You'll never walk alone ⑧

 目が覚めるとテントの中にいた。起き上がってみると、ぞっとする寒さに身が縮みそうだった。

 

 敷かれていた寝袋に包まりながら脇の下に突っ込んだ手を顔に近づけると、赤黒い手の平にぎょっとした。全身が鼓動していて、息を吐きかけるどころではなかった。


 そうだ、ここに運ばれる前、自分は――、

 

 瞼の裏に映ったのは、壁に空いた無数の弾痕、血痕、そしてかつて人だったモノ。

今だけ自分の目を抉り取ってやりたかった。

 寝袋の上で項垂れている青児に、外からGT社の社員が声をかけた。カンパニュラから青児を連れてこい、と。

 

 いくつもあるテントの外では社員が雑談をしていた。おそらく追跡部隊も戻ってきたのだろう。寒い中よくいられるなあと思いながら、案内する社員の後ろを歩く。そこは他のテントとは少し離れていた。入り口には数名の護衛と空中には監視ドローンがちらほら飛んでいる。


 正直言うともうしばらく寝ていたかったが、呼び出された以上仕方なかった。


 電気ヒーターが効いている室内で、カンパニュラとフローラが折りたたみ椅子に座っている。そして、視界を布で塞がれ口や手足を縛られた少女が床に転がっているのにどきりとする。

 少女は力なく床に横向けになっていたが、身じろぎはしていることから生きていることがわかる。先ほどの戦闘での捕虜だろう。強張った頬が少しだけ緩んだ。


 そんな青児を見ても、カンパニュラはいつもと変わらぬ口調で話した。


「青児、実際の戦場を歩いてみてどうだった?」


 カンパニュラは色々な施設を見て回った後、決まって青児にこの類いの問いを投げかける。いつもは青児も、こういう発見があった、とか、見せたかった理由が少しわかった、といった会話になるのだが、このときばかりは言葉に詰まった。


「どうと言われましても、耐性のない体験ばかりだったので。一言で表すとその……怖かったです」


 主語は敢えて明確にしなかった。


「しっかりと、目に焼きつけたかい?」

「まあ」


 嫌な訊き方だ。もう忘れたいのに、肩に乗っかった内臓の温度や感触まで鮮明に残っている。彼女は青児に必要だと判断したからこうして実際の戦場に赴いたのだろう。その労力には感謝しなければいけないし――、


「ここまで来て、途中で倒れてしまったのは申し訳ないと思ってます」


 オリエンタルシティから片道一日と十時間。しかし肝心の本人がナイーブだったせいで、カンパニュラにとっては連れて来た甲斐があまりなかったかもしれない。


「いや、別にいいのだが、そう思ってくれているならむしろ話は早い」


 カンパニュラは机に置かれたフルオートの突撃銃を手に取って立ち上がると、足元の少女に視線を落とした。

 それでカンパニュラは捕虜を――。想像するだけで口の中が急激に乾いた。

 しかし、彼女は少女の横を通りすぎる。そして、手に持った銃を青児に握らせ、益々困惑をつのらせる少年に命令した。




「青児、この少女を殺せ」




 頭が追いつかなかった。

 それは思ったよりもずっと軽かった銃のせいでも、さっきから止まらない汗のせいでもない。


「え?」

「きみが、この兵士を、殺すんだ」

 自分が、この兵士を、殺す。



「無理です……」

 今まで一度だって、自分が人を殺すという想像をしなかった。

 カンパニュラに拾われる前、何度か兄妹喧嘩をしたこともあったが、それだって明確な殺意を宿すことなんてなかった。


 カンパニュラは、青児に殺人を命じた。

 できるわけがない。


 カンパニュラの常識が青児とかけ離れていることを忘れ、青児は自分には不可能なことだけを述べた。


「無理ではない。無抵抗の相手を撃つだけだ。撃ち方なら今教えよう」

「そういうのじゃないですよ!」


 カンパニュラに拾われてから、初めて本気で歯向かった。


「おかしいですよ!なんでこの子を殺さなきゃいけないんですか!俺とほとんど変わらない女の子ですよ!こんな子が戦っていること自体、そもそもあり得ない!」


 ずっとずっと思っていたことだった。

 どうしてロボットに撃たれているのが少年兵なのか。どうしてGT社のような大人が極端に少ないのか。


「彼女が所属していたのは、我々にとってのテロ組織だ。つまりは歴とした武装組織の戦闘員で、連邦にとってはパブリックエネミーだ。我々は連邦政府の依頼で、指揮官を除き組織を殲滅しなければならなかった。と言っても、政府が偽装した企業の依頼だから、あくまで実質的だがね」


