第12話

すべてを話し終えた後、俺はつい笑ってしまった。



我ながらなんてわがままで幼稚な思考回路をしているんだろう。



「笑えるだろ? たったそれだけのために、お前をここまで誘拐してきたんだ」



蘭を殴ったときの感触は今でも鮮明に思い出すことができた。



柔らかな肉にめり込んでいく自分の拳。



蘭はくぐもったうめき声を上げて苦しんだ。



それでも俺は攻撃をやめず、2度、3度と蘭を殴りつけて気絶させたのだ。



人を殴ったのも、初めての経験だった。



その時、鼻をすすり上げる音が聞こえてきて彰は顔を上げた。



見ると蘭が涙を流している。



彰はギョッと目を見開いて蘭を見た。



「なんで泣いてるんだ?」



「だって……あなたが死んじゃうなんて、そんな……」



ぐずぐずと鼻をすすり上げる蘭は本気で涙をこぼしている。



女が目の前で泣いていることに動揺し彰は蘭から視線をそらせた。



「俺のために泣いてるのか?」



「あたり前でしょう!?」



そういわれてもピンと来ない。



蘭にとっては誘拐犯であるはずの自分が死ぬのなら、それは喜んでもいいくらいのことのはずだ。



「お前は、少し変なのか?」



その質問に蘭は眉間にシワを寄せて彰を見た。



「変じゃないです。正常だから、あなたが死ぬのが悲しいんです」



蘭の言葉によけに彰はペースを崩される。



本当なら今頃すでに2人は死んでいるはずだ。



血を吐いて倒れるという失態さえなければ、こんな風に蘭に自分の余命を伝えることもなかった。



蘭は涙をぬぐい、気を取り直すように彰を見た。



彰はなんとなく背筋を伸ばしてしまう。



「この家の中を見て回りました」



「あ、あぁ」



周囲に置かれているものを見ればわかった。



洗面器にタオルにコップに毛布。



これだけのものを用意して戻ってくるくらいなら、逃げ出す時間だって十分にあったはずだ。



「誰もいないんですね」



「俺1人で暮らしてる。一軒屋だけど、格安の借家なんだ」



説明すると蘭はひとつうなづいた。



「誰もいないなら、あたしがここにいても迷惑ではありませんよね?」



蘭の言わんとすることが理解できなくて、彰は首をかしげる。



蘭は彰の前で正座したかと思うと、突然頭を下げてきたのだ。



「あたしと一緒に暮らしてください」



「は……?」



彰は目を見開いて蘭を見つめる。



蘭はずっと頭を下げていてあげようとしない。



「お願いします! あなたと一緒にいたいんです!」



なにを言い出すんだこいつは。



唖然としていて言い返す言葉も出てこない。



それ以前に体調も悪く、追い返す力がでない。



それでもなにか言わないといけないと思い口を開けば、思いっきり咳き込んでしまった。喉に残っていた血が吐き出される。



それを見た蘭はハッと息を飲み、すぐにタオルを差し出してきた。



彰はそれを仕方なく受け取り、口に移動させる。



とにかく今は横になりたい。



「ここは空気が悪いので、上に行きましょう」



そしてなぜだか誘拐の被害者である蘭に肩を支えられて階段を上がって行ったのだった。


☆☆☆


彰を寝室のベッドに横たえた蘭は彰に気を使い、そっと部屋を出た。



まさか彰が末期のガン患者だとは思っていなかった。



彰から聞いた話を思い出すとまた涙が滲んできて、慌てて手の甲でぬぐった。



一番つらいのは彰本人だ。



今だって体が痛んでいるかもしれない。



蘭を誘拐したときだって、本当は体調が悪かったのかもしれないのだ。



「とにかく、もっと清潔にしなきゃ」



さっき少しだけ入った寝室もひどく汚れていて、布団は湿気て重たくなっていた。



こんな家にいたらよくなるものも良くならない。



そう考えた蘭はさっそく掃除を開始することにした。



腕まくりをして準備をするが、どこをどう探して見ても掃除機が見当たらない。



変わりに古いホウキとチリトリを発見した。



まさか掃除はずっとこれでやっていたんだろうか?



そう思ったが、この家が全然掃除されていないことは明白だった。



ホウキは彰がここに一人暮らしを始める前からこの家にあったものかもしれない。



ついでに汚れたタオルを雑巾にするため用意し、バケツに水も汲んできた。



最初にとりかかるのは地下室に通じている廊下だ。



せっかく日当たりのいい方角に面している窓があるのに、すごくホコリっぽくて勿体ないことになっている。



蘭は窓をすべて開け放ち、外へ向けてホコリをはき出し始めた。

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