第17話 砦の姫騎士

 山を越えた先の麓にある砦は、地上に住む人間の領地。

 その周りには、どこまでも広がるなだらかな大地が広がっていた。

 彼らは、アルテリア覇王国の傘下の国であるが、隷属しているわけではなく、そののどかで広い土地を使った農作物等の取引で質素な生活を送る小国であった。


「おか~さん、おねーちゃん、ひっぐ、わ、わたしたち、どうなっちゃうの?」

「メルル! 顔を隠して! いい? 何があっても出て来ちゃダメ。今は門が閉じているから大丈夫だけど、このままじゃ……」

「安心しなさい。メルル。必ずやエルサリア様が、アルテリア覇王国が私たちを助けに来てくださるから。それに、何があっても、メルルもミーナも、お母さんが守るから。天国のお父さんも、きっと守ってくれるはず!」


 決して裕福とは言いがたいが、戦乱の世とはいえ比較的辺境の地にあるために、平穏な日々が続いていた。この三人の母娘もその日常にて平穏を過ごす民たちの典型である。

父親を病気で亡くし、母娘だけの三人暮らしは、決して贅沢に生きることは出来なくても、三人で力を合わせて今日まで生きてこれたのも、この国がいかに平穏であるかを示していた。

 さらに、国を現在統治し、先代の王と王妃を早くに亡くし、未だ十代なれど立派に後を継ぎ、国を守る一人の姫が居たからである。

 ミルフィ国の気高き姫騎士と呼ばれし、姫。


「エルサリア姫! 二千のオークたちが砦回りを囲んでおります! 城門は全て閉じているものの、防ぎきれるものではありません!」


 姫の名は、エルサリア・ミルフィ。

 辺境の小国の姫君でありながら、剣技や魔法の才能に長け、騎士道を尊び、怠け者には厳しい一面を見せることはあるが、民の人気がとても高く、部下にも非常に尊敬され慕われている。

 そんな姫は現在、のどかな国を脅かすオークの大軍に砦を囲まれて、苦渋の決断を迫られていた。


「バカな! 何だこれは! ……セレスティン姫の身柄と民の無事を望むのであれば、無条件降伏し、砦を解放しろだと……? おのれえ!」


 執務室の机を力強く叩き、手に持っていた伝令の封書を握り締め、姫は憤っていた。

 金色の長い髪と、白いフリルのついた騎士の鎧。青い短いスカートをひらつかせ、腰元には宝石の装飾が散りばめられた剣を携えている。

 凛とした青い瞳と高潔なる美貌。

 しかし、今、その表情が憤怒に染まっていた。

 その手には、現在砦を囲むオークの軍兵が交渉として送られた文。

 その内容を見たエルサリアは激高していた。


「なんという卑怯な……セレスティン姫を攫う等……勿論姫の無事が最優先……しかし、従ったところで奴らが民の無事を保証することなど……」


 同盟国家でもある覇王国の姫君を人質に、更には決して戦慣れしていないこの砦を戦火に巻き込むことを交渉の材料にされ、どうすればいいのか分からず、エルサリアは唇を噛みしめる。


「誇りを持って戦い、そして死ぬのは容易い……しかし、それでは大事な民が……セレスティン姫が……」


 誇り高き姫として、これまで自ら剣を振るうことは幾度とあった。

 大規模な戦争とは無縁の辺境地域とはいえ、山賊や凶暴な魔獣討伐などには自らが率先して、砦の騎士団を率いて討伐に向かった。

 しかし、千を超える軍勢が相手となると、誇り云々や自らの力だけで覆せるレベルではなく、ましてや庇護を受けるアルテリア覇王国の姫の身柄と砦内の民の安全を考慮するならば、降伏してしまうのが最も利口であり、国の王としての務めとも言えた。

 だが、それでも素直に降伏できないのは、エルサリアが感じている不安。果たして砦を囲むオークたちが、自分たちが投降することで、民には一切手を出さないかだ。

 戦乱の世。侵略した街や国の凌辱などは世の常である。

 敵兵の憂さ晴らしのために無意味に民の首を刎ねたり、男を過酷な労働を課す奴隷にしたり、若い女などは……


「ぐっ、ど、どうすれば……受け入れられるはずが……」


 すると、その時だった。


「ッ!? な、この声は?」


 城の外から勝鬨のような声が聞こえてきたのである。

 砦内に勢いよく、何かがなだれ込むような気配。

 混乱して泣き叫ぶ民たちの声。

 驚愕したエルサリアが慌てて執務室の窓を開けて外を見ると、そこには……


「ば、バカな! なぜ? 城門は固く閉ざしていたはず! なぜ既にオークの軍勢が砦内に!」


 砦回りを囲んでいたオークの軍勢が、砦内になだれ込み、街を制圧していく。

 逃げ惑う民たちは捕らえられ、斬られ、抑えつけられ、阿鼻叫喚が広がっている。


「何故、西門が開いている! 破壊されてもいなければ、城壁に長梯子で登られたわけでもないというのに!」


 エルサリアは目を疑った。敵が反対側の門から侵入したとすれば、門を壊すか、城壁に梯子をかけて登り、城壁と門を制圧して裏から開ける方法だ。

 しかし、目で確認する限り、城壁の上が制圧されている様子も、門が力ずくで破壊されている様子も無い。まるで、敵兵たちを迎え入れるかのように、門が上がっていたのである。