 あまりにも滑らかな返答に俯いた青児を、カンパニュラは表情を変えず覗き込む。


「考えてみろ。もし、このテロ組織を野放しにしていたら、ここの国民が大勢死ぬんだぞ。村に火が放たれて、大人も子供も全員死ぬ。焼かれて死ぬか、重火器で死ぬか。すぐに死ねたらむしろいい方かもしれない。少年は兵士に、少女は犯された後、再び大人や少年兵の玩具にされるか同じく兵士にされる。親を殺した相手の駒としてね。彼らが次に標的にするのは四季本社ビルかもしれない。爆弾を仕掛けて、大勢の人が死ぬかもしれない。これから青児の通う大学や、近くの繁華街かもしれない。連邦でなくても、この国の国民や、周辺国家にとっては取り除くべき厄災の種だったのさ」


 テロリスト。

 連邦政府の下請け。


 ここに来る前にも説明されたことだった。

 政府が依頼する理由は、彼らが構成員に行っている拉致、強姦、暴力に対してではない。連邦にとってどれだけ害悪か、という指標のみだ。


 違う。青児が訊きたかったのは、武器を取り上げられ兵士ですらなくなった少女を殺す必要性がどこにあるのか、ということだった。噛み合わなさに、地団駄を踏みたくなった。


「それに、もし私たちが見逃せば彼女はどうなる?次は彼女が爆弾になるかもしれない。電池、スイッチ、ケーブル、水銀、アセトン、黒色火薬、金属片。たった二万円弱の費用と一人の安い命によって、一体どれほどの連邦市民が死ぬと思う?どれだけの市民が悲しむと思う?」

「ヒト一人の命を、安いと、そう言ってしまえるんですね」


 盛大に皮肉を込めたつもりだった。しかし、カンパニュラは気にも留めずに返す。


「言えるね。連邦はね、対外防衛費の他にテロ対策へ年間数兆円を投じているんだ。それが価格にして一千万分の一以下の爆弾と、ちょっとした幸運で全部パーだ。必死にもなる。子供を戦場で使う理由の一つは、安く簡単に徴収できて、いくらでも替えが利くからさ。たとえ命がどれだけ尊かろうと、戦場では替えがきくかどうかのふるいにかけられる」

「でも、彼女らだって、決して望んで組織に入ったわけじゃないんでしょ」

「攫われたり脅されたりした者もいるだろうが、経済的な理由から能動的に入る者もいる」

「そんなことを……、そんなことを、訊いてるんじゃない」

「では、どういうことなんだ?」


 ああ、もう滅茶苦茶だった。青児だって好きで歯向かっているわけじゃないのに、カンパニュラの言動一つ一つに腹が立って仕方がなかった。


「だから!どうして俺が殺さなきゃいけないんですか⁉」


 青児は兵士ではない。そもそも兵士だなんだという発想が時代に逆行している。今は無人兵器の時代だ。


「きみがこれからすることが、まさに敵を殺すことそのものだからだよ。青児」

 

 一瞬、頭を吹っ飛ばされたかと思った。

 自分が、敵を殺す?


