第3話 発端の脇道

「ちょ、監視の目があるんじゃないのかよ!?」


 路地裏の喧嘩があって、ボコボコにされた人が倒れているのかと思って近づいてみれば、それは人の形に似ている老木だった……、老木、だと思うが……。

 樹皮の感じから古い時代のそれだと判断したのだ。


 壁に背を預けて座っている人に見えたのは、そういう形だったからである。

 ……せっかく駆け付けたのにただの木か、とは思わなかった。


 怪我をして倒れた人でないなら、それに越したことはない。


「遠目から見たらそっくりだよな……奇跡的に形が似ているだけ……?」


 もしかしたら魔法を使った、こういうアートなのかもしれなかった。


 空に架かった虹や、魔法使いたちの飛行パフォーマンスとは違った、こういう隠れた出し物を見つけられるとちょっと嬉しくなるのは独占している感があるからか。


 しかし入り組んだ道の先でもないので、他の人に見つかるのも時間の問題である。

 出し物だとしたらそれとなく誘導する演出もあるだろうし……。


 せっかく作ったのに誰にも見られずに終わって片づけだけの手間がかかる、というのは製作者としては避けたいところだろう。


 それとも逆で、誰にもばれないところも含めてアートなのか?

 ユサには分からない世界の話だ。


 ともかく、予想外の足止めを喰らったが、引き返して屋台に向かおう。



 ――不意に、


 ぎしっ、という音が、背を向けたユサの耳に届く。

 自宅の床を踏んだような音だった。まるで木材の板を踏んだようで……。


 振り向くと、老木がゆっくりと動いていた。

 壁を擦り、預けていた背――、

 上半身にあたる部分が横に倒れて、パキパキと樹皮が剥がれる音が鳴る。


 倒れただけか……、と、真夜中に僅かな物音に敏感になっている感覚で冷や汗が流れたが、ただ倒れただけならあり得ないことでもない。


 あちこちで魔法が使用されているため、振動が伝わって位置がずれたのかもしれない…………いや待て、でも……?


 木であれば、いくら人の形に似ているとは言え、太く繋がっているはずだ。

 上半身だけが倒れるだなんて、折れてもいないのに、そんなことがあり得るのか? 


 まるで関節でもあるかのように、折り畳まれるように倒れた老木は――。


 熟考し、気づけば視線を逸らしてしまっていたユサの背後。


 上から覗くように立っている高身長の人の形をした老木が、ユサを認識した。


 赤茶色の樹皮は全身である。つまり、顔にあたる部分には鼻も口も目もなにもない――しかし、にちゃ、と『一文字』の切り口が入り、粘着性の高い蜜、か?

 唾液にも見えるそれが伸ばされ、口が開く。


 見えた歯は白くて、そこだけが人間味を感じさせた。


『ガ、ァギィ』


 発声は刃物を砥いだような音だった。


 老木の腕が伸びて、ユサの首を掴む。


 片手で首の全てを覆えてしまうほどの大きな手だった。


「あ、ぐ……っ!?」


 狙ったのか偶然か、ユサは助けを呼べなくなった。声も息も吐き出せない。


 数歩でも動けば大通りが見える脇道なのだが、建物の陰に隠れてしまっている今、声を出せなければ通りすがる人には見つけられない……。


 だが、監視している魔法使いがいたはずだろう? 


 どうしてこの異常事態に誰も駆け付けてこない……?


 ユサは思考を回す。これも含めた演出? いや、そんなわけがない。

 命の危険を感じているこれは、本気だ。強者が弱者を喰らう弱肉強食の行動である。


 であれば、監視の目がここにはない? 

 魔法使いの怠慢ではなく、単純に人員が割かれていなかったとしたら――。


 偶然できた監視の穴に、興味本位で飛び込んでしまったユサの自業自得とも言えた。


『ギャリィ、ィイイッッ!』


 車椅子から持ち上げられたユサは、宙ぶらりんの状態である。

 両足が動かないユサには意味がないが、これで彼は足を地につけることも叶わなくなった。


(こい、つ……なんだ……せい、ぶつ、か……なにが、目的、で――)


 老木の餌は肉なのか?

 捕食でなければ、なにを求めている?


