第26話
2人で簡単な夕飯を終わらせると、蘭はお茶を入れて廊下に座った。
目の前の大きな窓を開け放せばまるで縁側に座っているような気分になる。
空を見上げると満点の星が見える。
明日もきっといい天気になるのだろう。
「蘭はやっぱり変な子だな」
隣に座る彰にお茶をいれようと立ち上がると、彰がそれを止めた。
「自分でも、そう思ってます」
蘭は座りなおして返事をした。
彰は小さく笑い、それからまだまだ片付いていない庭へ視線を向けた。
明日はこのゴミを出しに行かないといけなくなりそうだ。
だけどその前に、彰は思うことがあって蘭の隣に座っていた。
「たぶん、俺が会話する、最後の相手が蘭になると思う」
蘭は一瞬瞬きをした。
そして彰の言葉の意味を理解する。
彰はもうすぐ死ぬ。
その前にこんな誘拐事件を起こしてしまったのだから、他の人に会えるわけがないのだ。
「話したい人がいるなら、あたし手伝います」
蘭は身を乗り出してそう言った。
彰が心残りを残したまま死んでしまうなんて、そんなのは嫌だった。
しかし彰は穏やかな表情で左右に首を振った。
「そうじゃないんだ。最後に話す相手が蘭でよかったと思ってる」
「そんな、あたしなんて彰さんのことなにも知らないし」
「そう。だから、聞いてくれないか? 俺がどんな風に生きてきたのか。それを蘭に伝えておくことで、俺は蘭の記憶の中で行き続けることができる気がするんだ」
そんなの、話を聞かなくたって彰は自分の中でずっと行き続けることになる。
だってはじめてをあげた人なんだ。
誘拐されたことだって、無理心中させられそうになったのだって、蘭にとってはじめての経験で忘れられるはずもない。
「あたしでいいんですか?」
「蘭がいいんだ」
彰はそう言って、ゆっくりと微笑んだ
☆☆☆
雨の夜。
1人の女がゆりかごを持って建物の前で足を止めた。
その建物には養護施設と書かれている。
女は少し迷った様子を見せた後、ゆりかごを施設の門の前に置いた。
女が立ち上がるとその気配を感じたように赤ん坊が泣き始めた。
その声は雨にかき消されてしまうくらい、とても小さなものだった。
生まれつき体が弱いこの子を女は自分では育てることができないと判断したのだ。
かといってこんな場所に捨てていくなんて心ない人間だと思うかもしれない。
でも、まだ若い女にとって選択肢はそれしかなかった。
相手の男は子供ができたと知ったとたんに家に戻ってこなくなった。
当然婚姻関係でもなく、女は一人で子供を生み、途方にくれる毎日を送っていたのだ。
「ごめんね」
小さな声で最後の別れを告げると、女は逃げるようにその場を後にした。
それから1時間後。
買い物から戻ってきた施設長が門の前に置き去りにされたゆりかごに気がついた。
まさかと思い顔もの袋とその場に落として駆け寄った。
施設長の考えはあたり、ゆりかごの中にはまだ小さな赤ん坊が入っていたのだ。
シーツにくるまれたその子は雨にぬれて冷たくなっていた。
大急ぎで施設の中につれて戻り、服を着替えさせて暖めた。
幸いにも命に別状はなかったが、翌日赤ん坊は高熱を出した。
施設長はその子を抱っこしてあやしながら「大丈夫だからね、彰くん」と呼びかけた。
ゆりかごの中に彰とだけ書かれたメモ用紙が入れられていたのだ。
それが、彰が彰であると認識できる、ただひとつの物証だった。
だから彰は自分の両親の顔も知らず、施設にいる先生がたが自分の親だと信じて生きていくことになった。
どこの家でも見知らぬ他人同士が暮らしていて、沢山の子供がいるものだと思っていた。
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