第16話 地上の王冠
揺れを感じたのは気のせいではなかったようだ。
段々と、近づき、大きくなってくる振動……揺れ……足音。
薄い膜が張って見えている灰色の世界の先から、黒いシルエットが近づいてきて……。
――マユサたちは時間をかけ過ぎたのだ。
モノクレードルに見つかり、この場所に長くい続けたことで、『ある生物』の接近を許してしまっていた……。
逃げるか、倒すか……——どんな手段であれ、ここからすぐに離れていれば、その存在を見ることもなかったはずだが……、
一体のモノクレードルが呼び寄せた生物が、ここまでやってくるまでの時間が、あっという間に経ってしまっていたのだ。
地上の支配者。
モノクレードルを従える『王』と呼ばれる生物……。
「……モノクラウン……」
リオンの呟きと共に、その姿が見えてくる。
ユイカなら「クジラが歩いてるみたいな生物だね」とでも言いそうだ。
実際は、体の表面はトゲトゲしていて、無数の針が飛び出ているような見た目である。
深海のような暗さの青色をしたモノクラウンは、太い五指がついた足でゆっくりと歩いている。目は確認できない。口はある……、開ければ山に噛みつけるような巨大な体であった。
モノクレードル以上に、こんな巨大過ぎる生物……、
マユサたちにどうこうできるはずがない。……どうこうするべきでもないのだ。
ここまで巨大であれば、地下世界に隠れてさえいれば回避できる脅威である。
穴に入れるサイズではなく、入口を発見できる目があるとも思えない。足下の小さな穴のことなど把握できないだろう……。
巨大であるがゆえに、小さな世界のことは認知できないのだ。
正面から立ち向かうべきではない……のだが、なぜか、さっきまで膝をついていた少女が笑みを見せて立ち上がっていた。
モノクレードルに苦戦していたのに、モノクラウンを相手に勝てるわけがないのに……っ。
「ふふ、ふふふ……あなた、『青色』のインクを持っているね?」
モノクラウンの体の表面に薄っすらと見える、まるで血管のように流れている液体は、青色だ。どうにかして体を傷つけ、中のインクを外にぶちまけることができれば……——青の魔法使いであるユイカにとっては、恵の雨である。
世界が青色に染まれば……、
モノクレードルが持つ黄色で世界を彩れば……、
色を積み重ねて筆ペンを強化できる。
――無色の世界で、魔法使いの反撃ができる!!
「体の大きさなんて関係ない。
小さな穴一つで多量のインクが出てくるなら――、巨体は優位にはならないんだからっ!」
気持ち次第で体は動く。
残り少ない魔力を使い切る可能性はあるが、そうでもしなければ活路は見出せない。
折れかけていた心が太く芯を持てば、不思議と少なかった魔力が増えた気がした。
……気がしただけだが、その気力が、魔力である。
自身の魔法の手に投げられたユイカが、モノクラウンの体に着地した。
体の真横を、重力を無視して立っているように見えるのは、彼女の魔法の手が壁を掴むように支えになっていたからだった。
魔法の手は一つではない。増やせばその分、魔力を消費するが、今のユイカに節約をする気なんて一切なかった。
何本でも増やしてやろう、と言った気合がある。
……だが使うのは一本でいい。もっと言えば指、一本でいいだろう。
限界まで硬くしたその指先で、モノクラウンの体を、削る。
ドリルのように回転を加えて体に穴を空ければ、中身のインクが、その穴から噴水のように溢れ出てくるはずなのだから――。
どばっ!! と小さな穴だが、多量のインクが噴き出した。
想像していたのは噴水だが、勢いがあり過ぎて爆発に近い。
雨ではなく滝だった……、
大地を凹ませるような乱打のインクが、世界を青色に染めていく。
振動が止まらない。
インクが落ちている限り、この揺れはずっと続くのだろうか……。
「――繋がったっ!」
噴き出したインクに乗って飛ばされていたユイカが、世界を見下ろし、確信する。
筆ペンを強化し、放つための勝利ルートが見えたのだ。
空中で回転するユイカが、背後にある魔法の手の平に受け止められ、背中をどんっと押される。地面に向かう彼女は近づく大地から、着色したばかりの青色を奪う……——『奪う』と言っても、本来であればその物体から色がなくなるわけではない。
だが、モノクラウンのインクだからか――染まったばかりでまだ定着していないからか――筆ペンに乗った青色の分だけ、大地に丸い無色の部分ができる。
文字通りに奪ったのだ。
『大地』を筆ペンに乗せたユイカは、次に自身の制服に筆ペンを向ける。
『だいち』の『ち』から繋げて――『
制服だが、その呼び名は数多くある。
限られた数種類の物しか場になくとも、
名前で変化をつければ二手、三手先で使い回すことも可能だった。
着衣の『い』だ。
現在、筆ペンは大地の青から着衣の赤を重ね……、条件は整っている。
再び青色へ戻れば、ユイカの属性色であるため、強化した魔法を放つことができる。
『い』であれば、真下にある。
――大地としてまとめられてしまってはいるが、細かくすれば条件に当てはまる……『石』だ(サイズによっては岩でも可能だ)。
色を奪い、筆ペンが青色に染まる。
別の色を一度取り込んだことで、魔力の消費量は軽減され、威力も増幅している……、
ユイカの背中から翼のように生えている魔法の青い手が拳を作り、さっきよりも一段と硬く、そして力の増幅を示す筋肉が見え――、それからすくい上げるように拳が振るわれた。
狙いはモノクラウンではない……、
厄介なのはモノクレードルの方だ。
青い拳がモノクレードルの腹にめり込んだ。
電球のようなガラスの球体を砕き、中身のインクをぶちまけながら、モノクレードルが上空へ飛んでいく――。
―――
――
―
ひとまず、脅威は去った。
背後にはモノクラウンがゆっくりと歩いてはいるが、足下にいるマユサたちを敵と認識している様子ではない。
簡単に避けられる危険は脅威ではないのだ……、もちろん油断すれば一瞬で命を持っていかれるが、意識していれば当たるわけがない脅威だった。
リオンを支えるマユサが、ぽす、と地面に落下したユイカに声をかける。
「早くっ、こっちに! 地上は危険だから地下に――」
「……限界、動けない……」
「はっ!?」
ユイカが倒れているところはモノクラウンの進行方向だった。
五指がある巨大な足が、ゆっくりと彼女を踏み潰そうと迫ってきている。
……建造物よりも大きな足だ。
早い段階で走っておかなければ、足の影の範囲に入ってからでは逃げ切る前に踏み潰される!