 すると、ユサの力が抜けていく……、抜き取られている感覚がした。


 僅かだが、それでも少しは『ある』ユサの魔力が、吸い取られていき……——、


(狙いは……魔力、か……ッッ)


 魔力とは生命力と同じだ。


 血液と違って失血で死ぬようなことはないが、その場で動けなくなる……、魔力を失い動けずに、病気への抵抗力がなくなれば、餓死することも病死することも充分にあり得る。


 魔力を奪われて良いことは一つもない。


(姉、ちゃん……ッ)


 魔力を抜かれ、視界が霞んでいく中で、ユサは視界に広がる『黄色』を見た。


 刺激的な光がユサの落ちかけた意識を引っ張り上げる。


 首を絞めていた樹皮のような手がなくなったのだ。

 落下したユサを受け止めたのは、手である……、

 ただし人肌のではなく、魔力によって作られた巨大な手の平の上――。


 薄まった色で構築されたそれは、遠目から見ればユサが浮いているように見えるだろう……。


 魔法とはその『巨大な手』をどう利用し、超常的な現象を起こすか、ということである。


 その手の平を固めて作られた拳で殴り飛ばされた人型の老木は、元々いた場所の壁に叩きつけられた。すぐに立ち上がるが、飛び込んでこないのは生物として警戒しているからか?


 やはり、ただの老木ではないようだ。


「……リオ……さ、ん……」


「遅れて悪いわね、ちょっと様子を見たかったのよ。相手の手札が分からないまま飛び込むのは少し不安だったから……。

 だけどそうもいかなくなったから仕方ないわ。あなたがあのまま殺されていたら、ユイカに合わせる顔がないもの――正体を把握するよりも優先して、あなたを助けることにしたわ」


「……助けてもらっておいて、文句を言いたくはないですけど……、遅いだろ」


「随分前から観察していた、と思っているようだけど、多めに時間を取って観察していたのは十秒ほどよ? 早めに切り上げた方じゃないかしら?」


 ユサからすれば、見つけた段階で割り込んでほしいものだったが……、

 魔法使い・リオの言い分も分からないでもない。


 こんな得体の知れない生物なのか植物なのか、それとも物質なのか分からない相手を前に、情報ゼロで向き合いたくはないのだから。


 手の平の形をした魔力の上に乗るユサが、そっと車椅子へ戻される。


 ユサの中から魔力が奪われたせいか、背筋をぴんと伸ばすのもしんどい状態だ……。


 嫌な汗も出ている……悪寒が止まらない。


「リオさん……あれ、なんですか……」


「さあ? これから調べるけど……とりあえず行動不能にしておくべきよね」


 筆ペンの毛先に染まっていた黄色で、見える手の平を色濃く補強する……、そして握らせ、作った拳で老木を叩き潰した。


 人の形で地面に埋まる老木から、筆ペンを使い、色を奪う――。


 老木を染めていた色が筆ペンに吸収され、老木は白に近い灰色へ色を変える――。

 ……色を全て奪えてしまうほど、体内の魔力は少なかったのか……?


 明るい白や灰色は『色』として認識されるが、薄まった白、もしくは灰色は、『色』としては認識されない……、通称・色無しである。


 色無しとなった老木が、動きを止めた。


 生物と断定できない以上は、死んだとも言えないわけだ。


 両手足にあたる部分を縛っておけば、行動不能にはできるだろう……、リオが連絡を取り、複数の魔法使いたちが駆け付ける。

 リオを先頭にして、この老木の調査が始まるようだ。


「この子を医務室へ連れていってちょうだい。ユイカの弟だから……ちょっと荒れるかもしれないけど、ユイカにも報告を。

 あと、タイムスケジュールをずらして試合時間を少し遅らせてもらってもいいかしら……、理由? 会場のトラブルでも偽装して。作った時間でこいつの正体を暴いておくから」


 てきぱきと指示をするリオが、ユサをちらりと見て、


「あなたは余計な頭を使わないように。これは学園、そして国の代表でもあるスターズの役目よ。ただの少年にできる範囲の問題じゃないわ……、第一発見者だからって、責任を感じて動く必要はないわ――ほら、姉ちゃんに心配をかけないように回復に努めなさい、じゃあね――」



 閉じかけたまぶたの隙間から、老木を調べるために屈んだ金髪美女の背中を見届ける。


 胡散臭い、なにか企んでいそうな魔法使いはしかし、真っ直ぐで――正義感が強かった。

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