「姫様、大変です! オークの軍勢が!」

「ここは危険です、姫様はお逃げください!」


 執務室の扉を勢いよく開け、エルサリアの近衛兵が血相を抱えて飛び込んできた。


「そ、そんな! あ、ああ、敵があんなに……」

「姫様、もうここは危険です! 今すぐお逃げ下さい! 地下通路を使って、姫様だけでも速く!」


 攻城戦において、門を突破されて敵に侵入されることは敗北を意味する。

 市民のほとんどが、戦の経験のない農夫たち。

 おまけに、敵の侵入で完全に混乱に陥った市民たちになす統べなく、この状況ではいかなる名軍師でも逆転は不可能であった。


「姫様、こちらへ速く!」

「なにを……何を言う! 民を見捨てて逃げるなどできぬ!」

「姫様こそが希望なのです! 姫様がご無事であれば、我らの負けではありません!」


 悔しさで顔を滲ませ、噛み締めた唇から血が滴り落ちるエルサリア。そんな彼女の手を近衛兵の数人は無理やり引っ張り、彼女だけでも逃がそうと城内から外へと続く隠し通路へと向かう。


「げははは、おい、ジジイとババアはとりあえずぶっ殺しとけ!」

「じゃあ、若い女は拉致るか?」

「ちっとは反逆してみろよ。腰抜け騎士共が助けに来ないかもしれねえぞ?」

「おい、食料を中心に奪っとけ。兵糧は補充しとかねえとな」

「ギヤハハハハハ!」

「ほらほらお嬢ちゃん、逃げないとブチ込んじゃうぞ? 絶対に孕むぞ?」

「田舎にしちゃあ、まあまあだな」


 街が壊れ、燃え上がる。人が傷つき血を流す。


「や、やめてえ、娘だけは、ッ、いやああああ!」

「おかーさん! おかーさん……あ、ああああああ!」

「や、やめて! やめてください! 御願いです、それだけは! わ、わ、私、まだ、しょ、いやああ!」


 聞こえる音は、悲鳴と泣き叫ぶ声か、狂った者たちのイカれた笑い声。


「げへへ、つ~かまえた。じゃあ、お嬢ちゃん、運命の王子様とチュウしちゃいましょうね。ブヒヒヒヒ」

「いやああああ! ぶ、ブタア、いや、ぶたなん――――――ッ!?」


 この街は、いや、この国はつい先程まであったはずの日常が突如壊れた。


「いや、は、離してええ! いや、助けてェ! おとーさん! おかーさん! おねえちゃん!」

「やめて、メルルだけでも! メルルだけでも離して!」

「あ、あああ……お願いします! 娘は……娘だけでも! 私が身代わりになります! どうか、娘を!」


 そこには、今日まで平穏を生きてきた三人の母娘もその悲劇に飲み込まれようとしていた。

 

「だ、ダメだ、あ、あああ! ダメ、やはり逃げるわけには! お父様が、お母様が愛したこの地を、たとえ命を失ってでも守らなければ!」

「堪えてください、姫様!」


 城内の回廊に入っても聞こえてくる、故郷を蹂躙される音。民と国をこよなく愛するエルサリアにとっては、死以上の苦しみに他ならなかった。

 もし、近衛の兵たちが手を離してしまえば、エルサリアは今すぐにでも駆け出していたことだろう。

 それでも、「姫だけは」という思いから、彼らもまた堪え切れないほどの苦痛を感じながらも、エルサリアを連れて走る。


「さあ、この階段を下りて地下道を抜ければ―――」


 しかし……


「どこへ行く、類人猿ども」


 それは何の前触れもなく、第三者の声と共に何かが飛び散り、エルサリアの顔や肌に生温かい何かが飛び散った。

 真っ赤に染まる視界と、何かが潰れた音。


「えっ……」


 それが、自分の手を引いていた近衛兵たちの潰れた頭から飛び散る大量の血だと気づくのに、数秒を要した。


「あ、な……な……なっ!?」


 振り向くと、そこには全身を黒い体毛に覆われた猪の獣人が居た。並の人間より二周り以上もする体躯で、肩から腕にかけては露出した鎧だけを纏い、その肉体に搭載された筋肉は一目で高密度だと分かるもの。

 その拳には、篭手と一体化し拳の先に鋭い棘のついたナックル。

 ナックルには人間の肉片と夥しい血が流れていた。


「……き……さまああああああああああ!」


 何の前触れもなく、今日まで傍に仕えた近しい兵たちが、一瞬で頭を潰されて命を落とした。

 気づいた時には、エルサリアは剣を抜き、猪の獣人へと刃を突き立てようとした。

 しかし……


「おっと、エルサリア姫。大人しないとダメだよお。大事な民が皆殺しいだよ?」


 それは、目の前の猪の獣人からではなく、その背後からひょっこりと現れた人物の口から発せられた。


「お、まえは……」


 それは、エルサリアにとっては良く知る人物であった。


「ハモリト……ハモリト! な……なにをやっているのだ、お前は! それに、何故お前が敵兵と一緒に居る!」


 ハモリトと呼ばれし男。その醜悪な容貌と笑みを浮かべる男こそ、この国に悲劇をもたらした要因の一つだった。

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