだ。
それぞれのテーブルが中華風のパーテーションで区切られていて、気楽に食事ができる場所だ。
店内に入ると母親は店員に「予約をしている平野です」と説明した。
平野って誰だろう?
この時はまだ父親の苗字である大北だったので、蘭はただ首をかしげるばかりだった。
そして案内された席へ向かうと、まだ誰の姿もなかった。
しかし、椅子は3脚。
そこに自分と母親以外の誰かが座るということと、その人の苗字が平野なのだとうということは安易に想像できた。
ということは、このお店の予約は平野という人がしてくれたことになる。
「いい? 今から合う人はお母さんにとってもとても大切な人なの。だからわがままを言ったり、食べこぼしたりとか、しないでね?」
蘭はただ頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます