【短編集】Tholpey家の肖像〜星に舞い降りし者達〜

ふろたん/月海 香

ソルピー邸宅編

『私のN』

『私のN』-1 夏休み、大きな屋敷

 彼はいつも黒いTシャツ、ベージュの古い型の上着にジーンズ。

1970年代のクラシックカーが好きで、生まれる時代を半世紀くらい間違えたような男性。

古い血統を継ぐ資産家の息子でありながら、人間を混沌と恐怖に陥れる宇宙からの侵略者。そして、私の恋人。




 彼との出会いは四年前。

父の仕事の都合でアメリカ西海岸に留学することになった凛々子わたしは、ハイスクール最後の夏休みに友達とレンタカーでバカンスに出かけた。

「海は見慣れてるからあえて砂漠に行こう!」

なんて言い出したのは眼鏡っ子のヨランダ。

バカじゃないの、と言いながらみんなついていった。

馬鹿だったのは本当。いつもと違うことなんてしなければよかった。


「楽しかったー」

 ヨランダは運転席のミアの隣ではしゃいでいた。私は後ろでイーライとルークに挟まれて窮屈きゅうくつな思いをしながら前の女子二人と旅行の思い出に花を咲かせる。

「ロックアートツアーもいいけど来年はビーチに戻そうよ」

「んー、そうだね」

「やっぱり波打ち際で男を引っ掛けないとねえ〜」

まるで男遊びに慣れているようなミアの口振りにルークは吹き出す。

「よく言うよ。いざイケメンに声かけられたら緊張で真っ赤なクセに」

「うるさいわね!」

ミアの叫びはタイミングが良すぎた。

ガタン! と車が大きく揺れ、ヨランダはコントロールを失った車を何とか制御して路肩に寄せた。

「ちょっと!」

「あちゃー、パンク」

辺りは岩と土が剥き出しの田舎の一本道。ハイウェイなんて気取ったって周りにコンビニ一軒もないんだから田舎も田舎。

「最悪!」

父親が整備士だから作業に慣れているミアはドアを勢いよく閉めて出ると後ろのトランクを開けた。

「あ!」

「どうしたのー?」

「しまった! 旅行中にタイヤ交換したから予備がないじゃん!」

「あ!!」

これには全員声を上げた。

「そうだった! やべーじゃん。次の店どこ?」

「うわーツイてない。レッカー? まさかの?」

「げえー」


 ミアの奮闘ふんとうむなしくみんなで車を押した。が傾きお店も見えてこない中、さらには霧まで出てきてしまう。

「うーわ最悪」

「車中泊するにもギュウギュウじゃん」

「まー、体折って寝るしかなくない?」

 お菓子をむさぼっていよいよ暗闇が霧に紛れる頃、プップ、とクラクションが響いてみんなで辺りを見回した。

「ああっ!」

遥か前方、イーライが指した場所に一台の車が停まっていた。

「やったぁ! ジゴクニホトケ! すみませーん!」

一番社交的なミアがルークと一緒に車のところへ向かってくれて全員胸を撫で下ろした。

「何とかなりそうだね〜」

「ねー、よかった」

「みんなー! レッカーしてくれるってー!」

ミアの大きな声で私たちは心の底から安堵した。


 残りの距離をみんなで押して行くと、ベージュの四角い気取ったクラシックカーが停まっていて、ミアはにっこにこしていた。

彼女の斜め後ろに車の持ち主らしき男の人が立っている。

後頭部を刈り上げた濃い灰色の短髪、透き通った薄いブルーの瞳。

顔は人形みたいに整っていて、くすりともしない口元。

黒いTシャツ、ベージュの古い型の上着にジーンズパンツ。

アメリカでは珍しい無愛想な男の人だった。無愛想でもイケメンだから見ているだけで眼福だけど。

彼はやあ、とも言わずにふかしていたタバコを道路に落として踏みにじった。

「ノアって言うんだって。家が近くにあるらしいから、引っ張っていってくれるって!」

「お世話になります」

