第4話

 私は二十四のOLだ。仕事にも、都会の暮らしにも大分慣れてきた。平凡と言えば平凡な毎日だけど、その分大きなトラブルもない毎日に満足している。


 私は今日、休みを利用して久しぶり地元に帰ってきた。街並みを眺めながら、慣れた土地を歩く。


 ああ、あのパン屋さんはなくなってしまったか。高齢のご夫婦がやっていたから、仕方ないかな。でも隣のクリーニング屋さんはまだやっているのね。所々変わってしまった景色に少したじろいだけど、その一方で変わらないお店や建物もあって心が落ち着いた。


 私が帰ってきたのは、中学の同窓会に出席するためだ。私は四年大学を出て、就職を期に上京した。中学時代の友達と会ったのはもう、どれくらい前だったか。中学卒業後、時々会っていた友達はいたけど、それも大学に行くころには寂しい頻度となって、今ではほとんど疎遠となっている。ただ、小さな町のことなので、両親から時折噂話くらいは耳にした。


(そういえば、あの子どうしただろう?)


 私の脳裏に、一人の男子生徒が浮かんだ。あだ名は『テッペン』。背の高い子だった。中学二年のころには百八〇センチを優に超えていて、『このままじゃ空まで届くな』と言ったクラスメイトの冗談からそのあだ名がついたのだ。


 『テッペン』はすごく穏やかな子だった。気の強い女子に罵られても、ふわふわと躱してしまう。そんな姿があまりに優しくて、いつの間にか『テッペン』はクラスの癒し的存在になってしまった。


 『テッペン』は足が速かった。バスケをした時なんて、NBAのスター選手みたいだった。(と言っても、私はバスケに詳しくないけど。)ロケットみたいに走っていったかと思うと、高いバスケットゴールがお辞儀をしたのかって思うぐらい、軽々とボールを入れてしまって。球技大会の時は沸いたな。


 『テッペン』は勉強が少し苦手だった。特に国語が苦手で、『どせきりゅう(土石流)』を『どいしりゅう』って読んだのは今でも覚えてる。クラスの皆は笑ったけど、『テッペン』はその時も得意の照れ笑いで流してしまった。


 『テッペン』は本当に、クラスの人気者だった。『テッペン』を嫌う人なんていなかった。小さな学校だったため、一人一人の関係が密だったからこそ言い切れる。皆、『テッペン』が大好きだった。




 三年に上がると、『テッペン』は時々学校を休むようになった。クラスの中には理由を訊く人もいたけど、『テッペン』は『風邪引いちゃった』と、お得意の照れ笑いだった。


 『テッペン』が休む日は次第に増えていき、二学期が終わるころにはほとんど来なくなってしまった。最初のうちは皆怪しんだり、心配したりしていけど、『テッペン』が欠席する日数が増えるにつれ、クラスメイトはだんだんそれに慣れてしまい、気にかけなくなっていった。


 ただ、全く気にしていない人ばかりでもなかった。時折、空席になっている『テッペン』の机を眺めながら、かつて居た彼を思い出す人もいたのだ。私もそんな一人だった。でもその行動がより『テッペン』を過去の人にしてしまっている気がして、私は嫌な気分になった。『テッペン』がなぜ学校に来ないのか分からない。でも、誰もそれに触れない。それはまるで『テッペン』という人間がもともと居なかったかのようで、気味が悪かったのだ。


 卒業式の日、『テッペン』は久しぶり学校にやってきた。本当に久しぶりだった。随分痩せていて、前以上に背が高く見えたけど、クラスの子たちは皆、『テッペン』が学校に来たことを喜んだ。『テッペン』が来てくれたおかげで、別れの寂しさと再会の喜びが交じり合い、私たちはよく分からない涙を流して、盛大に盛り上がった。そうして私たちは中学を卒業した。




 知った街を歩く。未だに、『テッペン』が学校に来なくなった理由は知らない。その後『テッペン』の家は引っ越しをしたと聞いたけど、それは風の便り程度で、信憑性のある情報ではなかった。


