第2話
中間テストが終わり、結果も全て返却された。
学年トップは相変わらず
何はともあれ、これでひとまずは心のつかえも取れて、落ち着いた日々が戻ってくる。
そう思っていた彩日だが、直近のイベントとして完全に忘れていることが一つあった。
「今日のホームルームは修学旅行の班決めをします」
壇上に立った玲愛がそう宣言した。満場一致で学級委員長を務めている。
担任教師はそんな彼女に任せきりで、既に教室の隅で見守り体勢に入っていた。
そう言えば修学旅行か、と彩日は途端に暗澹たる気持ちへと陥った。
今年の行き先は京都だが、生徒からの評判はいまいちだ。北海道や沖縄の方が人気らしい。
そんなことよりも、今は由々しき問題が目の前に迫っていた。
「それでは、各自話し合いを始めてください。班が決まったら紙を取りに来るようにお願いします」
班についての注意事項を玲愛は淀みのない口調で説明し終えていた。それは簡潔ながらも身ぶり手振りや声のトーンに緩急を付けており、クラスメイトの意識は見事に彼女へと集まっていた。優れた演説でも見せられているような気分だった。
クラスメイトは立ち上がって、それぞれ話し合いの輪を形成していく中、彩日はポツンと一人きりでその様子を眺めていた。
一班は四人で男女別らしいので、出来れば人数が中途半端な陰キャの集まりに入れてもらいたい。陽キャ達の班に放り込まれたら地獄絵図になりそうだ。
そんな風に考えていたが、すぐにおかしなことに気づく。女子は自然と四人ずつで集まり始めていた。もしこれがそのまま班になるようであれば、残るのは──。
「黒汐さん、わたし達と班組もうよ。……多分、他は四人ずつで決まっちゃうからさ」
「えっ?」
そう言って来たのは、玲愛だ。いつの間にやら傍に寄って来ていた。彼女にはこうなると見当が付いていた様子だった。
「ほら、おいでおいで」
もはや行き場がないと悟った彩日は手を引かれるがまま連れていかれる。その先にいたのは、金髪ヤンキーと茶ピンク髪ギャル。すなわち、
「わたし達の班の最後の一人はこちらの
「玲愛の好きにしなよ」
八重はどうでも良さげだった。しかし、遥はこちらの姿を視認するなり言う。
「えー、陰キャじゃん! もっと面白い子にしようよ~」
彩日は内心で呻く。自分では陰キャと言うし、見るからにそうだということは理解しているが、いざド直球で言われると何だかグサッときた。
すると、隣にいた八重が急に遥の頭を
「った……!? 何すんのさ!?」
「いや、ちょっとお前の頭の上にゴミが見えてな」
「だからって人の頭を叩いて取ろうとするなぁ!」
八重は素知らぬ顔で突っかかってくる遥をいなしていた。
もしかして、フォローしてくれたのだろうか。ヤンキーなのに。
「まあまあ。それに、黒汐さんは面白い人だよ。多分、はるるんが思ってるよりもずっと、ね」
「ほんとぉ? まあ、いいや」
遥は訝しむような目をしていたが、渋々と頷いた。
「黒汐彩日……じゃあ、あやぴーね。うん、今日もあたしの可愛い可愛いネーミングセンスは冴えてる! あたしのことは、はるるんと呼ぶよーに!」
遥が誰にでも珍妙なあだ名を付ける人間なのは明らかだったが、彩日は自分までその犠牲になるとは思っていなかった。それに、彼女のことを『はるるん』と呼ぶのは大変ハードルが高い。実際、律儀に呼んでいるのは玲愛くらいに思う。
「よ、よろしく……」
「ん」
「うぃーっす」
彩日の震えた挨拶の声に、八重は軽く頷き、遥は気の抜けた返事だった。
「さ、これで一通り班も出来たかな」
玲愛は教室内を見渡してそう述べた。
確かにそれぞれの纏まりが出来上がっているように見えた。
「班の用紙が書き終われば、残りの時間は班行動でどこに行くかを話し合ってくださーい! その為ならスマホを見てもオッケー!」
玲愛が良く通る声で言うと、どの班も適当な席に集まって座り、行き先を話し始めた。彩日達も同様に座って、話し合いを開始する。
「班長はわたしがやるねー」
玲愛は当たり前のように班長を引き受け、それぞれの名前を用紙に書き込んだ。
「皆は京都でどこか行きたいところある? 班での自由行動は一日だけだから、どこでも行けるってわけじゃないんだけど」
