『私のN』-2 鏡の国のアリス

 あれよあれよと衣装部屋に連れて行かれ、色んな服装をさせられる。パーティで着るようなドレスから童話の主人公みたいな可愛らしいものまで。

「アジア人だけど肌が白いから何でも着れそうね」

「リリーはどれがいいんだい?」

「え、ええっとあの……」

「次はアリスにしようか?」

私が衣装部屋で着替える間、ノアさんはつい立ての向こうで不機嫌なまま待っている。

「いい加減にしろ。リリーは空腹なんだぞ」

「まあ! ノアが他人に気配りを!」

「今日は珍事件だらけだねえ〜」

 どう見ても甘ロリなアリスの衣装に着替えさせられた私はやっと双子から解放された。

「お化粧も」

「やめろ」

「もう!」

「あ、あの。着替えだけで十分ですので……」

「リリー、兄と姉は自分の思い通りにが仕上がらないと不満なだけだ。断、じ、て、親切や好意ではない」

ノアさんはどうも双子のお兄さんとお姉さんに普段から振り回されているようだ。それならこの嫌いっぷりも無理じゃない。

「あ、じゃあ遠慮しなくていいんですね? 実はロリータ着てみたかったのでお化粧も興味あるんです」

「まあ!」

「何?」

「是非仕上げまでやってください。私も変身してみたいんですー」

「リリーがこう言ってるならあなたも文句はないわね?」


 ノアさんは不満そうだったけど甘ロリ初挑戦の私は鏡で見た自分がうんと可愛くなってて満足した。

「わぁ、私じゃないみたい」

「可愛いわよリリー」

「肌が白いのは得だよね」

「へへー。ノアさんどうですか? 似合います?」

ムスッとはしていたけど彼は私の全身をじっくり見て頷いた。

「可愛いと思う」

「嬉しいです!」

「では食事へ」

差し出された手を見て、エスコートってこう言うことなんだろうなと顔が熱くなった。

「えへへ」

「二人とも」

ノアさんは一瞬、その場がてつくほどの怖い声色になった。

「彼女に一切手を出すなよ」

「わかったわよ」

「仕方ないね。本気のようだし」


 六人用の黒いテーブルが赤い絨毯じゅうたんの上で目立つダイニングに、大きなステーキが運ばれてくると先程の恐怖は吹き飛んでしまった。

「うわー! 私の顔より大きい! いただきまーす」

食事のたびに両手を合わせて決まり文句を言うのは他国からすると異様なほど敬虔けいけんに見えるらしい。でもこれが日本人なので、と通せば周りは基本黙る。

「や、柔らかい……!」

「……嬉しそうに食べるな」

「そう見えます?」

甘ロリデビューしたしイケメンのノアさんと一緒に食事なので舞い上がっている自覚はある。

(しかもイケメンの方から好かれている……今一番幸せなんじゃない?)

なんて、のんきなこと。

自分のことばっかりで友だちがどうなってるか想像できないバカ。

「車中泊になりかけたとは思えないくらいラッキーですよ今」

「ああ、車を直しておかないとな」

ノアさんは控えていたフットマンに視線を向けて下がらせる。

(おお、すごい。視線だけで命令わかるんだ)

「何から何まですみません」

「日本人はすぐ謝るね。お礼を言われる方が喜ばれるよ」

「あ、す、すみません」

「また謝った」

「う……」

余計なことは言わない方がよさそうだ、と口をつぐんでしまった。

(またやっちゃった……。学校でも大体こう)

日本で育つと周囲と波を立てない方を優先してしまうが、海を越えた先では自分の意思を通す気概きがいがないと“意見がない”と判断されてしまう。ミアもルークも仲のいい人たちはみんな、意見を通すのが難しい私の盾と仲介役になってくれている。

(そう言えばみんなと食事別々になっちゃったな……)

「あの、今からでも私の友だちと食事をご一緒しませんか?」

ノアさんは背筋が冷たくなるほどの恐ろしい表情を一瞬見せた。

にら、まれた……?)

瞬きをすると彼の表情は穏やかなものに、いや、出会い頭の感情がない様子に戻っていた。

「その必要はない」

「え、でも」

「聞くが、君の友人は君をただの友人と思ってる?」

「はい?」

「友人同士と言う割には男が二人混ざっているよね」

(ん?)