 同窓会の会場は、母校の空き教室だ。地元に残ったクラスメイトが打ち合わせをしてセッティングしてくれたらしい。そうだ。私は何もしていないから、せめて何か差し入れを買って行こう。途中にスーパーがあったよね。


 今日、『テッペン』は来るだろうか。彼はどうしているだろう。本当に、空に頭がつきそうなくらい大きくなっていたりして。あるわけもない自分の想像に、思わず笑みが零れた。




 会場に着くと、私の脳は一気に中学時代に引き戻された。久しぶりの顔ぶれなのに、皆、スラスラと名前が出てくる。『誰々? 誰々だよね⁉』といった言葉が白々しく感じられるくらいなのに、口からはそんな言葉が飛び出てしまう。まるで言葉遊びを楽しむかのように、その言葉を繰り返してしまう。私は他と同様、クラスの面々との再会を喜んだ。


 小さな学校の同窓会だけど、残念ながら全員参加することは叶わなかったようだ。でも、それは悲観する話ばかりでもない。


「あの子、バックパッカーになって、今インドを旅しているらしいよ」


「あの子は今、二人目を妊娠中だって」


 何とも跳んだ話だと、これでもかと言わんばかりに瞼を開けて語り合う。中学時代には想像もできなかった姿を教えられ、十年近い月日の長さを感じた。その感覚に、置いて行かれたような寂しさを感じたけど、それと同時に新たな時代の幕開けも見えた気がした。


 喧噪の中、私は辺りを見回した。やっぱり、『テッペン』は来ていなかった。なぜか、誰もその話題に触れない。中学卒業後、皆疎遠になってしまったからなのだろうか。ただそんな私もなぜか『テッペン』の話は持ち出せなくて、胸に何か詰まるものを覚えながらビールを飲んだ。




 同窓会ももう終わろうとしていた時、男の人が一人、教室に入ってきた。ひょろっと伸びた体、ふわふわと笑う顔。間違いない。『テッペン』だ! 皆、堪えていたものが一気に溢れ出してしまい、彼に集まった。


 だけど、それは勘違いだった。彼は両手の掌を胸の前で見せ、『落ち着いて』といったジェスチャーを見せた。


「すいません、俺、『テッペン』じゃありません」


 皆が辺りの面子と顔を見合わせ黙ると、その人は私たちに視線を漂わせ、『テッペン』の弟だと名乗った。その声が通ると同時に、そういえば一人弟がいたな、とどこかから声がした。その声が信憑性を与え、私たちは彼の声を信じた。


 そんな声がなくとも、弟であることを疑う余地はなかったのではないかと思う。背もさることながら、顔も瓜二つだ。それもあり、皆もすぐ彼の声を信じたんだろう。


「今日、兄貴はちょっと来れなくて。それで、俺がこれを預かってきました」


 彼は、脇に挟んでいた四角い箱を手に持ち、皆に見せた。A4サイズくらいの、少し古びたクッキー缶だ。その見た目からして、クッキーの差し入れでないことは簡単に想像がついた。


 かつてのクラス委員長が代表してクッキー缶を受け取った。礼儀として、開けてもいいのか彼に尋ねる。彼の頭が縦に揺れるのを認め、かつての委員長は蓋を開けた。


 中には、小さく折り畳まれた白い紙がいっぱい入っていた。委員長が一つ一つ、手に取って確認する。白い紙には、それぞれクラスメイトの名前が書いてあった。どうやら、手紙のようだ。委員長は辺りを窺いながらも、自身の判断で手紙らしきものを該当するクラスメイトに渡していった。


 クラス全員分、誰も忘れられることなく、その手紙は行き渡った。勿論、私の分もある。皆は爆発寸前の緊張感で、それぞれの手紙を開いた。


 途端に、皆それぞれの感情を爆発させた。


「ちょ、俺もう寝坊してねーよ!」


 冗談交じりのメッセージが書かれていた男子は、やり返すように声を放つ。


「ちょっとやだぁ。こんなの私、忘れてたのに」


 盛大に笑いながらも顔を赤らめる女子。手紙は、今の『テッペン』が今の私たちに宛てたものではなく、かつての『テッペン』が未来のクラスメイトに宛てて書いたものだったのだ。