「私は何度か行ったことあるし、皆が行きたいところでいいよ」
「京都って基本的にあたしの好みじゃないんだよね~」
「…………」
話し合いがいきなり頓挫した。八重はまだしも、遥はそもそもの趣旨を否定している。沈黙している彩日自身も問題なのは間違いないが。
「あやぴーってあのホラー映画でさ、井戸から出てくるやつに似てるよね」
こちらを見てきた遥はあっけらかんとそんなことを言う。
すると、彩日が何かを思う間もなく、八重が強い語調で割って入ってきた。
「おい、やめろ」
先程のように揶揄するような発言を止めてくれるのかと思ったが、その雰囲気は少し違っていた。そんな彼女を見た遥はケラケラと笑いながら言う。
「やえっちはホラー苦手だもんね。あやぴーが怖くなっちゃう?」
「ぬぐっ……」
八重は言葉に詰まっていた。どうやら図星らしい。
と、そこで玲愛は何かを思い出したようにピコンと指を立てた。
「そう言えば、映画じゃなくて漫画なんだけど、京都国際マンガミュージアムってあるらしくて、行ってみたくない? ね、黒汐さん」
玲愛は明らかに狙い撃ちで聞いてきていたが、初めて聞いた場所に心惹かれて気にはならなかった。
「それは確かに行ってみたいかも……」
「あやぴー、漫画好きなんだ。じゃあさ、あれとか読んでる?」
そう言って遥は複数の作品名を挙げた。グロテスクだったり、独特な気味悪さがあったり、どれも絵柄が特徴的で少しマイナーな作品だ。少女漫画くらいしか読んでなさそうなので意外だった。
「……一応、全部読んでる」
「マ? 良い趣味してるねぇ!」
遥は
「前にちらっと見せてもらったけど、黒汐も良く読めるな……」
八重は引き気味に呟いた。彼女はホラーだけでなく、グロ系も駄目なのかもしれない。
「それじゃ、京都国際マンガミュージアムは決定で良さそうだね。他にも、はるるんは八坂神社とか興味あるんじゃない?」
玲愛は自分のスマホに表示させたページを見せた。遥はそれを覗き込む。
「八坂神社? ……美の神様が祀られているパワースポット!? 何それ、あたしの為にあるような場所じゃん! 行きたい行きたい!」
玲愛の差し出した餌に見事に食いついている。それに関しては彩日も同じだったが。
「後は祇園のお店を見て回ったり清水寺に行ったり、って感じでどうかな、八重」
「ああ、いいんじゃないか。初めての京都なら王道で間違いない」
玲愛は最後に八重の意見を聞き、同意を得て決定とした。
その段取りは流れるようだった。事前に色々と調べていたことが窺える。
他の班はまだ色々と話し合っており、授業時間も少し残っていたので、他愛もない雑談をして過ごすことになった。
先程までの会話もあって、八重や遥の人柄について分かったことがある。
八重は口調こそ荒々しいが、基本的には温和な人間のようだ。玲愛同様、こちらに気配りをしてくれているようにも思う。優しい人間なのかもしれない。また、怖いものが苦手、というのは意外だ。刺々しい見た目とはギャップを感じる。
遥は良くも悪くも表裏のない素直な人間のようだ。とにかく率直で思ったことをそのまま話しているような印象を受ける。別に揶揄や否定も悪意を持って言っているわけではないのだろう。
それらは彼女達の存在を浮かび上がらせ、立体的に感じさせた。
「っ……」
彩日は思わず息を呑む。ふと胸の奥底から一つの感情が湧き上がってきたのだ。
それは、恐怖。自らの世界の根幹を揺さぶられるような感覚に襲われる。その理由を問う余裕もなく必死に堪えた。
やがて、鳴り響いた授業の終わりを告げるチャイムは救いの音に聞こえた。
いよいよ修学旅行当日の朝が訪れた。
各自で駅に集合し、新幹線へと乗り込んでいく。初めは出席番号順に座り、発車した後の移動は自由だった。その為、自然と仲の良い者同士で集まっていき、思い思いに過ごしていた。同じ車両に複数のクラスが混在しているので、他クラスの生徒もいてごちゃごちゃだ。
彩日は喧騒から逃れる為に移動し、なるべく静かな場所を探して座った。立ったままの生徒もいるので、空いている座席もあった。
京都に到着すれば、基本的に班で動くし旅館の部屋も一緒なので、嫌でも他人と行動を共にすることになる。今くらいは一人でゆったりとしていたい。
