この感情が恋なのだとしたら
ひなみ
本文
「だから一緒にいて楽しくないっつーか……お前暗すぎて疲れんだよ。何でも言ってくれって言うけど、そうしたとこですぐに直しようがないだろ」
私から告白をして付き合い始めた彼は、一方的に告げると去っていった。それはセミの声が響き渡る中学三年の夏休み前の出来事だった。
私はクラスでも地味で目立たない。もちろんその自覚はあった。けれどきっと、飾らない自分というものを心のどこかで誰かに認めて欲しかったのだと思う。でもそれではいけないのだろう。この思いは間違ったものに過ぎなかったのだから。
それでも不思議と涙は出なかった。最後に投げつけられた言葉を何度も繰り返す。夕日とともにそれを心に刻み込みながら、一人呆然と立ち尽くしていた。
あれから何日か経って、父親の転勤で他県へと引っ越す事になったと聞かされた。
突然ですまないと謝る二人を責められるはずがない。
私は過去を知る人間のいない新しい場所で、すべてを一からやり直したいと密かに思ったのだ。これはチャンスに違いないとその日から準備を始めていく事にした。
まずは髪を肩まで伸ばして茶色に染めた。ナチュラルなメイクの仕方を学ぶ。眼鏡はコンタクトレンズに。笑顔は引きつらないくらい自然に、努めて明るく振舞うように心がける。
両親は当然変わっていく私の姿には驚いたようだった。けれど「自分の好きなようにやってみなさい」と反対どころか強く背中を押された時は、涙が出るくらい嬉しかった。
「
高校での初めての自己紹介を境に、私は完全に生まれ変わった。緊張も震えも大きな声を出せば大体はなんとかなるものなんだ。ここまで晴れやかな気持ちになれたのは生まれて初めてだった。
近くの席の子とも話すようになっていって、その輪はあっという間に広がりつつある。きっとこれから楽しい学校生活が始まっていく。根拠なんてものはないけれど、今はそれだけで進んでいけるような気がした。
「ちゃんみおー。部活ってどこ入るか決めてんの?」
二つ後ろの席の
「今のところは特にないかな。多分帰宅部になるかもしれない!」
「さすがに判断はやくね? せめて明日のオリエンテーション見てから決めろし」
これまで部活なんてしていた事もない。おまけに運動はそこまで得意でもないし、文化系にもそれほど興味を惹かれない。どちらかと言えばすぐ家に帰りたい方だった。
それでも今までと変化をつけるのなら、いい機会だろうとも思った。苦手意識があったとしても新しい何かに挑戦してみるのもいいかもしれない。もう、私は過去の私を手放したのだから。
部活動オリエンテーション当日の朝、私は登校途中の桜並木を歩いている。ふわふわひらりと舞う花びらを目で追っている
体は意図せず前方へと投げ出されるように浮いて、次の瞬間、視界は地面がほとんどを占めている。
こういう時手をつくのは危ないってどこかで聞いた気がする。だとしても、顔から落ちるのだけは絶対に嫌だと反射的に思った。擦り傷程度の軽い怪我であって欲しい。手を伸ばしたままゆっくりと落ちていく。
覚悟を決めて目を瞑った私ではあったけれど、不思議と何の衝撃や痛みも感じる事はなかった。
「大丈夫? 怪我はない?」
声が耳元から聞こえると恐る恐る目を開けた。
その人は後ろから抱きしめるようにして、私を転ばないように支えてくれていたのだ。
「あ……! はい。なんともありません」
体に回された腕の主に振り返る。
「無事でよかった。ごめんね、危ないと思って体が
逆光でその人の顔をうかがう事はできない。
「あ、いえ……助かりました、ありがとうございます。本当にご迷惑をお掛けしました」
「気にしないで。――さて、急いでるから行くね」
「あ、あの。せめてお名前だけでも!」
「名乗るほどの事はしてないよ。じゃあ」
そう言って立ち去る後ろ姿は、桜を背景にするように際立って
教室に入ると皆に挨拶をして自分の席につく。
するとすぐに、真鍋さんと彼女の友達の石川さんが私のところにやってきた。何やらにこにこと私を見ている。
この二人は中学からの仲良しだそうで、石川さんの「石」と真鍋さんの「鍋」を取って自分達は「石鍋」コンビなのだと初日に自己紹介をされている。
「どうしたの石鍋ちゃん?」
「いやいや! どうしたもこうしたもって、そんな大事なとこでとぼけるなし。ちゃんみお、あたしさっき見ちゃったんだけど?」
気合いの入ったラメ入りのメイクを輝かせたのはやっぱり真鍋さん。彼女はキラキラと、私の机をコンコンと叩いて興奮気味にまくしたてた。
「美緒ちゃん。うちも同じくなんだけどね? いやぁ、朝からいいもの見たなぁ~。ガンプクだねガンプク!」
石川さんも同じように机をコンコン鳴らす。
彼女の方は自然な黒髪な事もあって派手な見た目ではないけれど、「ね?」「ね!」と、仲良しという言葉どおり真鍋さんとの息がばっちり合っていそうなのはわかった。
ただ私としては二人のテンションが高すぎてついていけてはいない。
「えーっと、何を見たんだろ!? 私にもよーくわかるように教えて欲しいんだけど!」
一応勢いだけは合わせておいた方がよさそう。