「……ただの友達ですよ?」

「……そう。君はただの友人だと思っている」

「ええ、はい」

「いや、ね? 友人という割には随分だし、三年間共に過ごしたと言うにはと思っていたんだ」

(馴れ馴れしいって……友達だから当たり前じゃない? 確かにルークはちょっとスキンシップが多いけど。あれ、でも。ルークやイーライがスキンシップ多いのはこのお屋敷に来てから誰も見てないはず……)

「……ええと」

「ああ、ごめん。返答に困るよね」

ノアさんは私から視線を逸らし食事に集中する。

(……何だろう)

何だかノアさんが怖い。こんなに優しいのにどうしてだろう?

自分の考えが嫌で、私も黙って牛肉を味わうことにした。


「うう……」

 私はコルセットを付けたまま食事をするのが初めてで食事の加減を知らず体調を崩してしまい、ノアさんに心配されて早々に客室に放り込まれた。

(コルセット付けたままだと胃腸が広がらないから満足に食べられない、のは着る前に知っておきたかった……)

幸い、メイドさん経由で胃腸薬をもらえた。滅多めったに病院にかかりにいけないド田舎のソルピー邸では医者も常駐じょうちゅうしているそうなので具合が悪くなっても不安に思う必要はないと言われた。

(せっかくの甘ロリが……)

運がないなぁ、と思いつつ睡魔に負ける。壁の向こうでゴン、と鈍い音がしても私がそれに気付くことはなかった。




 天蓋てんがい付きの豪奢ごうしゃな客室で目を覚ましても濃霧は昨日から変わらなかった。

「失礼いたしますお嬢様」

「おじょ……? ど、どうぞ」

目が覚める頃合いを見計らってメイドさんが訪ねてきてくれて、本物のお嬢様のようにベッドの上で洗顔や歯磨きが済んでしまった。

(いいのかなぁこんな破格の待遇たいぐう……)

昨日のこともあってコルセットは辛かったのでやんわりお断りすると、今日はレースが多くふりふりのシンデレラ風ワンピースの装いとなった。

(可愛い……)

姿見の自身が可愛くて照れているとノックが聞こえて、メイドさんからノアさんが来たことを伝えられる。

「どうぞ」

朝一番に見たノアさんは眩しかった。昨日のラフな格好とは違ってカジュアルなスーツ姿だったから。紫色の光沢を持つ紺色のスーツは薄いブルーの瞳を引き立てている。

「す、すごく似合います!」

「ありがとう。リリーもとても可愛いよ」

「は、はい。ありがとうございます……」

「朝食へ誘ってもいいかい?」

「もちろんです!」

ノアさんの手を取った時だ。ゴン、と壁の向こうから鈍い音が聞こえた。

「今のなに……」

するとノアさんは急に私を抱き寄せて、耳元で何かを囁いた。

なんて言ったのかはわからない。甘く低い男の人の声。途端に頭がクラッとしてのぼせたようになる。

「はぇ……」

ノアさんはふらついた私を支えて、メイドやフットマンに顎で指示をし私の額にキスをする。

「こう言う大きな屋敷は、壁の向こう側に使用人通路が存在するんだ」

「へぇえ、すごいでひゅね……」

無作法ぶさほうな新人がいるんだろう。さあ朝食へ」

「はーい……」

朝からこんな気分が良くていいのだろうか?

私はニヤける口元を抑えられないままノアさんと昨日のダイニングへと向かった。


 昨日に続いて今日も酷い濃霧なので迂闊うかつに外へ出ない方がいいと念を押され、やることもないのでノアさんに屋敷の中を案内してもらうことになった。

ソルピー邸には肖像画や風景画、壺や彫刻などの美術品は売るほどあり、と言うか財産の一部なんだろう。さらには植物園もあるとかで暇になる要素はどこにもなかった。


「いろんな人がいますねえ」

 私は客間の一つ、ピアノが置いてあるところからして舞踏会に使う真っ赤な部屋でソルピー家の肖像画しょうぞうがたちを眺めていた。

「肖像画のほとんどは親戚だと聞いてるが実際に会ったことはないんだ」

「そうなんですか?」

「直流ではないものの父の出自もそれなりでね。ヨーロッパの貴族連中とは仲がいいらしい」

「えっ、やっぱりお父さますごい人なんですか?」

「父が……。そうだな、一般的にはすごい人になるのかな。遺産自体は大したことなかったけど渡米して事業を大きくしたそうだから」

「うわー、一代で財産を大きくしたアメリカ人憧れのなんですね!」

「まあね」

「ちなみにお仕事は何を?」

ノアさんはアメリカ人らしく腕を広げて肩をすくめた。

「この広大な土地から推測できるものは?」

「え? えーと……」

(当てろってこと?)