「ど、どういうことですか」


 現実には頭がしっかりあると即座に気づけたのは、代わりに沈殿していたた困惑が思考を鈍化させたからだった。たどたどしく言葉を紡ぐ間、それまで渦巻いていた怒りや拒絶の嵐が嘘だったかのように消失してしまった。


「これからきみは大勢の兵士を殺す。きみの作るAIが、何億人という『リンネウス』を救い、代わりに敵の兵士や自律兵器を何万と殺し、壊す」

「俺が……ですか……」


 青児がこれから大学で専攻するのは、ざっくり言えば画像認識AIについてだ。現在、自動運転車や、配送ドローンにも使われているAIは、先ほど戦場を蹂躙したロボットにも軍事転用されている。敵を識別したり、目標地点にどれくらい見張りの人間がいるかであったり。

 このAIをより正確に、より強靱にできれば、敵対的画像サンプルによって深層ニューラル・ネットワークの脆弱性に付け込まれても対応可能となり、完全自律兵器の誤射率や標的命中率も向上する。偽データを送り込み、その挙動を操作するスプーフィング攻撃への対策にもなりうるのだ。

 だが、その技術を先ほど眼下に焼きついた戦場と直接結びつけたことは、ただの一度もなかった。


「これまでに戦場をリアルにイメージしたことはあったかい?自分が開発したAIをのせたロボットが、兵士を殺すことを想像したことがあったかい?」


 なかった。

 ロボットに踏みつけられて砕けた頭蓋骨から脳が飛び出た少年兵や、室内に充満した血や焼けた肉の不快な匂いは、これまで知らない世界だったし、誰も教えてくれなかった。


 カンパニュラは、それをよしとはしなかった。

 青児が涙を流しながら再び下を向くと、カンパニュラに髪を引っ張られた。

 痛かった。涙がもっと溢れた。でも、銃で撃たれるのは、きっともっと痛いのだろうなと思って、声は上げなかった。


「目を背けるな。青児の行いが悪だと言っているんじゃない。これまで見てきたものと本質的には何も変わらない。私たちの平和は、きみの生活は、一年半の旅で見てきたように誰かに何かを押し付けてきた。ただ、それだけなんだ」


 しかし、いくら言葉で諭されても、殺意はこれぽっちも湧かなかった。


「私はこれから本社との会議があってね。一時間席を外すよ」


 カンパニュラは髪を掴んだ手で青児の頭を優しく撫でると、テントの入り口に手をかけて止まった。


「ああ、そうだ。もし、一時間以内に遂行しなかった場合、きみの大学の資金援助は行わない」

「え?」


 重くなった体が、ビクンと反応した。


「加えて、そうなった場合、これからきみのキャリアを私は全力で妨害する。そうでもしないと、優秀なきみは後で私の邪魔になるかもしれない」


 嘘でしょ、と問う前にカンパニュラは出て行ってしまった。しかし、訊かなくてよかったのかもしれない。彼女はやると言えば絶対やる。


 テントの中には青児と、少女、それからずっと沈黙を保っていたフローラが残された。


 さっきとは状況が変わった。

 撃たなければ、今度は自分の将来が破綻する。方法は簡単だ。たとえば、ここへ青児を置いていったり、戦場で巻き込まれたことを偽装して殺したり。


 困難なときに支えてくれたカンパニュラやフローラを、青児は尊敬していた。

 だからこそ、この命令は到底受け入れがたかった。


 どれくらいの時間、悩み続けただろう。


「フローラさん、自分はどうすれば……」


 青児が落とした銃を見つめたまま、フローラは口を開いた。


「殺しなさい。あなたの手で、その少女を」


 視線がものすごく冷たく感じた。それをフローラが自分は部外者だと決め込んでいる態度からだと思い、ものすごく腹が立った。だから、彼女にも嫌みをぶつけたやった。


「無理ですよ!俺はあなたたちみたいな兵士じゃない!」


 青児と兵士は全くの違う人種だと、当たり前のように断絶した。


「目の前にいるのは、無抵抗の人間です。きみより年下の子供でもやっていることで、できない道理はありません」


 撃つ、という殺意と、いざ実行するまでにどれほどの距離があるか、この人は知らないんじゃないのか。彼女の言葉と数時間前の出来事から、青児はそう思った。


「逆に、どうしてフローラさんたちは撃てるんですか」


 普段なら絶対に訊かないことだった。それもこれも全部、極限状態に追い込んだあなたたちが悪いんだと、青児はほとんど自暴自棄になっていた。


「それは……長年検討されてきた……、いや、検討に値する問題でした」


 しかし、そうするべきかのように、フローラは至極真面目に答える。とぼけているのかとさえ思った。


「長期的な目標のために戦争行為を要する場合、兵士を使う側は、兵士が兵士を殺せないという問題をどうにかして解決しなければいけませんでした。訓練は昔から行われていましたが、それが大問題として認識され、軍が正面から向き合わなければならなかったのは意外と最近だったんですよ」