「あ、ホントにわかってなかった感じ? じゃあトクベツに説明したげるから、聞いて驚くなし? よーぉ・す・る・に――てことできらり、よろ♪」
真鍋さんは石川さんに対して解説を丸投げするように向き直った。
「うそ、きょーちゃん。散々もったいぶっといてそれ!? もー、結局うちからするんか~いっ!」
テレビで見るお笑い芸人さんのような突っ込み姿勢に、真鍋さんは「それ待ってた」とお腹を抱えて笑っている。
「ま、いいんだけどさ~。で、どういう事かというとね?」
石川さんは手馴れた様子で事も無げに語り始めた。
話からわかった事がいくつかある。
さっき私を抱きかかえた人物は一年先輩の
「それでそんなに
「あたしは姉貴から聞いてたからさ。なんかめちゃカッコいい同級生がいてヤバイって。でさ、実際見たらヤバかったわけ!」
と、真鍋さんが机をバシン。
「うちとしてはヤバいと言うか尊みが溢れたな~。投げ銭どこだったらできますか? って感じの!」
石川さんも同じように興奮した様子で机をバシンバシンとしている。
二人の熱量はともかく、どうやら私は大変な人に助けられてしまったらしい。
「まだまだこれには続きがあんだけどね。実は
「わお! いっそげー!」
本鈴が鳴り響くと二人は、蜘蛛の子を散らすようにそれぞれの席へと去っていった。
授業を上の空で聞きながら、私は改めてお礼を言いたいと思っていた。きっとさっきの話のせいだろう。ただ、顔を見ていないのもあって頼りは一つ上の先輩と言う事と苗字だけ。
そればかりを考えていてあっという間にやってきた午後。オリエンテーションのために体育館へと集められた私達は、順番に各部活動の紹介を聞いていた。
「えー、女子バレーボール部です。新入生の皆様、ご入学おめでとうございます」
その声に何か聞き覚えを感じた。
すらっとして背の高い、ショートヘアがよく似合う
この人かな。いやまさかな。この人かな? を何度か繰り返していると、後ろからツンツンと誰かがつついてくる。
「あの人だよ」と真鍋さんがボソっと囁いた。私は朝のドキドキを不意に思い出してしまい、顔が熱くなるのを感じた。
藤林先輩の部活紹介の後は、ただぼうっと続きを聞いているだけになって、気付いた時にはオリエンテーションは終わっていた。
*****
「昨日の朝に正門で助けてもらった者です。あの、覚えてませんか?」
体育館へと繋がるこの静かな通路には先輩と私しかいない。
石川さんの情報によって、居場所を突き止めていた私は先回りして彼女に声を掛けた。
「朝……。んー? あー、ん? あの子かな。どうかしたの?」
彼女の記憶の中にいない事だけは、反応から何となく察した。様々な人から注目を浴びているだろうこの人から見れば、私はどこにでもいる一生徒に過ぎないのかもしれない。
「きちんとお礼を言っておきたくて。あの時は本当にありがとうございました!」
「そんなのいいのに。君が無事で何よりだよ」
「それでですね。オリエンテーションでお見かけして、その……。運動とか苦手なんですけど、バレーボールって初心者からでもできますか?」
そうだったとしても、私はさらに新しい一歩を踏み出したいと思った。
「もちろん。未経験からレギュラーになる子もいるから安心していいよ。もしかして、入部希望?」
「そうなんです。あと。あの……せ、先輩の事、好きになってもいいですか!?」
「うん? それは構わないけど」
私を見つめる瞳が「どういう意味で?」と聞いているように思えてならなかった。
今は何とも言えない。けれど頭の片隅に残ってしまえるくらい、今はこの人の側に立ってみたい。
わずかな沈黙のあと、ライムの香りが風に乗ってふわりと漂った。
「あ! さっきの……間違えました。先輩の事、もっと知りたいなと思ったんです!」
それでもわかったところで言えるわけがない。
心の中が暖かくて、ふわふわしていて、ドキドキしている。
この感情が恋なのだとしたら、きっと気味悪がられるだろうから。
誰にも嫌われたくない。もう、沈んでいく夕日を一人で見たくない。もしそうなったら二度と立ち直れなくなってしまう。だから今は深く考えるのだけはやめておこう。
地面に向けていた視線を戻して見上げると、藤林先輩は口に手を当ててふふっと笑っていた。
「あの……やっぱり私おかしいですか?」
「いや、ごめん。そういうつもりじゃなくてね、何だか面白い事を言う子だなと思って。えっと……名前は?」
「美緒。春川美緒です」
「私は藤林
と言って握手を求めるように手を差し出された。
急な事に少しためらっていると、「そうだ、ついでだし練習見ていかない?」と王子様のように爽やかな笑顔を向けられて、視線を彼女から逸らせなくなってしまった。
一呼吸を置いて。
この鼓動が伝わってしまわないか心配になりながら、大きく頷く。
「よろしくお願いします、亜紀先輩」
私はしっかりとその手を握り返した。
この感情が恋なのだとしたら ひなみ @hinami_yut
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