「……広さが関係しますか?」

「もちろん」

「広い場所……農業?」

「農業と、あとは?」

「んー……」

また壁の向こうでゴン、と音がした。

ノアさんはすかさず思考を中断された私に近付いて抱き締めてくる。

「わっ」

「農業と何だと思う?」

「え? ええと……」

(土地が広い……)

「牛さん?」

「牛さん」

「あ、牧場? でしょうか?」

「正解。我が家はワイン農場と畜産ちくさん、乳業とか色々」

「へえー」

「まあ、ワイン畑は分家が管轄かんかつしてるし本家の我が家はもっぱらブランドの管理と経営なんだけど」

「へええ〜、すごいですねえ」

ゴン、ゴン。と鈍い音が連続する。

さすがに気のせいでは済まされない頻度ひんどに肖像画の方を振り向く。もちろん真紅の壁と肖像画しかない。

「メイドさん、通路をよく使うんですね」

「……注意しておくよ。こううるさいとに失礼だからね」

「いえ、お仕事ですから」

見上げるとノアさんの熱い視線とぶつかる。

(うっ)

イケメンの色香いろか媚薬びやくみたいなもの。まともに食らうと酔ってしまいそうで、ついさっと視線を背ける。ノアさんはさみしそうにうつむいた。

「……俺はまた昨日と同じ顔をしていた?」

「え、ええ」

「でも心当たりを教えてはくれないんだね」

「それは、その……」

「自分が気付いた方がいいと言うのは本当? それとも言えない理由がある?」

「い、言っちゃいけないと思います。そもそも、心はその人のものじゃないですか? 他人がどうこう言うのは……」

「そう言うもの?」

「そう、だと思います……」

顔が熱い。

ノアさんはどうして私なんかに? 美人なんていくらでも寄ってくる環境にいるじゃない? アジア人が珍しい? 日本人と交流がないから? ううん、きっと違う。

(きっと恋が初めてだから……)

「リリー」

私の髪に触れる甘さを含んだ切ない声。それだけ甘えておきながら自分の感情に気付けない彼はひどくいびつだ。

「君がずっとここに居ればいいのにと思う俺は変?」

「い、いいえ、変じゃありません」

「じゃあずっと居てくれる?」

「だ、ダメです。今はレンタカーが故障してるからご好意に甘えているだけで……帰国しないといけないし……」

「……そうだね」

現実を思い出したのかノアさんは体を離した。

「植物園の方にも行こうか。ああ、もう昼か。先に食事を」

「あ、はい」


「んっ……」

 自分を好いている男性と丸一日つきっきりで、雰囲気が高まってしまって断れる人がいるだろうか? 十八歳の私には無理だった。

「ノ、ノアさん……」

昼食の後、ノアさんの部屋にこもりきり。私は髪や頬に優しいキスをいくつも受けていた。

「あ、あああの……」

「君を帰したくない……」

こうなってはノアさんの甘い声は脳への暴力だ。

(うう……雰囲気に流されちゃう……)

これは絶対よくないと思いながらもノアさんを拒絶できない。

(だって好みストライクなんだもの!!)

我慢がまんしていたけど一目惚れしたのは彼だけじゃない。私もだ。

背は高いし顔はお人形みたいに綺麗だけど凛々しいし、声だってイイ! ガタイのいいアメリカ人の中では細く見えるけど抱きつくとしっかり筋肉もあって、何より優しい!

(嫌う要素がなさすぎ!)

