エピローグ

 年が明けた。

 黒汐くろしお家は親戚付き合いが一切ないので、正月だからといって特別なことは何もない。

 だが、今年は生まれて初めての初詣へとやって来ていた。


「今年もよろしくね、彩日あやひ

「うん、こちらこそよろしく、玲愛れいあ


 彩日は玲愛と近くの神社前で待ち合わせており、新年の挨拶をした。

 参拝客の列に並びながら、自分達の番を待っている間に色々と話をする。

 八重やえは親戚の応対で毎年大変だとか、はるかは予備校の課題があるだとか。

 そんな中で、玲愛はふと気づいたように言う。


「そう言えばさ、まだ進学先を特に決めてないなら、どうせなら一緒の大学に行かない?」

「……私に玲愛と近いレベルになるまで勉強しろ、と?」

「うんっ!」


 玲愛は屈託のない笑顔で、晴れやかに言った。それがどれだけの困難か分かっているのだろうか。


「そりゃ良い学歴はあった方がいいんだろうけど……もう一年しかないのに、その期間頑張っても行けるもんじゃなくない?」

「彩日なら行けるって。わたしも手伝うし」

「いや、それにしても、ね」

「彩日が大好きなわたしと一緒のキャンパスライフが待ってるよ」


 良くも平然とそんなことを言うな、と思ったが、冷静に考えてみれば玲愛のことが如何に好きかを語ったのはこちらだった。


「それは確かに魅力的……」

「でしょ?」

「あ、でも、玲愛は法学部でしょ?」

「そうだと思うけど」

「私、大学行くなら文学部にしようかなって思ってる」

「え、そうなの?」


 そのことはまだ話していなかったので、玲愛は驚いていた。


「あれから色々と考えたよ。自分が何をしたいかって」


 この年末はその為だけに時間を費やしたと言っても過言ではない。


「改めて思ったのは、私はやっぱり物語が好きだってこと。だから、そういう勉強をして、自分でも作ったりしてみたい、って」

「なるほど。じゃあ、小説家を目指す、とか?」

「そうだね。小説を書くのか、脚本を書くのか、もっと別の何かにするのか、まだ分からないけど。多分、何でもいいと思うんだ。この想いを誰かに伝えられるなら。玲愛みたいに色々な人の力になりたい、とまでは言えないけど、きっと私が力になれる人もこの世界にはいると思うから」


 それは玲愛の生き方から影響を受けたのは間違いない。

 以前は自分のことしか考えられなかったけれど、今は誰かのことを考えられるようになったのだ。そんな自分でいられることが何だか嬉しかった。


「それでさ、絵空事だっていうのは分かってるけど、もし、私がいつかそういう道でプロになって良い作品が出来たら、それが舞台になることもあるかもしれなくて……そしたら、お母さんが出演することもあるかもしれないなって。そうなったらいいなって、思うんだ」


 母の考えていることは良く分からないし、ろくな関わりがあるわけでもない。

 それでも、決して他人ではない。幼き日に抱いた憧憬は今も色褪せていないのだ。

 手を伸ばしてみたい。同じ道は往けないけれど、異なる二つの道が交わることだってあるはずだから。


「そっか……それはいいね。凄くいいと思うよ。彩日が今やりたいこと、見つかったね」

「うん。ひとまずはそんな感じでやってみるよ」


 やがて、自分達の番が来たのでお参りをして、神社を後にする。

 境内の階段を下り切ったところで立ち止まり、彩日は参拝中にふと感じたことを言う。


「私達って多分、数えきれないくらいにたくさんのことを、当たり前のように信じて生きてるんだよね」

「うん?」

「例えば、この世界があるとか、この身体が自分のものであるとか、目の前の人に自分と同じような意識や心があるとか……これが私の好き、とか」

「ああ、なるほど。疑おうと思えば疑うことも出来るけど、そうじゃないってことは、当たり前のように信じてる、そうだと確信してるってことだもんね」

「そうそう。それに、その疑いだって何かを信じていなきゃ成立しない。信じることは必ず疑うことの前にあるんだ」


“信じる”という営みが持つ根源性。それが人々の日常の土台を形作っている。


「きっとそれがないと、私達は意志することも祈ることも成り立たない。だって、どちらもこうで在って欲しいという何かを信じた上での在り方の違いだから。そういう意味では、意志も祈りも同じなのかもしれない」

「意志と祈りも同じ、か……そうだね。それはどちらも勇気や希望を与えてくれるものだってわたしも思うから」

「前に玲愛が言ってたよね、私達はジグソーパズルのようなものだって。今でもピースの形は変わらないって思う?」

「……ううん。それは確かに強固で難しいかもしれないけど、そんなことはなかった」


 玲愛は自分の胸元に慈しむように手を遣る。そこには彼女の心情が感じられた。


「私、思うんだ。根拠なんてなくても、理由なんてなくても、私達はただ素朴に何かを信じることから、新しい自分に変わっていけるって。いきなり変わったりはしないけど、ほんの少しずつ」


 彩日は頭上に広がる青空へと視線を向ける。

 それは透き通っているようで、どこまでも広がっているようで、美しかった。


「この世界は何も変わっていない。でも、前よりずっとキラキラと輝いて見える。それはやっぱり、私が変わったから。私というピースが形を変えて、色々なものと嵌れるようになったから」


 彩日は玲愛の手をそっと握った。指と指を絡め合わせて、深く結び付くように繋ぐ。


「私達はこれからも変わっていくんだろうね」

「彩日は変わらないままの方がいい?」

「……いや、変わっていいんだ。変わっても変わらないままでいられるって、信じるから。そうでいられるように私は頑張るよ」


 人と人が分かり合うことが難しいのはきっと、お互いのピースの形が徐々に変わっていってしまうから。価値観も、在り方も、何もかも。

 でも、だからこそ、何度でも新しい関係を結び直すことが出来るし、そんな風にして誰かと一緒にいられることが運命的だと思える。

 お互いが変わり続けても変わらない関係。それこそ、何より欲した繋がりだと思えた。


「行こうか、玲愛」

「うん、行こう、彩日」


 どこに、とは言わない。別にどこだって構わないのだ。

 歩いていく。歩き続けていく。時には別々の道を歩いて、でもまた交わって一緒に歩いて。

 きっと気づいた時には随分と遠くまで来たと感じるのだろう。そうやってふと振り返った時、前はあんな場所にいたのか、と二人で笑い合えたらいいなと思う。

 そんな素敵な未来を信じて、歩き続けよう。

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好きを教えて─Comment te dire“Je te veux”─ 吉野玄冬 @TALISKER7

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