彩日は軽く息を吐き、窓の外を見遣った。生憎の曇り空だ。梅雨なので、雨が降っていないだけマシだが。どんよりとした重々しい雰囲気が町並みを覆っている。
正面に視線を戻すと、抱えたリュックから小説を取り出した。
本を読み始めれば、すぐにその世界へと意識を飛び込ませることが出来る。そうなると、遠鳴りに聞こえてくる騒がしい声も気にならなかった。
そうして、およそ三十分が経過し、四分の一ほどを読み終えた頃。
空いていた隣の席へと誰かが座るのを知覚した。流石に意識を一度現実へと戻さずにはいられない。隣を一瞥すると、そこには見慣れた顔があった。
「邪魔しちゃった?」
「……別にいいけど」
私服姿の玲愛はにこやかに笑む。制服以外の彼女を初めて見るが、上着は天の羽衣みたいで透けているし、ズボンも裾の方が網目の紋様になっていて透けているという、想像に違わない洒落た格好をしていた。特に制服時よりも手足の長さが際立って感じられる。
対する彩日は地味な色合いのシャツとズボンだ。ファッションに無頓着なので、外出する時はいつもこんな格好をしている。玲愛のように透けている服なんて考えられない。
「それで、何か用?」
「あ、うん。向こうで皆と一緒にトランプしてるんだけど、黒汐さんもどうかなって」
皆というのは八重と遥だろうか。ニュアンス的には他にもいるかもしれない。何にせよ、答えは決まり切っている。
「遠慮しとく。私は一人の方が好きだから」
「そっか。ん、分かった」
玲愛は食い下がることはせず、あっさりと戻っていった。
彩日はもう一度本を開きながら思う。
これでいい。あの日、屋上に玲愛が現れてからというものの、穏やかだった日常が脅かされてばかりだ。けれど、もうそろそろ以前の自分に戻らなければならない。誰かとの繋がりなんていらない。最低限の関わりだけで構わない。
──私は、私だけの世界を生きる。
そうすると、ほら、こんなにも落ち着いた気持ちでいられるのだから。
だけど、この平穏が酷く寂しいものに感じてしまうのは、どうしてなのだろう。
修学旅行初日は学年全体で京都市勧業館みやこめっせを訪れた。
用意された懐石弁当を昼食として食べ、それから伝統産業の見学や体験を行った。
その後はすぐ傍の平安神宮を参拝し、バスで宿泊する旅館へと移動すると、班ごとに各自の部屋へと案内された。
「夕食までは部屋でゆっくり、ということでお茶でも淹れるね」
玲愛は率先して急須と湯飲みで茶の準備をしようとする。
だが、すぐにコンコンと部屋の戸を叩く音がした。
「おーい、委員長ー!」
「はーい! ごめん、ちょっと行ってくるね」
一緒に担任の声が聞こえてくると、玲愛は立ち上がって部屋の外に出ていった。
彩日は心細い気持ちになりながら、居場所なく部屋の端に座る。
八重は玲愛がやろうとしていた茶の準備を引き継いでいた。彼女の私服は黒を基調としていて、カッコ良く纏め上げている感じだった。ちょっと着てみたいと思わせられる。
遥は広縁の方に行き、窓の外の景色を眺めている。彼女の私服はリボンやフリルが付いていて、少女的な可愛さを押し出している感じだった。あんなの自分にはとても着る勇気が出ない。
「この景色、なかなかに良き」
遥は両手の指で長方形を作って覗き込んだかと思えば、そんな風に呟いた。それから自分の荷物に駆け寄ってスケッチブックと鉛筆を取り出すと、広縁の椅子に座って外の風景を描き始めた。
その顔は普段のヘラヘラ顔とは一転、真剣そのものだ。彼女が絵を描いている姿を初めて見るが、決して遊びでやっているわけではないことを強く感じさせられた。
「あいつ、ああなったらなかなか戻って来ないから、放っておいていいぞ」
八重はそう言いながら、茶の入った湯飲みを渡してくれた。
「あ、ありがとう……」
とりあえず礼を言って受け取ったが、気まずい。もし八重の言ったことが本当なら、今は彼女と二人きりみたいなものだ。何を話せば良いか分からない。
八重は自分の分の湯飲みを持って、少し離れたところに腰を下ろしていた。手持無沙汰にしている。スマホでも見てくれれば、こちらも堂々と本を読み出すことが出来るのに。
少しの沈黙の後、八重は口を開いた。
「そう言えば、黒汐はいつ玲愛と仲良くなったんだ?」