「そうなんだよな。俺、あん時すんげーこのゲーム好きだった」


「私が花壇の水やり頑張ってたの、見てくれてたんだ」


 懐かしさに涙ぐむ子たちまで。


 私は皆の姿を眺め、なんだか不思議な気分になった。この感動は十年近くの歳月が生んだものにほかならないのに、時間が卒業式の日に戻されてしまったかのような心地があったからだ。卒業式から今へと、点が繋がった気がした。こうして、中学時代の思い出は新鮮な過去となったのだった。




 深夜お開きとなり、私たちは母校を後にした。皆一緒に出たものの、それぞれがそれぞれの方角に分かれていくうちに、だんだんと塊は単体へと変化していった。


 いつの間にか、私は『テッペン』の弟と二人きりになっていた。彼はあの後、私たちに付き合ってくれたのだ。残り物ばかりで申し訳なかったけど、私たちは彼に、料理や飲み物を出した。彼は照れ臭そうに笑いながらも、嬉しい、美味しいと喜んだ。


 その後少しばかり話をして、片づけをした。会場は教室であって、パーティールームではない。片づけは自分たちで行わなければならなかった。


 彼は当然のように片づけを手伝ってくれた。いいからとクラスメイトが止めても、彼は『テッペン』の様に、照れ笑いでそれを流してしまったのだった。


「ねぇ」


 私は思い切って、口を開いた。


「テッペン、何で今日来れなかったの?」


 彼は、「うん、ちょっと」と笑みではぐらかしてしまった。


 何となく、分かっていた。きっと答えてはもらえないんだろうなと、前もって分かっていながら私は訊いたように思う。


 辺りは静かだった。深夜の住宅地など、こんなものだろう。


 彼の家は、こっちなのだろうか。もしかして、私を送ってくれている? それを疑いつつも、私はその質問を避けた。




 私は迷っていた。きっと、彼は何も答えてくれないだろう。さっきのように、『テッペン』に似た顔で、ふわりとはぐらかしてしまうだろう。


「あの」


 私は彼に声をかけた。それでも、尋ねてみたかったから、彼に声をかけた。


 彼が私の声を待っている。その様子を知りながらも、私の喉はなかなか解れてくれない。そうするうちにだんだん焦りが生じて、私は無理やり声を絞り出した。


「……あの手紙、誰が書いたの?」


 そっと見上げ、彼の様子を覗く。彼は、きょとんとしていた。


「兄貴が書きました」


「それはないと思う」


 その音に、私は弾かれたように声を出した。彼が嘘をついているって、直感が働いたから。


「私の手紙、これなんだけど」


 私は先程貰った手紙を彼に差し出した。外灯の明かりでも、読める程度の内容だ。


 私の手紙には、かつて私が大好きだったロックバンドのことが書かれていた。


『今でも好き?』


 そんな質問で終わっていた。


 『これが?』と、彼が視線のみで訴えた。


「私ね、確かにこのバンド好きだった。っていうか、今でも好き。もう前ほどの人気はないし、私も前ほどの熱狂的なファンじゃないけど、ライブには行ってるし」


 彼はますます困惑を露わにした。そうだろう。手紙の内容は何も間違っていないのだから。


「でもね」


 私はしっかり彼の顔を見上げた。本当に、高い。これほど『テッペン』に近寄ったことはなかったけど、きっと昔もこんな感じだったんだろう。


「私が、このバンド好きになったの、高校に入ってからなの」


「記憶違いとかじゃ……」


「ううん」


 はぐらかそうとする彼が逃げてしまわないように、すぐ否定する。


「だって、このバンドを好きになったきっかけは、高校時代の友達だったんだもん」


 高校に入って、すぐに仲良くなった子がいた。


『このバンド、すごくいいんだよ』


 ある日、その子に紹介されたのがそのバンドだった。メンバーの格好から察するに、ジャンルはロック。『私、ロック聴かないんだけどな』って頭の中で呟きつつも、付き合いだからと仕方なく聴いた。