私が礼儀正しくお辞儀をするとノアさんは二本目のタバコを取り出しながら私を見た。こう言う時日本人だと浮いてしまう。アメリカの人は滅多めったに頭を下げない。

「……日本人?」

と、日本語で聞かれて私は気持ちが明るくなった。

「はい! そうです! 日本語お上手ですね!」

「多少ね」

ノアさんは甘い煙を吹いて男子二人にあごで指示を出す。

「車くくりつけよう」

「あ、ハイ!」


 女性にレッカーはさせられない、とのことで男子二人が強制的にレンタカーへ。ミラは家が家なので慣れているからと自らレンタカーのハンドルを握って、私とヨランダがノアさんの高級車に乗り込むことに。

ノアさんは灰皿に吸い殻を山のように積んでいる。

(ヘビースモーカーなんだ)

正直タバコは好きじゃない。煙はくさいし、その人からも苦いにおいがする。

でもノアさんのタバコは変に甘ったるくて、ずっといでいるとアルコールで酔ったような気分になる。

「……ヨル?」

そのせいだろうか、ヨランダは後部座席でスッと寝入ってしまって私は助手席でノアさんの横顔を見つめた。

彼は本当に人形みたいに整っていて、綺麗だ。

男の人に綺麗って言うのは変かもしれないけど。

(でも綺麗)

「……彼らとは」

「はいっ?」

「付き合いは長いのか?」

ノアさんは日本語で話してくれた。気をつかってくれたに違いない。

「もう三年になります」

「三年」

物言いはぶっきらぼう。でも不快じゃない。

「日本とアメリカはハイスクールの年数違いますよね。日本は6・3・3なんです。だから十六になる年からこっちへ来ていて」

「ああ」

アメリカのハイスクールは学区によって異なり、私が通ったところは小中高に当たる区分が6・2・4だった。

「編入って形でしたけど、みんな仲良くしてくれました」

「そう」

「でも父の仕事で留学しているだけなので卒業前に日本に帰っちゃうんです」

ノアさんの指がピクッと動いた。

「……いつ?」

「秋頃ですね。こっちは卒業パーティを派手にしますけど、みんなパーティにリリーがいないのは寂しいって。あ、私凛々子りりこって言います」

「り、りこ?」

「はい。発音難しいですよね? だからリリーって呼ばれてます」

「……リリー」

「はい」

そのあとは特に会話は続かなかった。

でもこっちの人たちは喋らない時間はもったいない、みたいな感覚らしくてずーっと喋ってるから疲れてしまう。会話がない時間は嬉しいし貴重だった。

古いはずのベージュの車は、静けさの中を音も立てずに走っていった。




 ノアさんの家に着いたのは完全な真っ暗闇になってからだった。まず大きなゲートがあって、しかも自動ドアになってるゲートを潜ってからなおも車で走った。すごく広いことはわかる。

 でも玄関先が真っ赤な絨毯じゅうたんでゴージャスなシャンデリアがあって、玄関だけで故郷の家が屋根まですっぽり入っちゃう大きさだったのには驚いた。

口を開けてびっくりしている私たちの後ろでは映画やアニメでしか見ないフットマンとメイドさんが荷下ろしをしてくれている。

「すっっっごーい!」

ミアの言う通り。

「わぁああ大きい……こんなに大きいなんて……」

急に自分がみすぼらしく思えた。大丈夫だろうか、こんな立派なお屋敷に来て。

「あら可愛いお客様」

広い廊下の先から現れたのは歩くゴシックドール。

顔立ちは幼い。私たちより年下にすら見えるが、声は成人した男女だった。

(ノアさんの家族かな?)

「兄と姉だ」

「お兄さんとお姉さんなんですか!?」

ゴシックドールの男女はそっくりな顔でそれぞれの頭に小さなハットとリボンを付けていて、薄いブルーの瞳はノアさんと同じ。

(び、美男美女しかいないの……?)