 兵士が兵士を殺せない?そんな馬鹿な。昔からどれだけの『リンネウス』が戦争で死んだと思っているんだ。


「戦争で死者が出なかったら、戦場は平和ですね」

「敵兵士の持つ銃が自分の両親を殺し、妻や恋人にその銃口を突きつけながら犯す可能性があるとしても、撃つことを躊躇うんですよ。ここがちょっと悪さをして、ね」


 フローラはこめかみに指を当てた。


「撃たなければ自らが殺されるとしても、殺人だけはどうしても犯すまいと抵抗するんですよ。それは航空兵器の時代でも、海戦兵器の時代でも、魔術の時代でも、戦車の時代でも、銃や剣や槍、弓矢よりずっと前の時代でも変わりませんでした。『どうしたらいいのかわからない。だから知らないことにしよう』と、誰も彼も自らの無能さと目の前の哀れな部下を記録に残さないようにしてきたんです。私も無能の一人でした。では資質に関わらず、兵士が兵士の役割をいかに全うさせるか。青児、きみならどうしますか?」


 答えたくなんてなかった。しかし、感情よりも二年半の習慣が、青児の思考活動を再開させた。


「……一つは、上官の命令だと思います。今の自分とカンパニュラさんたちみたいに」

「そうですね」


「でも、撃てと命令するだけで、全員が撃てるようになるわけがない」

「勿論。それに、指揮官と兵士の間の近接度、敬意、要求の強度や、指揮官が指揮官として正当であるかによっても変化します」

「いくらあなたがいい人でも、自分は――」

「まあ、そう気を急がないでください、優等生。時間はもう少しあります。他は?」


 優等生とからかう口調に眉がぴくぴく動いた。


「他は……、仲間とか」


 社員たちの笑い声がテントの外から聞こえた。


「信頼できる仲間ほど戦場で頼りになるものはありません」

「仲間のために、ですか」

「誰だってその日の朝に缶詰の中身で不満を言い合った仲間が、榴弾に吹っ飛ばされる姿を見たくはないでしょう?」


 そんな単純な話ではないだろうな、と青児は思った。仲間との信頼や結束というのは、同調圧力や彼らに対する義務を生む。命令とは違う形での追い込み方だ。もっとも、彼らは軍人なのだから忠実に命令を実行しその職務を全うするのは何らおかしなことではない。


