第17話
ちょうど蘭がカレーを作り終えた頃、彰は目を覚ましていた。
自分はいつものベッドに横になっていると気がついても、すぐに起き上がることはできなかった。
体はズッシリと重たくて、なかなか言うことを聞いてくれない。
こういう日はもう動かないことが一番だ。
無理して動いてもいいことなんてないし、なによりすべてのやる気が失われてしまうから。
もう一度眠ろうと目を閉じたとき、彰の鼻腔をくすぐる匂いがあった。
「……カレー?」
つぶやき、目を開ける。
どうしてカレーの匂いなんかがするんだろう?
どこか、近所の家の昼飯か?
それにしては匂いが強いか……。
そこまで考えて、ハッと息を飲んで上体を起こした。
そういえば蘭はどうした?
地下室から俺をここまで運んだはずだけど。
ようやく蘭の存在を思い出した彰はどうにかベッドから起き出した。
相変わらず体は重たかったが、そんなこと気にしている場合ではない。
慌てて部屋を出ると更にカレーの匂いが強くなる。
それに心なしか廊下がきれいになっている気もする。
大またでキッチンに向かってドアを開ける。
その瞬間、驚いた表情の蘭と視線がぶつかった。
蘭はカレーの味見をしている真っ最中で、お玉でルーをすくい、口元に持っていっているところだった。
そのままで動きを止めている。
「……なにしてる?」
彰は愕然とした声で聞いた。
蘭は弾かれたようにお玉を置いて「あ、勝手にキッチン使ってごめんなさい」と、頭を下げた。
彰の声色が怖くて、怒られていると勘違いしたのだ。
彰は真っ直ぐに蘭に向かって近づく。
殴られると勘違いした蘭は身を硬くしてうつむいた。
「どうして逃げないんだ」
「え?」
彰の問いかけに蘭はゆっくりと顔を上げる。
そこには彰の険しい表情があった。
「どうしてって、言われても……」
逃げるつもりでいるなら、最初に彰が吐血した時点で逃げている。
だけど蘭は逃げなかった。
彰もそれで納得してくれたと思っていたから、予想外の質問だった。
「それに、これ、どういうことだよ」
部屋の中を見回して彰は聞く。
「か、勝手に掃除してごめんなさい! だけど、汚れている部屋にいたら、余計に彰さんの体調が悪くなると思って!」
怒ってほしくなくて蘭は早口になる。
彰は目を見開いて蘭を見つめた。
本気で言っているのか?
本気で、俺のことを心配してこんなことを?
その上、『彰さん』って……。
俺は誘拐犯だぞ?
彰の頭は混乱するばかりだ。
目の前にいる蘭のことが余計にわからなくなっていく。
途端に体がふらついて、椅子に座り込んでしまった。
体調が悪い上に蘭の行動に理解が追いつかず、メマイを感じた。
すると蘭は「大丈夫ですか?」と、心配しながら彰に水を差し出してきた。
彰はそれを一気に飲み干す。
少しだけ生き返った気がした。
「カレーまで作ったのか」
「……はい」
「俺のために?」
「そうです」
蘭は躊躇なくうなづく。
彰はその返事につい笑ってしまった。
ここまでくるともうなにがなんだかわからない。
蘭はおかしなところがあると思っていたが、そんなレベルじゃないかもしれない。
「なぁ、どうして逃げない?」
もう1度同じ質問をすると、蘭は驚いたように彰を見つめた。
「だって、あたし言ったじゃないですか。ここで、一緒に暮らしますって」
そう言えば、そんなことを言っていた気もする。
だけど、本当にそんなことをするなんて思ってもいなかった。
自分が体調を崩して寝込めば、さっさと逃げるものだと思っていた。
だけど蘭はここにいた。
宣言どおり一緒に暮らすようで、あれだけ汚れていた部屋をピカピカに磨き上げていた。
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