「わたしはアダム」

「わたくしはエイダ」

「あ……」

「よろしくお願いしまっす! ルークです!」

挨拶をしようと思ったら美男美女に食いついたルークによって握手を取られてしまった。

「ルークったら……。凛々子りりこです。リリーって呼んでください」

「わかったわリリー。ルークもよろしくお願いしますね」

優しそうな人たちでよかった、と胸を撫で下ろす。

しかしここまで案内してくれてありがとう、とノアさんに伝えようと顔を上げたら彼は何だか怖い表情になっていた。

「の、ノアさん?」

ノアさんはルークをじっとにらみつけていて、それから私の顔を見た。

「君は普段からこんな扱いなのか?」

「ああ、違うんです。私いつも人見知りなのでルークはかばってくれるんですよ」

深い意味はないのだと両手を見せるとノアさんは不機嫌なまま私の手を握った。

「へ」

「リリー」

「な、なな何ですか?」

熱っぽい視線。

アジア人だから白人に色目を使われるのは大抵からかわれている時だ。

でもノアさんの視線は違った。

本気だ。これは本気で口説かれるときの目だ。

そのままキスでもされそうな熱にクラッときたけれど、ノアさんは私の手を掴んだまま歩き出した。

「君は俺と食事だ」

「え?」

「まあノア、どこへ行くの? がまだなのに」

「知らん」

「あ、あの……」

困惑するミアたちを放ってノアさんはとは違う場所へと私を連れ去った。


 そこはどこか? 二階にあるノアさんの部屋だ。

「……あの」

(いきなり独身男性? の部屋へ踏み入るのはハードルが高いです)

くつろいで」

(無理です……)

 玄関も廊下も神殿みたいにゴージャスだったけどノアさんの部屋は殺風景というか、物が本当に少なかった。あるのはキングサイズのベッドとソファ。枕元の小さな棚とランタン。ベッドの上に小説が一冊。

(何でランタン?)

ベッド脇に置くにしては無骨な感じがして、興味本位で近寄る。

中の炎は本物らしい。ゆらゆらと揺れている。

(瞳の色が薄い人はまぶしがりなのに……)

「珍しい?」

「え? ああ、そうですね。色の薄い人って皆さんまぶしがりだから……。まぶしくないんですか?」

まぶしいが、理由があって置いている」

「理由ですか。聞いても?」

ノアさんはいつの間にかベージュの上着を脱いでいて黒いTシャツ姿。

「……顔馴染かおなじみが残していったものなんだ」

「ああ、思い出のキャンプ道具なんですね」

ランタンなんて他に使い方が思いつかなくてそう口走った。ノアさんはちょっと肩をすくめて目を細める。

「そんな感じ」

(笑った……)

「ノアさんって笑うとそんな感じなんですね」

今度は彼が目を丸くした。

「……笑った?」

「え?」

「……君の目から見て俺は笑っていたの?」

「え、笑ったんじゃないんですか? 嬉しそうでしたけど」

彼はポカンとしてしまった。

「そ、そんな驚くことじゃないと思いますが……。確かにわかりにくいかもしれませんが、声色とかあるし、ほら」

彼は驚きっぱなしで私を見て、やや放心して私の眼前にずいっと顔を近付けた。

「君は俺の表情が読み取れるのか」

「え?」

「今までそんな人間いなかった」

「はい?」

「じゃあ、じゃあじゃあ」

彼は私をベッドに座らせると並んで座って色々話し始めた。

エレメンタリースクールしょうがくせいの時に給食が不味くて食べられなかったとか、父親が大企業の社長で家にいる時間が少ないとか。母親が早くに伏せてしまっていつも顔を見にいっているとか。

一つの話題が終わるたびに、俺はどんな表情? と聞いてくる。

妙な質問だとは思いつつ私は一つ一つ感じるまま答えた。

「給食が美味しくなかった時はご家族が初めてそばにいなかったんじゃないですか?」

「まあ、そうだね」

さびしかった上に給食が美味しくなくてガッカリしちゃったんじゃないでしょうか?」

「そうか、あの時はガッカリしたのか」

「お父さんとお母さんの話の時もさみしそうです」

「……母はともかく父の時も?」

「構って欲しい時にいなかったんですよね?」

「……まあ、そう、なるのかな」

さみしそうに見えます」

「……そう。そうなんだ」

彼は何故か自分の思い出を私に聞かせて、私越しに感情を確認している。

(変なの……)

「……もう一つ」

「はい」

ノアさんはまた熱っぽい目で私を見た。

(うっ)

「君を見て、何かを感じるんだけど、なんて形容したらいいかわからないんだ」

「え……」

「俺は今、どんな表情?」

自分に対して情熱的な視線を向ける相手に何て言えば?