「それに、集団ならば誰が殺したのか、ある程度匿名性が保たれますからね」


 先ほどの戦闘も、部隊で動き、最小ユニットでもツーマンセルだった。

 赤信号みんなで渡れば怖くない。


「そんなところです。さて、あと一つは何だと思いますか?」


 今の二人の会話の中で、絶対的に足りないものが一つあった。命令者を敬い、同胞を愛し、自分を考慮の外に置くのなら――、


「相手を……生きる価値のないクソ野郎と思い込ませる」

「及第点です。個人を集団に強く結びつけ同一化させるのに対し、これはその逆。距離をできるだけ離します。物理的にも、心理的にも」


 なるほど。遠くの敵なら良心が痛まずにすむ場合もあるわけか。


「いかにもそれっぽい言葉を並び立てて、正当化させるのが得意なんですね」


 どれだけよかっただろう。

 相手が劣った人種だと思い込み、人類種ヒューマンの恥だと信じ、己が快楽と優越感に浸り、義務を果たすことができたと上官や仲間に讃えられたら。

 己の復讐や制裁が正当であると。相手は罪を犯し、我々は罰を下す執行者だと思い込めたら。

 自分側の大義が正当であると信じられたら。


――相手は連邦の安全を脅かすテロリストなのだから。


 連邦がテロリストと目した武装集団は、彼ら武装集団からすれば、或いは連邦の敵国からすれば、必ずしもテロリストという定義には当てはまらない。


 フローラは少女を見下ろす。


「しかし、時代は変わりました。覇権戦争の少し前――連邦含め主要国が僅かながら支配力を失いつつあった頃から、彼らは急速に存在を主張し始めました。てこ入れしたものの、独立後の脆弱ぜいじゃくさは強化されない名ばかりの国家。うわべだけの政府で、管理には不適切な制度。戦力の不安定さ。だから、ある意味では必然だったのかもしれません。法と秩序の崩壊によってできた空白地帯、そこに付け込んだ武装組織や脆弱な構造の軍部がインスタントでチープな兵士を種族問わず求め、使ったのです」


 この感情は覚えがある。両親と妹が巻き込まれた事件の真相を告げられた時に、腹の中をのたうち回ったのと同じ不条理さが、そのまま彼らを死地にいざなったのだ。


「いやはや、四〇〇〇年生きても学ぶことが尽きないとは。青児、きみも体験した身でしょう。少しはわかりますかね」


 ロッカーが蹴破られた音、銃声や〈物理障壁マテリアル・シールド〉によって弾かれる音、少女の叫び声がまだ耳の奥に残っていた。

 あのとき、青児は恐怖も、怒りもなかった。ただ驚いて、その後、体が動かなかった。


「他種族とも戦争をしました。階級も、イデオロギーも、宗教も、性別も戦場では関係ありませんでした。ですが、経験を積んだ熟練の兵士でさえ、二〇〇メートル先で銃を構え合ったとき、スコープの先に映る子どもを撃てずに死んでいったのです。それも一人ではなく。何十人も何百人も、私の周りで死んで、病んで、戦場を去っていきました」

「フローラさんたちがですか……?」

「青児、あなたは一つ勘違いをしています。我々は超人でもなく、かくも凡庸です。情報や指示、訓練を事前に受けてなければ、困惑もするし動揺もします。そして対策を講じなければ、彼ら少年兵に戦場のまっただ中でも同情を禁じえない欠陥を抱えているのですよ」


 彼らには、家族がいた、学校があった、夢があった。なのに、悪い大人と環境が、それを許さなかった。


「いっそ、我々が合理的な機械か、或いは鬼畜であればよかったんです。彼らと戦うとなると、部隊の士気が途端に下がる」

「国際法は……?」

「もちろん黒ですよ。それに誰かが罰しなければいけない国際法は、その執行者が実質不在では意味がありません。となると、道徳的問題だけが残りますが……これはあまり障壁とはいえませんね。それよりも彼らは便利な駒を選んだのですから」

「でも所詮は子どもだ。GT社の敵じゃない」


 二つ目だ、とフローラは指を立てて間違いを指摘する。


「彼らは訓練すれば熟達した一人前の兵士になります。その証拠に……、これを握ってみてください。なに、弾は抜いてあります」


 と、折りたたみテーブルから突撃銃を青児に渡した。おそるおそる両手で握った青児は、その重量に驚いた。


「軽い……」

「そう。武器の軽量化と性能の向上により子どもでも扱いが可能で、尚且つ集中砲火すれば耳長種の〈物理障壁マテリアル・シールド〉をも破れる火力が市場に溢れています。それも、恐ろしく安い価格で。安く、簡単に徴収が可能で、従順に教化することが容易な少年兵と、我々は相手にしなければいけません。撃たなければ撃たれますから」


 青児も同じ立場に立たされていた。撃たなければ、破滅する。


「最後の問いです。それらに対し、我々はどうしたと思いますか?」


 どうと言われても、今度はあてがないから推測の領域になる。しかし、今までの傾向からある程度は絞ることはできた。

 上官の命令や仲間同士の圧力だろうが正当化だろうが、撃つという意志決定をする際、作用する箇所は変わらない。結局は、邪魔する箇所を『何で』、『どうやって』抑え込むか、飼い慣すかという話だ。

 

