3-5 友達になりたくて

 ラピスラズリがサクラの部屋のキッチンを借りて何をしたのかと言えば、紅茶を入れていた。茶葉はラピスラズリ自身が持参したものでカップは既に、この部屋に会ったものを使っている。サクラは紅茶やコーヒーと言ったものを楽しんだことはないが、彼女の紅茶を飲んで落ち着いたのは本当だった。なんというか、この紅茶を飲んでリラックスしてほしいというような気持ちを感じ取れるような、そんな紅茶に感じた。それはもしかすると、彼女の思い込みなのかもしれないが、彼女はそんなことは気にしない。


「おいしいですね。落ち着きます」


「ありがとうございます。この紅茶はマスターのために覚えたものなのです。マスターと言うのは、私を作った人なのですが」


「そうなんですね。今、その人と暮らしているんですか」


「いえ、マスターは既に何十年も前に死んでしまいました。マスターが死んでしまう五年前に私が作られて、それから色々教えてもらったのです」


 しまった、そう思ったときには既に遅かった。口から出た言葉は取り消せないという言葉を信用していないわけではないが、自分がその体験をするとは思わなかった。サクラは彼女の言葉に割り込むことは出来ず、黙って彼女を見つめていた。


「この紅茶もそうですが、料理やお菓子の作り方。掃除の仕方。整理整頓の仕方。魔法の使い方。買い物の仕方。そして、自らの力の使い方。それ以外のことも沢山、沢山、教えてもらいました。しかし、自分の生き方だけは教えてもらえていません。死ぬ間際にこう言われました」


 彼女はずっと真っ直ぐに大人しく話を聞くサクラを見つめていた。その瞳に悲しみが見えた気がした。


「生き方は自分で考えて自分で決めなさい、と」


 彼女はそう言い切ると、自身の一滴も飲んでいない紅茶の水面を見つめる。そこに映っているのは、無表情な自分の顔だ。


「私はゴーレムです。オートと付いてるのは、ただ言われたことを何の手助けもなしにできるからです。私には、私が理解できません。ゴーレムは自分で考えて行動することは出来ないのです。マスターの居ない私はどうしてここにいるのか、わかりません」


 サクラは彼女の話を聞き続けていた。きっと、寂しいのかもしれない、サクラはそう思った。自分のことがわからないと言っていたが、それは他人との交流がほとんど、無かったからではないだろうか。交流することで他人を知り、自分と何が違うのか、同じ部分があるのか、そう言ったことを理解することで、自分という物を知るのだと思っていた。それは、サクラも同じだった。友達はほとんどいない。助けることはあってもその人と関わるかと言えばそうでもなかった。だから、彼女も他人を通して自分を知るという機会はほとんどなかったのだ。だからこそ、彼女はラピスラズリの寂しいのかもしれないと思った。たとえ、そうでなくとも、サクラは心に決めていた。彼女と友達になりたい。


「ごめんなさい。これからもお手伝いはします。今日はこれでお暇させていただきます」


 ラピスラズリは一滴も紅茶を飲まずに席を立った。湯気もいつの間にかなくなって、紅茶は冷めてしまった。サクラは自分のカップに残っていた紅茶とラピスラズリの前にあった紅茶を飲み干して、彼女の手首を掴んだ。


「ねぇ、紅茶、もう一回入れてくれませんか。私もこんな紅茶を入れられるようになりたいので、できれば教えてほしいんですが」


 彼女はラピスラズリより背が低い。そのため、上目遣いになり、相手が男であれば、好きになるかもしれない程あざとい行為。もちろん、ラピスラズリにはそんなものは効かない。自分のこともわからない彼女に、他人の心を掬い取るということは出来ない。しかし、ラピスラズリは足を止めてしまった。彼女の言葉が、体に纏わりついているような、そんな感触を体が伝えていた。彼女は振り払おうと思えば、彼女の手など、振り払えたはずだ。ゴーレムが人間と比べて力が弱いなんてことはまずないのだから。


「わかり、ました。困っているなら助けます」


 ラピスラズリは自分がここで足を止めたのは、彼女がお願いをしてきたからだと思った。彼女は命令でなくとも、お願いや頼みに関しても断れない。自身の知識や機能の中でできる命令は全て承諾してしまう。マスターの作ったタブーリストに触れない限り、頼みを断ることはない。ラピスラズリは知らないことだが、このタブーリストに強制力はない。彼女がただ命令だと思って、遵守しているだけだった。


 二人はコンロの前に立った。ラピスラズリがコンロを着けようとしたところで、彼女が手を留めた。彼女はサクラにコンロや水道の使い方を口で説明しただけで、実際に使っていなかったことを思いだして、彼女にやらせることにした。サクラはそれが少し嬉しかった。彼女とは友達ではないかもしれないが、こうやって、何かを教えてくれるような人はいなかったのだ。大抵は一人でやって失敗する。そんなことばかりだった。そんな彼女は、ラピスラズリと距離を縮めるために提案をすることにした。


「ラピスラズリって長いから、ラピスって呼んでもいいですか」


 誰かにお節介をするときより勇気がいるとは思わなかった。体が強張るほどだ。あだ名で呼んだことも呼ばれたこともないのだ。それを自分から言える日が来るとは思わなかった。しかし、断られたら心が折れるかもしれない。


「……ラピス、ですか。……ええ、いいですよ。サクラさん」


 ラピス、それは彼女のマスターが彼女を呼ぶときの名前だった。懐かしい響きだった。誰かにそう呼ばれる日が、また来るとは。彼女は自分の胸に手を当てていた。それは無意識だった。

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