第24話 闇の中
――その牙が肉を切る寸前で、グレイモアの意識が横へ向いた。
そこには魔力があった。
壁にべったりと、
まるで『多量のインクをバケツから壁にぶちまけたような』痕があり……。
すると、リオの足首が離され、彼女の体が落下する。
うつ伏せで倒れるリオは、壁に群がるグレイモアを見つめながら、背後に迫る人影に気づいていながらも、なにもできなかった。
振り向く気力も、体を動かす体力もないのだ……、身を守る術もない。
なにをされても背後の人影に反抗することができなかった。
リオの顎が乱暴に持ち上げられる。
土に塗れた指で唇を開けられ、細長い筒状のものが口内へ差し込まれた。
喉に流れ込んでくる、少しだけ粘着性がある液体……。
思わず吐き出しそうになるが、顎にある指がそれを許してくれなかった。
ごくり、と飲み干すと――、視界が明瞭になる。
気を抜けばすぐにでも気を失いそうだったはずが、ぱちくり、と目が開き、景色が鮮明に見えるようになった。
鮮明に見えても地下世界であることは同じだ……、リオの魔力の補充がなくなったせいで、地下世界の明るさもさっきよりは暗くなってしまっている……。
真っ暗闇になってしまえば、脱出どころか、グレイモアの居場所さえ分からない。
「貴重なインクを渡したんだ、共倒れだけは勘弁してくれよ」
「…………あなた、は」
年齢不詳だが、少なくとも見た目を言えばリオよりは上だろう……。
なんとなくだが、マナと同じくらいに見える。
地中にいたのかと思うほど、全身に土をつけている男だった……、
元々の服の色が分からないくらい、土と泥で染まってしまっている。
彼の手元には同じく筒状のものが指に挟まれており……、貴重なはずのガラスだが、しかし、モノクレードルが同じものをお腹に抱えていたはずだ。
割った破片を使い、上手く加工すれば、同じものが作れないわけではない……——が、数が多い。モノクレードルを一体、倒しただけでその数が作れるとは思えなかった。
戦い慣れている者だ。
そして、筒状の中には様々な色のインクが溜まっている。
少なくとも複数のモノクレードルから色を奪ってきた、ということだ。
地上を生き抜いた者……——、もしかしてだが……、
「……ワンダ、だったかしら……」
「俺を知ってんのか。誰から聞いた? マナか? ……あいつらはどうした?」
リオが人差し指を上へ向け、
「地上か。なんとか逃げられたってことか……いや、お前か。
お前が囮になって、あいつらを逃がしてくれたってことだよな?」
「……そう、ね。
やられるつもりはなかったんだけど……力不足だったみたい……」
これでは本当に、ただの囮役だ。
生きて合流すると約束したのに、彼に助けられていなければ、破っていただろう。
……マユサに嘘を吐いてしまうことになる。
「この数じゃ仕方ねえだろ。勝とうとするのが間違ってんだ。地の果てまで逃げるか、その場でぐるぐると回るか……、どっちにしろ、こっちの疲弊が先にくるから、別の手も道中で考えておく必要があるが……。魔力に引き寄せられるなら、インクがあればなんとかなる」
彼の言う通り、ガラスの筒を壁に投げ当て、割ることで中のインクが壁に付着する。
匂いなのか、別のなにかなのか……感じ方はともかく、魔力に引き寄せられたグレイモアたちが、数か所の壁に溜まっていく。
リオとワンダのことなどまったく認識していない様子だった。
「数に限りがあるが……お前も足りなきゃ飲んでおけよ。
粘着性があって飲みづらいが、魔力であることに変わりはねえ」
「……これ、属性色と違う色の魔力を飲んで大丈夫なの……?」
「さあな。今のお前が死んでないなら、問題ねえんだろ」
テキトーな言葉だが、彼の言う通り、深く考えている暇はない。
偶然、リオが飲ませられたのは黄色だったので検証できなかったが、もしも相性が悪くて死んでしまっていたら――、と考えると、試す気にはなれなかった。
だが、この先、試す機会はあるだろう……、その時に取っておくべきだ。