 あまりの感動に、頭の中が打ちのめされた。彼らの音楽が、ロックって五月蠅いばかりだと思っていた私の脳みそを百八十度変えてしまったのだ。


 それからお小遣いを貯めて、時々バイトをして、ライブを観に行った。勿論、その子と一緒に。一緒にグッズを買いに行ったり、どちらかの部屋に泊まって、ほぼ徹夜状態で彼らの音楽を聴いたり、彼らの話に花を咲かせた。それは間違いなく、私の高校生時代の青春だった。


「だから、『テッペン』がそれを知ってるはずないんだよ」


 同じ高校に通わなかった『テッペン』が、私の好みを知っているはずない。一体、どこで『テッペン』はその情報を手に入れたの?


 その情報を手に入れて書いたのだとしたら、中学時代に書いたものでもない。一体、この手紙はいつ書かれたものなの?


 そもそも、本当に『テッペン』は知っていたの? 『テッペン』が知らなければ、絶対にこんな内容書けないじゃない。


 彼は、穏やかな笑みを浮かべていた。やっぱり、そうだ。彼は何も答えない。そのつもりなんだ。初めて、『テッペン』の、――『テッペン』によく似た顔に浮かぶ緩い笑いに苛立ちが込み上げた。


「誰が、書いたの?」


 私の顔はきっと、生徒を問い詰める先生みたいな顔になっていたと思う。ぐっと睨みつける私に、彼は参った顔で溜め息をついた。


「誰が書いたとしても、よくありませんか?」


 バチンと、私の頭の中で電気のようなものが弾けた。


「誰が書いても、よくないか、ですって?」


 怒りのあまり、全身の血管がバチバチと音を立てる。


「あのね! 『テッペン』は、私たちの大事な友達だったんだよ! そんな『テッペン』が書いたっていう手紙を、誰が書いてもいいわけないでしょ!」


 無性に悔しさが込み上げた。『テッペン』は、『テッペン』でしかない。他の誰もが、彼らでしかなかったように、『テッペン』だってそうだった。誰が誰に変わっても、同じようにはならない時間だった。


 楽しかった思い出が次々と蘇っては踏みつけられていく。穏やかに、照れた顔を浮かべる『テッペン』の姿も、踏みつけられていく。


「何で、あんたに私たちの青春を、踏みつけられなきゃならないのよ」


 こんな奴に(『テッペン』の弟だけど)、大事な友達を軽く扱われた。そうされることで、一緒に学んで遊んだクラスメイトとの思い出も弄ばれた気がした。青春を、台無しにされてしまった。


 いつの間にか、涙が零れ落ちていた。きっと、久しぶりの面々に会い、酒を呑んで、興奮が冷めていなかったのもあったのだろう。涙は台無しになってしまった過去を突き放すかのように、流れ続けた。


 焦った彼が、口を開いた。


「あの、近くに、美味しいおでん屋さんがあるんです。二時までやってるんで、まだ開いてるし」


 随分、慌てている。ふわふわしてない。そんな顔もできるんだね。


「良かったら、今から行きませんか? 俺、奢りますよ」


「行かない」


 行ってしまったらきっと、またさっきのふわふわ照れ笑いで宥められ、あしらわれてしまう。そうして大人になって、『テッペン』を忘れてしまう。そんなの嫌だ。そんなことさせるもんか。忘れる時は私が決めてやるんだ。


 私は仁王立ちで泣いた。彼は困っている。照れ笑いではぐらかすこともできないでいるらしい。


 もう少し、この顔を楽しんでやる。小さな仕返しだ。私は駄々っ子よろしく、その場で泣き続けた。



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