 武装組織は想像を絶する暴力や撃てなければ指揮官に殺される恐怖、成長しきっていない体に投与される麻薬によって、軽いとフローラが言った命をさらに短く、軽くした。一方で、現在にかけて兵士の数は減少傾向にある。特に先進国では、比較的兵士の喪失を軍と世論の両方が嫌うのでフローラたちは強引な方法を採用しにくい。そういった経緯で政府軍の兵士の数が減少しPMCが急増する潮流を作った時代すら変えつつあるのが、無人の兵器だ。


 ずっと昔はなくて、今はある技術。かつては『リンネウス』が行い、さらにそれを今度は機械が行っていたこと。いや、かつては『リンネウス』が嘱託者エージェントとして振る舞い、機械のように、モノのように殺しの機能を果たしていたことと言い換えるべきか。


 少女兵の叫び声と対照的に見えた、殺すこと以外を考えていなかったような戦場でのフローラ。

 となれば――、


「薬、或いは、ナノマシン群による感情調整」


 つまるところ、フローラたちは、兵士ならぬ兵機を目指したんだ。


「これは驚きました。九割前後、言い当ててます。正確には、ナノマシンで罪悪感を感じる脳の特定領域を少し調整するんです。前頭前野の一部をね 」


 罪悪感は自分の行動に対する相手や社会の反応を先読みする能力であり、固有の巨大な社会の形成やコミュニケーション能力の進化に大きな意味を持っている。自分の行動結果が相手の期待と離れることは社会発展を妨げると判断され、現在までその機能は淘汰されずに残されてきた。同じ領域でもリンネウスの協力行動を促す機能は維持し、罪悪感を表現するモジュールだけを封じることができれば、青児が想定した戦闘兵機を実現できる。


「そんな研究が進められていたんですね」

「抗認知症薬の応用です。従来の薬では血液脳関門を突破することは困難で、投与したうちの一パーセント以下しか脳に集積しませんでした。血液脳関門は本来、脳を有害物質から守るための機能なのですが、その治療のためには邪魔にしかなりませんでした。解決までに随分と時間がかかりましたが、結果的には、ナノマシンの投与で血液から脳へと運ばれ抗体を安定的に保ち、無事に血液脳関門を通過できたのですよ。その薬は今も世界中の病院で患者に投与されています」


 胸の中につっかえていたものが、すっと消化された気がした。フローラの説明で今までの違和感がある程度取り除かれた。


 合理的なロボットと連動して兵士を駆逐する社員たち。

 なんの躊躇いも無く殺すことができたフローラ。同様の技術が、痛覚にも及んでいるはずだ。

 少女の片腕には戦闘でできた傷とは別の絆創膏が貼られていた。おそらく、傷口に麻薬を直接塗り込んだのだ。程度の問題とはいえ、GT社も武装組織もやっていることは大して変わりない。青児はそれらを激しく嫌悪した。


「どこもかしこも、こんなのばっかりですか」

「私たちの生活は、これまで見てきたように多くの支えによって成り立っています。犠牲と言い換えてもいい。みんなで、少しずつ分担していると思っていますが、実は少し違います。自分の苦労をより少なく、大勢の他者に残りの苦労を同じく少しずつではあるが押し付けているんです。時代によって、金や権力や行政だったり、暴力で行使する比率が変わってはいますが、しかし中には少数の誰かに過大な犠牲を強いています」

「それが、機械であったり、あなたたち兵士であると?」


 ずっと見えなかったもの。隠されていたもの。


「戦争で、彼らを殺すのは、かつてはわたしたちであり、いずれはロボットで完全に埋まります。そして、相手もロボットになることで、死傷者ゼロの戦争ができあがります。ですが、忘れないでください。常に思い出していてください。それを嘱託するのは、青児たちが選んだ政府であり、青児たちの意志でもあります」


 青児たちの平穏な生活は彼らの屍の上に成り立っていることを、フローラに改めて突きつけられた。


「酷な命令であることは承知しています。ですから、私から一つアドバイスを」

 

 フローラは人差し指を青児の顔の前に立てる。


「トリガーを引く理由を自分で立てて、正当化しなさい」

 