「あーもうっ!」
「マユサ!」
先にリオンを地下へ押し込み、マユサが走り出す。
大の字で倒れているユイカの元まで辿り着いた頃には、モノクラウンの足が真上に持ち上げられたところだった。
影の中心地点だ。
……今から全力で走っても間に合わない……っ?
「ユサー、おんぶー」
「だから僕はマユサだって――っ、背負うから早く体っ、起こして!」
二度寝しようとする姉を叩き起こすように引っ張って、ユイカを背負うマユサ。
時間のロスが大きいが……、耳元でぼそっとユイカが呟く。
くすぐったくて顔を背けたが、ユイカの手でぐいっと戻された。
「一瞬だけならなんとか、タイミングをずらせるから……走れる? マユサ」
「も、モノクラウンの足を止められるって言うの……っ?」
「一瞬だけね。だから……ほんと死ぬ気で走ってね、マユサ」
ぽん、と背中を叩かれ、駆け出したマユサの足が止まりそうな恐怖が真上から迫ってきている。太陽や月が落ちてきているような感覚だった……、
マユサの周辺を覆っているだけなのだが、まるで世界の全てを飲み込むような――。
「っっ」
「私がいる」
止まりかけた足が、止まる寸前で再び動き出したのは、彼女の声のおかげだった。
傍にいる。
それだけで、一人じゃないことを自覚しただけで――足はまだ回る。
「マユサっ、早くッッ!」
巨大な足の範囲内に入ってしまった、地下世界へ繋がる穴……。そこからリオンが顔を出して手招いている。
蓋を閉めれば、たとえ真上の足が落下してもリオンは助かるのだが……、一人で助かるつもりはないだろう……リオンはそういう子だ。
マユサが間に合わなければ、マユサとユイカは当然、リオンだって助からない。
……恐怖はどっちだ? 踏み潰されることか? ……違う。
自分のせいで女の子二人がここで死ぬことの方が、
自分だけが死ぬことよりも怖いに決まってる!!
「……間に合わ、ない……ッッ」
「一瞬だけなら」
ユイカが絞り出した声で。
限界まで薄くなった青色の……、かろうじて見える霧のような薄さの青い手が、本当に一瞬だけ、迫るモノクラウンの足を止めた。
ぱしゅん、と水風船を割ったような音と共に青い魔法の手が消える……、
それからぐったり、とマユサにユイカの重さが乗る。意識が落ちた人間の重さだった……。
死んだわけじゃない。ただ意識が落ちただけだ……、
だけどこの状態を維持していれば、そのまま切れてしまう可能性だってある。だから一刻も早く、地下世界へ戻って彼女を安静にさせてあげなければならない……――それが。
モノクレードルに襲われていたマユサとリオンを助けてくれた彼女への――、
最低限の恩返しである。
「――あぁああああああッッ!!」
一瞬だけ止まった、落下するモノクラウンの足……その足の裏に、マユサの髪の毛が触れるが、気にしない。
走る。走る。滑り込むように穴に向かって重心を落とし、手を伸ばして、飛び込んだ。
ぎゅっと掴まれた――リオンと、目が合う。
そして――。
ずっぅ、しぃぃんっっ!!!!
という一際大きな振動が、真上から聞こえる。
肉の塊となって段差を転がり落ちる三人が、岩の壁にぶつかり、勢いが止まった。
狙ったわけではないが、壁にぶつかったのは、マユサだ。
意識を揺らす衝撃がマユサを襲い……、
確認できなかったが、頬に触れた柔らかい感触に温もりを感じて――マユサが目を閉じる。
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