八重の視線がこちらに向く。まるで詰問されている気分だった。
「……昼休み、私のいた場所に、そのいきなり来て、声を掛けられて」
彩日の答えは緊張と萎縮から途切れ途切れかつ曖昧になった。
それでも、八重は何となく察してくれた様子だった。彼女は表情を和らげると、こちらを労るような口調で言う。
「もし迷惑なら言えよ? 私が玲愛に言うからさ」
「う、うん……ありがとう」
どうやら問い詰めるような意図はなかったらしい。むしろ、こちらを心配してのようだった。この間も思ったが、派手な見た目の割に優しい。ちょっとドキッとしてしまう。
「まあ、あいつは相手が本気で嫌がってる時は、すぐに引き下がるタイプだと思うけどな。察しも良いし」
八重が何気なく発したであろう言葉。それは不意を打って彩日に突き刺さった。表情に出さないように何とか堪えると、彼女は別のことを話し始めた。
「私と玲愛は中学が一緒なんだ。
「名前くらいは……確か、金持ちの子供が通う小中高一貫の学校、で合ってる?」
「そうそう。まあ、それは私みたいに初等部からいた奴に対しての言葉だけどな。玲愛は中学受験で入ってるからまた別だ」
「そうなんだ」
玲愛が八重と普段から仲良くしている理由に納得がいった。恒聖学院から一緒に椏高校へとやって来たわけだ。そこで疑問が浮かぶ。
「でも、どうしてわざわざ外部の高校に?」
「私はまあ、色々あったんだが、玲愛は元からそのつもりだったみたいだ」
八重は自分に関しては濁しており、何か事情がありそうだった。そこを追及するようなことはせず、別の気になる点を訊いてみる。
「その、中学時代の蒼樹、さんはどんな感じだったの?」
「そうだな……玲愛は中学の時は一年の時から生徒会で、二年の時には生徒会長やってたんだよ。あいつが色々と頑張ったお陰で校内での生徒の過ごしやすさが随分と良くなったもんさ。もう十分、って高校では生徒会に入らなかったみたいだけどな」
「それって、今とそんなに変わらない」
「だな。玲愛は中学の時からずっとあんな感じだよ」
これまで玲愛の人間性に疑念を抱いていたが、もしかすれば彼女は本当にその通りの人間なのかもしれない。でなければ、そこまで一貫した行動方針でいることは難しいだろう。
「……ちょっと頑張り過ぎだとは思うんだけどな」
八重はポツリとそんな言葉を零した。それは心の声が自然と漏れたように見えた。
「鋼白さんは、蒼樹さんのことが心配なんだね」
彩日は感じたことを素直に言葉にした。すると、八重は照れ臭そうにそっぽを向く。
「まあ、な。玲愛には内緒だぞ」
「分かった」
と、そんなタイミングで玲愛は部屋に戻ってきた。
「なになに、二人で何の話してたの~?」
彼女は彩日と八重が話していたことを察知したようで、そう言った。
「何でもねーよ。黒汐と私の二人だけの話だ」
「えっ」
八重の冷たい返事に、玲愛は衝撃を受けたような表情となり、懇願するようにこちらを見てきた。
「く、黒汐さん……?」
「
「うぐっ……まあ、二人が仲良くなったならいいけどさー」
玲愛は呻いた後、拗ねた様子でそう呟いた。彩日と八重は互いに見合って肩を竦める。それから別の話を始めた。
そんな彩日の胸の奥では先程の八重の言葉が引っ掛かっていた。
結局、自分は玲愛を受け入れてしまっているのだ。だから、彼女は距離を詰めてくる。そんなことはとうに分かっていた。けれど、それでも、拒絶し切れなかった。だって、玲愛は考えていたような邪心のある人間には思えなかったから。とても魅力的な人間だと思えたから。
それは八重と遥も同じだ。彼女達と関わるようになったことで、その豊かな人間性に触れた。それはこちらが考えていたものとは全然違っていて、好感を抱いている自分が確かにいた。
書き割りのような世界。それは既に崩れ始めている。複雑で立体的な世界が立ち上がろうとしている。
きっと今ならまだ間に合う。以前の自分に戻ることが出来る。其処には平穏が待っている。
選ばなければならない、どう在るのかを。
けれど、その答えはもう決まっているように思えた。
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