 結局、正当化か。


 カンパニュラは自分たちが当たり前のように嘱託し、目を逸らし、踏みにじる責任を確認させるために、青児をここまで連れて来た。

 その上で正当化しろと。やっぱり無理だ。


 青児は既に考えてしまった。

 もし、この少女が武装組織と関わることのなかった未来。

 学校へ行く未来。

 職を手にし、働く未来。

 恋人と結ばれる未来。


 それらをぶち壊した現実を激しく嫌悪した。理不尽だ。その感情は、家族全員が死んだとき、青児の行動指針になった。

 だから、その理不尽と戦うことを決めた青児が、同じ理不尽の檻に囚われた少女を殺すなんてもっての他であり、鏡映しになった青児と少女、二人を殺す行為だった。


 しかし、ある理不尽から抜け出すために、青児は別の理不尽に囚われている。


「じゃあ、フローラさんには引き金を引くだけの理由があるんですか?」


 青児は不服を隠さずに訊いた。


 自分たちはナノマシンで罪悪感を抑えながら人を殺し、青児には責任を背負いながら、ナノマシンで調整するそれを正当化し、飼い慣らせと説く。そんなことを今の青児は決して認めなかった。

 あなたもその長い耳を生やした頭まで浸かってくださいよ。


 フローラは額をつき合わせた。

 彼女の碧い瞳に、吸い込まれそうだった。


「そんなもの、決まっています。姉さんの悲願を達成することです」


 実に四〇〇〇年もの間、カンパニュラに付き従ってきた長命の耳長種エルフは、青児の思惑を見据えたように、恥じらいも一片の曇りもなく答えた。


「あなたも自身の願望を達成するために、姉さんとの契約に合意して駒となった。理由など、それで十分ではありませんか」


 明りに反射した金髪から、フローラ本人の臭いと焼け焦げた臭いが混ざって、青児の膨らんだ鼻に入ってきた。


「青児と私は同じ穴のむじなです。違いを挙げるならば、組織における嘱託者エージェントとしての役割だけでしょう」


 さっきまで同じ側にいることを望んでいたのに、いざ彼女が堂々と脚を踏み入れると、青児は怖くなっていた。少しでも動揺してくれたらと、意地汚い考えも見抜かれていた。


「責任も、罪の重さも、俺たちは共に背負っているということですか?」

「そうです。だから、安心して撃ちなさい。その代わり、私たちが踏みにじる屍から目を逸らすことは決して許されない」


 そんなの、嘘だ。

 この引き裂かれそうなただ一つの痛みが誰かと共有できるとするなら、それは共に引き金を引いた者だけだ。

 

 だから、フローラのそれも、きっと彼女自身にしかわからない。


 しかし、誰かが背負ってきた痛みは、全てロボットに背負わせて、ロボットでロボットを壊す時代が訪れ、遂には死傷者ゼロの戦争が来るかもしれない。

 でも、青児はきっと忘れられないだろう。成果や損害の報告を受ける度に思い出すだろう。


 自分が殺す少女の肢体を。

 誰かが受けるはずだった傷を。

 誰かが背負うはずだった辛さを。

 本当に全部が終わる日まで。もしそんなありえない日が訪れるとして、それが可能なのはウィムという、ほとんど誰も見たことのない存在さえ怪しい唯一神だけだ。

 しかし次に挙がる候補者は、青児が知っている限りだと今会議をしているはずの養母だ。だから青児はあの日、彼女の提案を受け入れ、共生関係を結んだ。


 体の内側で洪水のように押し寄せる拒絶反応を、歯を食いしばって飼い慣す。自我が溶けてなくなりそうな揺らぎを、血の味が僅かに押し戻してくれる。


 背後のフローラに手を差し出すと、手の平に冷たい質感の銃が渡された。今日、少年兵たちが作戦で使っていた突撃銃だ。銃のセーフティーを外して、ストックを肩付けする。


 誰にも死んでほしくない。

 誰も殺させたくない。

 だから、だから――、


「フローラさん。彼女の目隠しとガムテープを外して頂けませんか?」

「ん?……わかりました」


 フローラが丁寧な手つきで外すと、寝転がされた少女とはじめて目が合った。


 短く刈られた黒色の髪。

 泥を塗りたくった頬と同系色の黒ずんだ瞳。

 縄で縛られ折り曲げられた体。

 日焼けした肌に混じった青黒い暴行の跡。

 ぎゅっと細く絞られた唇。

 血の臭いが抜けない爪。

 

