第21話 逃げない

 そこには独特な空気が流れていた。

 向かい合うのは血に飢えた戦場の猛者である猪の獣人。

 対するは、弱々しい姿形をした、まだ少年の人間。

 種族が違う。

 住む世界も過ごしてきた世界も見てきたものも積み重ねてきたものも違う。

 唯一同じなのは、せいぜい、二人が雄であるということだけであった。


「俺を追いつめに来た?」


 言われた言葉を神妙な顔で聞き返す、イベリ。


「一人で追いかけて来たか……奴隷のガキにしちゃいい度胸だ……で? 俺と戦う気か?」


 普通、汚らしい奴隷の子供にそんな言葉を言われても、鼻で笑って過ごすか、一振りで頭を叩き潰すかをしていただろう。

 しかし、イベリは知っている。

 目の前の少年が、あの地下世界で自分たちオーク族たちの中でもその名を轟かした将を、素手で互角に渡り合っていたことを。


(日々重労働しているんだろう……ひ弱な人間の子供の中では、常人より少し上ぐらいに肉付きだが……戦向きの体じゃねえ。内在されている魔力も感じない……)


 イベリは既に、女を嬉々として犯そうとするゲスの顔はしていなかった。

 対峙した敵の戦力を冷静に分析し、推し量ろうとしている。

 だが、それでも分からなかった。

 どうして、目の前の子供がはっがいバークシャを追い詰められたのかを。


「千人隊長……」

「消しときましょう」


 イベリの側近の兵たちが、前へ出ようとする。

 確かに、消すことに異論は無い。

 ましてや、相手はバークシャを追い詰めたほどの力を持っているのなら尚更だ。


「いや、待て」


 しかし、イベリは部下たちにレパルトを殺させようとはしなかった。

 イベリは持ち上げていたエルサリアを地面に降ろし、拳の間接を鳴らし、好戦的な笑みを浮かべながら部下たちどかして前へ出た。


「確かにこいつは戦争だ。最早汚いもクソもねえ。いくらでもド汚いこともする、略奪も陵辱も躊躇いはねえ。だがそれでも……俺は俺なりに自分の力を磨いて伸し上がってきた。その俺が、明らかに自分より弱そうな小僧に喧嘩ァ売られちゃあ、仕方ねえ」


 イベリなりのプライド。レパルトの挑戦がそれを刺激した。


「……君は……あのとき、お姉さまと……」

「セレスティン姫……」


 一方で、レパルトの存在にエルサリアだけでなく、セレスティンも戸惑いながら、何と声を発していいのか分からない状況だった。

 そんなセレスティンに、レパルトは複雑そうな表情を浮かべた。

 憧れの姫の妹。自身が彼女の姉に対して何をしてしまったのか。そして、野蛮なオークたちに囚われた今の姿。

 その姿に対して、レパルトが言えるのは……


「セレスティン姫……俺……こいつに勝てません! 俺はこいつよりも弱いから! でも……俺は逃げません!」


 必ずとは言わない。必ず助けるとは言わない。なぜなら、自分ではそれができないことをレパルトは重々承知しているからだ。

 でも、それでも逃げないと宣言した。


「にげ……ない?」


 相手は自分より強い。勝てない。でも逃げない。レパルトのその正直な気持ちは、セレスティンに向けられた言葉であったが、今この場に集っていた人間たち全員の耳に届いていた。


「はん! 逃げないでいられるもんなら逃げないでみやがれ!」


 イベリが全身の筋肉を漲らせる。己の拳と拳を叩き合わせ、その衝撃で僅かに風が起こる。

 瞳をギラつかせ、身構え、そして目の前のレパルト目掛けて一直線に走り出した。


「いくぞガキがァ!」


 イベリに小細工など何も無い。持って生まれ、そして鍛え上げた豪腕を振りかぶってそれを相手に叩きつけるだけ。

 それだけでこれまであらゆる敵を粉砕してきた。



「ダメ! 逃げて!」



 間違いなく殺されると、セレスティンが悲鳴を上げ、民たちが思わず目を逸らしそうになった。

 しかし……


「うおああああああ! 相手の懐に!」

「ッ!?」

「入り込んでから―――――」


 イベリの振りぬいた拳を、レパルトは素早くしゃがんで回避する。

 アッサリと相手の懐に飛び込めたレパルトは、見上げればそこには無防備になったイベリの顎。

 その顎を目掛けてレパルトは両足に全力の力を込めて飛び、拳を突き上げる。


「顎を目掛けて全力でふり抜くッ!」

「ッ!!??」


 今のレパルトのパワー。

 それは、イベリの弩級の豪腕を数値化した場合のマイナス1の力。


「蛙拳飛ィ!!」


 自身の力でこれまであらゆるものを粉砕してきたイベリでも、自身のパワーとほぼ同等の力で殴られたことなどほとんど無い。

 顎を跳ね上げられ、骨が砕け、猪の牙が折られて宙を舞った。


(―――ちょ!? しま、油断!? いや、な、なん……だ、この力は! 骨が砕け、お、おい、この傷み……う、そだろ! このガキ、俺と同じだけの力をこの細腕で……お、おいおい、待て……体がしびれて、……うご、動け! 動けええ!)


 意識が断ち切られるギリギリの寸前だったが、懸命に心の中で叫び続けてイベリは意識を保った。

 グラリと崩れそうになった両足を懸命に踏ん張り、反れた状態を無理やり起こし、目の前で拳を突き上げた態勢のレパルトの顔面に向けて、渾身の力を込めて振りぬいた。


「んのガキガアアアアア!」

「―――――ッ!?」


 確実に顔面に打ち込まれた拳。小柄なレパルトがそのまま地面に陥没するほど叩きつけられた。

 その光景に誰もが息を呑むも、イベリの表情は固い。


(完全に当たった……人間の体なら、首から上が消し飛ぶか、潰れるかの力だ……だが、この手ごたえは……頭蓋骨に亀裂を入れた程度……このガキ、なんつう固い骨をしてやがるんだ!)


 顎の痛み、手に残る感触、そのどちらにもイベリの動揺は隠し切れない。

 しかもそれだけでなく、


「ひっぐ、ぐ、う、うわあああ!」

「んなにっ!?」


 地面に陥没するほど叩きつけられながらも、レパルトは直ぐに立ち上がり、その小さい体を大きくねじって、目線の高さにあるイベリの肝臓目掛けて右の拳を捻じ込んだ。


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