私は耐えきれず顔を背ける。

「そ、その……」

「直視できないようなひどい顔?」

「じゃなくて、その……」

「教えて欲しいんだ」

甘く切ない声で振り向くと彼は泣きそうになっていた。

「教えて」

それは恋です。なんて言えるはずがない。

「……その……」

育ちのいいお坊ちゃんがどうやったら見た目も表情も人形のようになってしまうのだろうか? お金持ちでルックスもいいなら周りの人が放っておかないだろうに。恋の一つもしたことがないのだろうか?

ついうつむいていると彼は残念そうな声を出した。

「……ごめん」

「えっ」

「困らせているみたいだから……」

「あ、ええと……確かに返事に困るものではあるんですが誤解しないでください! 嫌とかじゃなくて……」

切なそうな目元を見て、呼吸を一つ。まず自分を落ち着かせる。

「……その気持ちは自分で気づいた方がいいものです」

「……わからないんだ」

「私は、あなたが気付くまで待ちます」

「何故? 秋には帰国するのに?」

「帰っても待ちます。連絡先交換していいですか?」

「……うん」

初めて男の人に連絡先の交換を申し出てしまった……。

私のSNSアプリには、ノア・ソルピーと表示された連絡先が一つ増えた。




 一階に降りるとゴシックドールの片割れ、女性のエイダさんが服と揃えた黒い扇子を手に私たちを待ち構えていた。

「せっかく可愛らしいお客様なのに独り占めはずるいわよ? ノア」

「姉貴にやる客じゃない」

「まあ! なんてわかりやすい執着心かしら! あなたが一人のコにそんなにべったりだなんて……」

どうみても私より年下のエイダおねえさんは妖しく微笑んで私の眼前に綺麗な顔を近付けた。

「どうやってノアを誘惑したの? この子並みの色香いろかじゃ引っかからないのよ?」

「え?」

「姉さん」

ノアさんが私を背中に隠すとエイダさんはアハハと高らかに笑った。

「まるで騎士ね!」

「ふざけないでくれ」

「今回は酷く執着しゅうちゃくするのね。いつもなら私やアダムが引っ掛けようものなら途端に興味を失くすのに」

二人の雰囲気は決していいものじゃない。

どうしたものかとあぐねいているともう一人のゴシックドールが現れた。

「エイダ」

「アダム。聞いてちょうだい。わたくしがリリーを可愛がろうとしたら珍しくノアが嫌がるのよ」

「大事なおもちゃは取り上げちゃダメだよエイダ」

「違うのよ。おもちゃにしようと思ったら嫌がるの」

「ええ?」

アダムさんが意外、と言わんばかりに私を見た。

「……普通の子に見えるけど」

「わたくしもそう思うの」

「やめろ二人とも」

三人の会話の意味が分からず私は困惑しっぱなし。

ノアさんの機嫌は悪くなる一方で、ついたまれれなくなって彼の手を握った。

「あの、ご兄弟なら仲良く……」

ノアさんはムッとした。

「昔から兄と姉の趣味は俺と合わないんだ」

「あれ、そうなんですか?」

余計な口出しをしてしまったようだ。私が肩を落とすとノアさんは私の手を握ってどこかへ歩き出す。

「もー、ノアったらこのぐらいで機嫌損ねちゃうの?」

「お待ちよノア。からかっただけさ。わたしとエイダが君のおもちゃを本気で取り上げるわけないだろう?」

ノアさんが足を止め振り返ると、アダムさんとエイダさんはお揃いの顔でにっこりと笑った。

「着せ替え人形にするだけならいいでしょう?」

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