第9話
口の中にたまっていた血はすでに蘭がかき出してくれていたようで、嫌な味は感じなかった。
犯罪者に向かってここまでするなんて、どうかしてる。
「どうして死にたいのか、教えて」
その質問に男はかすかに鼻で笑った。
「さっきお前が見たとおりだ」
「どういう意味?」
「俺の余命は、あと3週間だ」
その言葉に蘭は目を見開いた……。
☆☆☆
男が余命宣告をされたのは今から一週間前のことだった。
その日は朝からよく晴れていて心地のいい日だったが、男は体に痛みを感じていた。
その痛みは前から時々訪れるもので、市販の痛み止めを飲むことでやりすごしてきた。
しかし、この日ばかりはどこか様子が違うようだった。
朝起きて、体に痛みを感じた男はサイドテーブルから痛み止めを取り出した。
男がいつも飲んでいて、常備しているものだ。
いつもならその薬を飲んで30分もすれば効果がでてくるのだけれど、今日はいくら待ってみても痛みは取れない。
それどころどんどん悪くなっているような気さえする。
一旦キッチンに立って水を飲んだけれど、とても朝食を食べられるような状況ではなく、仕方なくそのまま自室のベッドに戻ることになった。
横になり、ひとり痛みを我慢しているとスマホがなり始めた。
男の同級生だ。
「はい……」
男は苦しい声を漏らす。
しかし、相手は男の異変に気がつかなかった。
「あ、彰か? 今日の講義午後からだっけ? 悪いんだけど俺のノートコピーしといてよ」
それはいつも男、彰が頼まれることだった。
講義をサボりたい同級生が連絡をしてくるのだ。
彰は相手の変わりに講義を聞いて、ノートをとり、それをコピーして手渡してやる。
「じゃあ、頼むよ」
そう言って相手は電話を切ってしまった。
「ちょっと待て」
と言ったが、その声も届かずに通話は途切れる。
彰はスマホを思いっきり壁に投げつけ、ベッドの上で体を折り曲げて痛みにうめいた。
それから1時間ほど経過したとき、少し痛みが和らいだのを見計らって彰は近くの診療所へ来ていた。
平日の昼間だというのに、年配の受診者が多い。
みんなここが担当医になっているようで薬などをもらいに来ているようだ。
周囲を見回してみても、彰ほど体調が悪そうな人は見当たらない。
それでも十分に順番を待たされて、彰はようやく診察室に呼ばれた。
待っていたのは50代半ばほどのかっぷくのいい医師だった。
医師は青い顔をしている彰を見るなりベッドに横になるように指示をした。
立って歩くのもしんどい状態だった彰は、ベッドに倒れこんだ。
それから医師は彰の服をめくり心音を聞いたり、勝手にエコー検査を始めたりした。
彰はそれまでに「とにかく体が痛い」としか伝えていなかった。
そしてレントゲン結果が出たとき、医師は深刻な表情に変化していた。
なにかよくないものが見つかったのだ。
彰は瞬時にそう感じた。
だけどそんなに重たい病だとは思っていなかった。
せいぜい尿管結石とか、体に強い痛みをともなうなにかなのだろうと。
しかし医師はもっと大きな病院で検査するように進めてきた。
できれば今日中に行ってきなさいと。
大きな病院までは今の状態の彰が歩いていけるような距離ではなかった。
そのことも考慮して、医師はタクシーを呼んでくれた。
タクシーの中でも痛みは消えず、後部座席でずっと横になっていた。
それに医師本人がそこまでしてくれるということに違和感を覚え始めていた。
もしかして自分は大きな病気なんじゃないか。
入院とかすることになったらどうしようか。
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