「リリー……」

(はぅう……)

もうダメだ。前に学校のパーティでルークと雰囲気に流されそうになったことがあったけどあの時は理性がしっかり働いた。でも今回はダメ。

(ダメなのに……)

甘い地獄があるならここだろう、と思った。

最後まであらがう理性もむなしく、優しいキスをゆっくり味わう。

ノアさんは喫煙者なのに唇は甘かった。

 そこから先はほとんど覚えていない。ただ、目が覚めたら次の日の朝で、ノアさんは私の隣で満足そうに微笑んでいた。




 濃霧はなかなか晴れず、私たちの滞在は五日目に差し掛かった。ソルピー邸のWi-Fiは有線で場所が決められており、外部と連絡するには屋敷の人の許可が必要だった。

災難さいなんだったわねー」

私はお母さんの声を聞きながら隣に腰掛けているノアさんに微笑んだ。

「でもすごく親切にして頂いてるの」

「そう? まあミアちゃんたちも一緒だから大丈夫でしょうけど。でも富豪の家に泊まれるなんて運がいいのか悪いのか」

「あはは」

ノアさんは私の髪を一筋すくってキスをし、電話を替わって、とささやいた。

「あ、お母さんあのね、ソルピーさんがお話ししたいって」

「え? あら本当? じゃあ替わって」

「はーい。どうぞ、母です」

「……お電話替わりました」

流暢りゅうちょうな日本語でお母さんは驚いたことだろう。

私は話を真横で聞くのも気まずいのでノアさんの視界に収まりつつ窓辺へ寄った。霧は相変わらず濃い。

(ここまで霧がひどいのもあんまりないよね……)

霧が出やすい地形は割とあるし、そう言うものとは思っていてもお日様が見れない日が続くと不安になってくる。

(晴れるといいなぁ)

「もう一度替わりましょうか?」

いつの間にか背後にノアさんが立っていた。

いきなり触られて驚きはしたけど嫌ではないので、彼の腕の中に収まっていると目が合ってふっと微笑まれる。

(今のは他の人でもわかるくらい笑ってた)

「では娘さんは大切にお預かりします。ええ、はい。では」

彼は電話を切って私のスマホを返してくる。

「家のことは気にせず泊まっていいと仰っていたよ」

「え、本当ですか? お母さん外泊には厳しいんですけど、珍しい……」

ノアさんは私をもっと抱き寄せると髪に口付けを落とした。

「濃霧の時は下手に動かない方が安全だってお母様も知ってらっしゃるんだろう」

「なるほど?」

ノアさんのキスは日毎に頻繁ひんぱんになっている。もう恋人ですって名乗ってもおかしくないくらい。

(外でもこの調子だと本人が気付く前に周りから恋人認識されそう……)

「リリー、今日はどこに行く?」

「植物園がいいです!」

「ああ、母も喜ぶよ」


 ノアさんのお母さんは何年も植物状態で眠ったまま。ノアさんが小さい頃に転倒てんとう事故で頭を打ってそれきり。ノアさんのお父さん、アーロン・T・ソルピーさんは奥さんを寝室に寝かせっぱなしなのを気にんで植物園に彼女の寝台を用意した。金髪の婦人は美しいままその日毎ひごとに様々な花で飾られ、眠っていてもたまに微笑んでいる。夢の中では幸せなのだろう。

「母さん。リリーが来てくれたよ」

ノアさんが優しく額に口付けるとお母さんは薄っすら目を開けた。

「えっ」

「ああ、今日は本当に気分が良さそう。母さん、ノアです。わかりますか?」

婦人はほわーんとして、すぐに目をつむってしまう。

ノアさんは嬉しそうに目を細めた。

「リリーのことがわかったんだね」

「そ、そうですか? あの、目を開けることは頻繁ひんぱんに……?」

「いや、大概たいがいもう一度眠ってしまうんだ。完全に覚醒することはないだろうって医師も診断してる」

「そんな……」

「そう悲しまないで。これでも結構、母さんは症状が良くなってるんだ」

「本当ですか?」

「うん」

ノアさんの表情は柔らかい。本当に嬉しいんだ……。

「……ノアさんが嬉しそうで私も嬉しいです」

彼はハッとして、悲しそうにうつむいた。

「ノアさん?」

「……ごめん。何でもない」

私が肩に手を添えると、彼は私と手を重ねて、眠る母親に微笑んだ。

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