……そうならないのが一番良いのだが。
だが、なにが起きるのか分からない状況だ、覚悟はしておこう。
「地上へのルートは分かってる。ついてこい。お前を助けたのは背中から生える便利な手があるからだ。……役に立てよ。インクの一本、貴重なものだってことを忘れるな」
「当然ね」
壁に寄ったことで、道が開けたグレイモアの群れの中。
個体によってはリオたちを認識? しているのか、どうか……。
こっちに意識を向けている個体がいたが、襲ってくることはなかった。
たまたま顔の向きがこっちだっただけ……、なのかもしれない。
ルートを知っていると言うワンダの背中を追って、リオも走る。
距離を取ったところで、ワンダが再びガラスの筒を投げ、魔力を地面にぶちまけた。
壁に寄っていなかったグレイモアも、地面の魔力に反応して近づいていく。
これで、リオたちを追いかけようとするグレイモアは、確実にいなくなっただろう。
「持っているインクには反応しないの?」
「栓をしてりゃ漏れねえよ。ただ、転んで割れたらやばいけどな」
「なんでガラスの筒なんかに……」
「木製じゃ染み込むしな。土でも岩でも同じことだ。モノクレードルから奪えるガラスが一番、適した素材なんだよ……。そもそもこれに入ってるんだぜ、インクってのはよ――」
インクを奪う際に、その場にあったガラスを利用しただけのことだったのだ。
限られた物しかない世界だ、自由に容れ物を選べるわけではなかった。
「……ねえ、あなたも、」
ふっ、と、地下世界が暗闇に染まった。
リオが補充した魔力が切れ、地下の明かりが機能しなくなったのだ。
「っ!?」
まずい、なにも見えない……っ。
正面にいるワンダの顔も見えない。
もう関係ないかもしれないが、土と泥で黒に寄った見た目のワンダは、闇に紛れてしまってまったく分からない。
目の前にいたはずだが、手を伸ばしても彼の存在を確かめることはできなかった。
……どこにいる?
ねえ、どこに――、
「手を繋いでほしいのか?」
「……マナに言うわよ?」
見えていないが、降参だ、と言わんばかりに両手を挙げている様子だと分かった。
リオの真横、耳元でぼそっと呟かれたおかげで、彼の居場所が分かった。
……それにしても、彼はリオの姿が見えているのだろうか……、この暗闇の中で。
確かにリオは、比較的、派手な見た目をしているとは言え……。
「見えているわけじゃない。地形を知っているだけだ」
「……なるほどね、場所が分かれば……アタシの位置も分かる……——え、分かる?」
「匂いや熱、気配……、目に頼らなくとも知る方法はいくらでもある」
反射的に、『気持ち悪っ』と思ってしまったが、目に頼らなければ必然、そういうものが頼りになってくるだろう。
ワンダが言っていることは変態的なことではない。
生きるために獲得した、人間ができる技である。
「明かりを点けるのはまずいわよね……、魔力に寄ってグレイモアがきたら、せっかく撒いた意味がない……――ええもちろん、分かっているわよ」
「分かってるなら言うな。だが万が一、見つかったら明かりは点けるぞ。
見つかった不利は、視界を確保してとんとんに戻せる。つーか、見えなきゃ逃げられねえよ」
「……あなたについていけば、地上に出られるのよね?」
「地形が変わっていなければな」
彼の言葉を信じ、リオが彼の服を、ちょこっとつまむ。
「匂いや気配であなたの存在を確認できない。だからこれでいくけど文句ある?」
「ねえよ。ねえが……それで俺の足を引っ張んなよ?」
「誰に言っているの?」
「俺はお前のことを知らねえ」
そう言えば、自己紹介をしていなかった……。
リオの方は、彼がワンダである、と分かっているが、
彼からすればリオの正体など分かるわけがない。
この時代の人間ではないのだから、知っている方が珍しいだろう。
知っていたのなら詳しく話を聞きたいものだった。
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