第7話

いつの間に眠っていたのか、蘭は物音で目を覚ました。



一瞬ここがどこかわからず、体中の痛みに低いうめき声を上げた。



やがて昨日の出来事を思い出してハッと息を飲む。



蘭は昨日と同じ部屋の中にいて、相変わらず椅子に固定されている状態だった。



さっき聞こえてきた物音が気になって周囲を確認してみると、テーブルの前に男が立っていた。



男は蘭に背を向けて、準備した道具を点検しているようだ。



その後ろ姿を見ていると一瞬にして体の痛みなんて吹き飛んでしまう。



彼が自分の体を拘束したのだと思うと、それも許せてしまうのだ。



これから彼と自分は一緒に死ぬんだ。



無理矢理に殺されるのとは違う。



世間はきっと自分のことをかわいそうな被害者だと思うだろうが、自分はそうは思わない。



自分はきっと世界一幸せな女だ。



だって、好きな人と最後の瞬間を共にできるのだから。



いくら愛し合っている夫婦だとしても、死ぬ時期を同じにすることは難しい。

それができるなんて、夢のようだった。



思わず鼻歌がもれていた。



子供の頃好きだったアイドル歌手の有名曲だ。



調子よくサビの部分まで歌ったとき、男が体ごとこちらへ向けた。



喉から流れ出るメロディがゆっくりと消えていく。


「どうして歌う?」



男は昨日にもまして真剣な表情を浮かべていた。



蘭のことを信用していない目つきだ。



蘭はそんな男の顔を真っ直ぐに見返した。



「歌ったらダメなの?」



その質問に男はなにか言いかけて、途中で口を閉じた。



今から死ぬってわかってるのか。



そう言いたかったが、蘭は頭がおかしくなってしまったのだと勘違いしたのだ。



こんな状況だし、被害者がおかしくなっても不思議じゃない。



蘭の場合は元々おかしかったのかもしれないが。



どちらにしても、もう男には関心のないことだった。



やがて男は蘭の足元に自殺道具を移動しはじめた。



ロープ、カッターナイフ、包丁、薬品。



どれも物騒な形状をしていて、ずっと見ていたら悪いほうへ悪いほうへ考えた引きずっていかれそうになる品物ばかりだ。



「なにをしているの?」



「お前に自殺方法を選ばせてやる」



「そう。昨日は大好きなサンドイッチを食べさせてくれたし、あなたって優しいのね」



男は動きを止めて蘭を見上げた。



蘭の目はキラキラと輝いていて嘘を言っているようにも感じられない。



やはり蘭は元々おかしな子だったんだろう。



それなら昨日からの余裕も納得できる。



蘭に仲間などいない。



けれど蘭は元々危機感すらないのだ。



それならそれで話は早かった。



さっさと死んで、それで終わりだ。



「さぁ、選べよ。どれで死にたい?」



蘭は目の前に並べられた道具を吟味するように見つめる。



「どの方法で死ぬのが早いのかな? あ、でもせっかくだから時間をかけたほうがいいのかな」



真剣に悩み、ブツブツと口の中だけで呟いている。



男は少し離れた場所でその様子を見ていた。



今日は起きたときから少し体調が悪くて、ベッドから起き上がることもやっとだった。



でも、今日自殺すると決めたのだ。



そのため道連れにする蘭を誘拐してきた。



ちょっと体調が悪いからといって先延ばしにはしたくない。



それに、どうせもうすぐ死ぬのだからこの体調不良ともおさらばだ。



蘭は本気で悩んでいる。



次第に目の前がかすんで見えてきた。



少し横になったほうがいいかもしれない。



そう思った瞬間だった。



突然こみ上げてきたものを我慢することができなかった。



体をくの字に曲げて右手で口を覆う。



どうじに「ガハッ!」と声を出して血を吐いていた。



あぁ、やっちまった。



異変に気がついた蘭がなにか叫んでいる。



そうだ、あいつのロープを解いてやらないといけない。



このまま俺が死んだら、あいつは……。



そう思っても、もう男の体は動かない。



そのまま横倒しに倒れて、キツク目を閉じてしまった。



「どうしたの!? 大丈夫!?」



蘭が必死になって男に声をかけるが、反応はない。



男が吐いた血は灰色の床に広がり、血だまりを作っている。



「嫌だ! 死なないで!!」

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