 そのどれもが青児に対して敵愾心を剥き出しにしていた。

 少女の震え以上に引き金を絞る指先を震わせながら尋ねた。


「何か言い残すことは?」


 フローラは、多分この行為を馬鹿だなあと思いながら眺めていただろう。でも青児はまだ非情に徹することができなかった。



 これが力だ。これが銃だ。

 と、最弱とされる人類種ヒューマンの大人たちに教え込まれた少年たちを、もっと大きな力で押し潰す構図。


 戦争が嫌いだ。


 殺人が嫌いだ。

 兵器が嫌いだ。

 魔術が嫌いだ。

 麻薬が嫌いだ。

 兵士が嫌いだ。



 戦争で発生するありとあらゆるものが嫌いだ。


 硝煙の匂いが嫌いだ。

 臓物の感触が嫌いだ。

 発狂しながら敵に突っ込む兵士の声が嫌いだ。

 太股を撃ち抜かれる痛みと死の恐怖に震える声が嫌いだ。

 銃声や術式が展開される音が嫌いだ。

 戦闘ロボットが移動する音が嫌いだ。

 戦闘ヘリのプロペラが回転する音が嫌いだ。



 戦争を引き起こす全ての原因が嫌いだ。


 イデオロギーが嫌いだ。

 宗教が嫌いだ。

 経済が嫌いだ。

 貧困が嫌いだ。

 資源が嫌いだ。

 飢饉が嫌いだ。

 干ばつが嫌いだ。

 酸性雨が嫌いだ。

 温暖化が嫌いだ。

 差別が嫌いだ。

 リンネウスが嫌いだ。

 連邦が嫌いだ。

 王国が嫌いだ。

 世界中の主権国家が嫌いだ。

 反政府組織が嫌いだ。

 武力を所持している全ての組織が嫌いだ。



 しかし、それら全てを知らぬ存ぜぬで踏みにじって他人に押し付けることで、青児は今の生活を享受していた。

 これからも沢山の犠牲を押し付けるであろう青児は、その責任から逃げてはいけない。


 少女の呼吸が聞こえる。消えかけの蝋燭のような弱々しい息。

 を、青児の不規則で荒い呼吸が打ち消す。



 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。



 無理だ。


「くたばれ」


 少女の呪言が、トリガーにかけた指を固めた。




 あーあ、だから言ったのに。だから、彼らを同じ人類種ヒューマンと思ってはいけないんですよ。


 フローラの声が聞こえた気がした。

 

 そういう言葉をもらうことくらい、わかっていた。

 

 どうしてですか?

 フローラがこちらに目を細める。

 

 どうしてかわからないから。

 無機質に、間髪入れずに、無抵抗の相手を殺すことを経験したことがないから。

 頭蓋骨に穴が開き、破裂した脳髄のうずいの破片が飛散する本物の銃弾を、まだ撃ったことがなかったから。


 あとは――、

 それでも引き金を引けるか、自分を試したから。

 

 青児にこの少女は殺せない。


 撃てない……でも、これでよかったのかもしれない。

 外から足音が近づいてくる。カンパニュラだ。

 数分後に、この少女は誰かの手によって死ぬ。そして下手をすればその横に青児の死体も並ぶ。

 結果的に何も変わらない。わかっていても、指が動かない。



「ごめん……」



『大丈夫ですよ。あなたを一人にはさせません』



 ぐん、と指に誰かの力がかかった。

 気がした。人差し指だけ、無機質なロボットになったような感触だった。

 

 その指が、トリガーを引き、起き上がったハンマーがファイアリングピンを叩き、撃発する。


 天幕が上がり、外からの風が吹き込む。そのまま青児も倒れ込んでしまいたかった。


 これから輝かしい夢を叶える可能性を残していた脳味噌を、青児の撃った銃弾が吹き飛ばした。

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