第36話 緑の王

「あ、ありがと……」


 ティカから伸ばされた手を掴んで、マユサが立ち上がる。


「グレイモア化すれば、死ぬことがないなら……、

 それで一時的に町の人たちが避難したってことも考えられるよね……?」


「気づき、実行したのはだいぶ遅かった、のかもしれないですけど……、

 血の量を考えれば、それができずに殺された人の方が多そうです」


「……ティカはさ……地底の人でしょ?

 自分の世界がこんな風に壊されて……、その、ショックじゃ、ないの……?」


 友人、家族、恋人がいたかもしれない。


 ショックであることは当然、それを上手く隠してマユサの前で振る舞ってくれているなら、彼女の努力を無駄にしてしまうことだけど……、聞かずにはいられなかった。


 無理をしているなら、ここで吐き出してほしかった。


 がまんなんてしないでほしい。


 頼ってほしい……。


 頼りないだろうけど、この場にはマユサしかいないのだから。



「……慣れてしまったのかもしれませんね。ショックよりもまず、どうここを回避して次に活かすかを考えてしまっていますから――。

 これも歴史の過程なのかもしれません」


「ティカ……?」


「深い絆を作っていませんので。

 失うものを大事にしていたわけではないです」


 そんな風に仲間を切り捨てたような口ぶりのティカは、でも――。



「……ならどうして、そんなにも目が赤く腫れているの?」


「はい?」


「泣き続けたような腫れ方じゃないか。

 ……僕と合流する前に、泣いていたんじゃないの……?」


「…………、私は遥か昔の……、古代まで遡る時代を生きていた人間ですよ?

 知り合いが死んで泣くような、平和な世界の感性は持っていませんから」


「長い時間を生きたわけじゃないんでしょ? 長い時間、ずっと封印されていた――違う?

 いくら長い時代を生きていたとは言っても、そこに苦難を乗り越えた経験値が乗らないなら、見た目の年齢と同じ心の強さしか持っていないよ。

 ……昔の人間なのだとしても。

 これまで……そして今もこの世界で生きているなら、ティカだって今の世界の感性を持っている子だよ。悲しくて泣くことは恥ずかしいことじゃないし、弱音を吐くことが間違ったことなんかじゃない――心の奥底まで吐露できることも、強さだって僕は思うよ」


「…………」


「もしかしたらこれから先、長い時間を一緒に生きることになるかもしれない……、その時に弱音を吐けなかったら、しんどいと思う……。

 だから今の内に、隠すことに――堪えることに慣れる前に、吐き出しておきなよ。大丈夫、バカになんてしないから」


「疑っていませんよ、そんなこと――」


 人の弱みにつけこんで、自身の利益を得るような人間ではないことは、ティカも理解している。そんな人間であれば、そもそもティカは彼を助けようとはしないだろう……、


 彼を殺して、シャロンの筆ペンを奪うはずだ……。


 それをしなかったのは、見て分かる彼の優しさに、殺して奪うという選択肢を除外する反射が働いたのだ……、それに。


 筆ペンが選んだということは、少なくとも悪人ではないはず……。



「……分かりました。今すぐではありませんけど、吐き出しておきます……。

 あなたを見つけてほっとしましたから、安心できますし……頼りにしていますよ、マユサ」


「うんっ、任せておいて――」


 目が合って、二人で微笑んだ、その真上。


 巨大な蛇の姿をしたモノクラウンが、じっと、二人を見つめていた。



『ッッ!?』



 マユサとティカがモノクラウンに気づいたことが合図となったのか、モノクラウンが大口を開けて、崩落寸前の建物の中へ顔を突っ込んできた。


 左右に散った二人の間を抜けて、モノクラウンの顔面が壁に激突する。


 壁を貫き、限界ギリギリで建っていた建物が、これで完全に崩壊を始めた。


 足場が崩れていく……。


 ずずず、と建物自体が傾いていき……、



「このモノクラウンっ、あの赤い髪の子が手懐けていたんじゃないの!?」


「別の個体ですっ、それに、全てのモノクラウンを従えられるわけではありませんッ!」


 傾いた建物の斜面を滑っていくマユサとティカ。


 二人の間にいるモノクラウンの巨体が、ずるずると移動し、顔の向きを二人に合わせる。


「っ、突っ込んでくる!?」


「魔法の手で受け止めます! それだけで、一瞬で魔法の手は破壊されるでしょうけど、やらないよりはマシでしょう!?」


 青い手と緑の手が二人の前に飛び出した。


 突っ込んでくるモノクラウンの大口を受け止めるために――。



 踏ん張ることができない斜面で、ただ迫る衝撃を一つ、回避するためだけに……っ。


 これで唯一の攻撃・防衛手段を手離すことになる。


 ――仕方ないのだ。

 こうでもしなければ、二人はここで捕食されて終わりなのだから。


 ……後のことはその時に考えよう……――今はこの状況を、なんとか回避する!


『こいっ(きなさいっ)!!』




『――見つけた(ぜ)』


 声と同時。


 青色の拳と赤色の拳が、モノクラウンの両頬を撃ち抜いた。



 息を合わせたわけじゃない……、合わせようとして合わせられる二人ではないだろう――。

 どちらも人に合わせるような性格ではないし、良くも悪くも自身の理由を優先させる。


 誰かを助けるために――。

 平気で『立てた作戦』を無為にする二人なのだから。


「マユサ、見ーつけたっ!」

「ティカ、怪我してないか!? 無事なんだろうなぁ!?」


「ッ、ユイカ師匠!?」

「アカネ師匠も――やっぱり無事でしたか!」


 崩壊した地底世界で。


 まずはマユサとティカが、

 ユイカとアカネと、合流することに成功した。




「見つけた」


「……? この色の塊が、そうなの?」


「うわっ、分厚い色の繭だけど、なにこれ――」


「あら、あなたは見たことがないの? これ、シャロンだけど?」



「は、シャロン様!? この中にいるの!? ほんとに!?」


 色の繭。


 数多の色の魔法の手で包まれた、

 まるで棺桶のような形の『繭』の中に、彼女がいる……。


 リオ、リオン、アルアミカが、モノクラウンが落下したことで一部の大地が下がり、埋もれていたシャロンの『色の繭』を発見できたのだ。


 繭の厚さを考えると……、

 さて、あと何十年、眠るつもりだったのだろうか?



「こんこんとノックして起きるなら苦労しないわよね……。

 強度は折り紙付き……だけど、それは魔法の層があるからよね。

 つまり、何度も攻撃を受けて削られれば、何重もの層は剥がされ、繭も解けていくはず……」


「え、なにしようとしてるの!? だってそれ、中にシャロン様が――」


「そうね。文字通り、叩き起こすつもりだけど、アタシたちが叩いたところで数十年もかかってしまうでしょうね。だからこれをこうして、」


 リオが魔法の手で、繭をひょいっと掴み、


「モノクラウン、モノクレードル、グレイモア……、彼らを誘き寄せる餌になってもらうと同時に、彼らに層を剥がしてもらえれば、この子もさすがに起きるでしょ。

 起きた瞬間に絶体絶命の状況だけど、まあなんとかなるんじゃない? だってシャロンだし」


 アルアミカの制止の声も聞かず、リオが色の繭を化物たちの真ん中へ放り投げ――。


 どす、と落ちた棺桶の形をした色の繭に、化物たちが視線を奪われる。



「あなたが作った王国が滅ぼされようとしているのよ。——救いなさい。

 できなければせめて見届けなさい――封印を理由に逃げるな、ばかっ」

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