You'll never walk alone ⑨

「博士、起きてください。到着しましたよ」


 Iの声が意識を食い破るように亀裂を入れ、青児は重い瞼を開ける。自動運転車は既に四季第二研究所の敷地内に入っていた。


「悪い。仮想デスクトップを切ってた」


 アラーム設定をする前に寝落ちしてしまったらしい。眼鏡ケースに手を伸ばそうとすると、ネックレスのチェーンを握り締めていたことに気づく。チェーンを留め、胸元にぶら下がった七・六二㎜弾の空薬莢をシャツの内側にしまい込んだ。


「よし、行こうか」


 郊外にある第二研究所は、アンドロイド等を動かすハードウェアの実験場として広い面積が特徴の施設だ。四季の支援を受けて設立された中で、人工知能を専門とする研究所が第二研究所と第四研究所の二つに分かれているのは、ハードウェアとソフトウェアの違いからだった。この二つは第二研究所と第四研究所で異なる分野もあるが、共同研究も多い。


 例えば、陸上用の犬型兵器は第二研究所のハードウェア無くしては造れなかったし、第四研究所の敵味方識別システムの改良は、戦争を変える引き金となった。元々は第二総合研究所にどちらの研究室も置かれていたが、先々代の室長の不仲で別れた方が建設的だと判断したとか。研究所に限って言えば、外部から買収・吸収合併等を繰り返してきたこともあり、カンパニュラでもその全容を把握しきれてはいない。


「今日世話になる奴には用件を伝えてあるから、入り口のゲートの先で待っていれば来ると思う」

「博士は来られないのですか?」

「行ってもいいけど面倒なんだよな~」

 

 Iの護衛対象という名目上あまり離れたところにはいられないが、正直Iがここまで注目を集めなければ、一人で行かせてもよかったくらいだ。社員IDは昨晩更新を終え、社内の認証ならばI一人でも通過できる。しかし、万が一のことを考え青児は行動を共にしているのは、ある意味監視役ともいえるだろう。人類種ヒューマンを監視するのには機械で事足りるのに、Iにはそれでは不十分とはなんということか。


「まあ、最低でもゲートのところまではついて行くか」


 青児が中に入るのを渋る理由はもう一つあった。

 芽の膨らんだソメイヨシノが両脇に生えた歩道を抜けて研究所の建物に入ると、


「あーーーいーーー!」


 ゲートの更に奥から女性の叫び声が廊下に響き渡り、目にも止まらぬ速さでIが視界から消えた。監視の意味なかったなあ。

 

 Iのことを呼んだその女性研究員は、白衣を着た研究者とは思えない身のこなしでIに抱きつき撫で回した。


「ああ、私の愛しいI!会いたかった会いたかったよお!!」

「――――――――――私もお会いしたかったです。カヲリ博士」

「ああん!博士だなんてそんな距離をおかないで、カヲリって呼んで」

「――――――――――かしこまりました」


 青児の気のせいか、Iは心底困惑した反応をとったようにも感じた。


「カヲリそのへんにしておけ。時間がないんだ」


 カヲリ・シンガー。Iのハードウェア開発の責任者でもあり、第二研究所シンガー特別研究室の室長でもある人類種ヒューマンの若き才女。


「あ、おっす青児。いたんだ」

「お前の視野角はいくつなの?」


 そして、自分の被造物しか頭にない変態だ。特に、直近で大きなプロジェクトだったIにはかなりぞっこんで、こうなることが目に見えていたから中に入るのを躊躇っていたのだ。


「はあ、いい匂いだねえI。本当にきみは可愛い。その服も大変似合っているが、色々な服を試着させたいよ。ねえ、I。今からでも私の家に住まない?いや、結婚しないか?こう見えてお金も結構持ってるし、もし要望があればなんでもするよ!法律?そんなもの唯一神に願えばなんとでもなるさいますぐ役所に婚姻届を出そう!」

 

 ちなみに、青児が入院したとき、体の心配よりも先にIが消えたことを話題に出したのはこのカヲリだけだった。


「申し訳ありませんが、それはできません。私は博士のチームの〈嘱託者エージェント〉としてGT社のマンションで生活していますし、やるべきことがありますから」

 

 Iは諭すようにカヲリの手を握る。さあ――、とIが話を終わらせようとしたとき、カヲリはさらに激しく強く抱擁する。


「I……かーわーいーいー!私もそこで一緒に住む~!」


 Iもこの振る舞いには対応しきれないのか、それとも諦めたのか、もはやなすがままであった。


「だから!時間が無いって!言ってんだろ!」


 しびれを切らした青児の声が、無人のロビーに響き渡った。





 てきぱき終わらせるように。

 したくもない説教をしてからIをカヲリに引き渡した後、いよいよやることが無くなった青児は敷地内を散歩してから一階のラウンジに移った。Iの様子でも見に行くか迷った末、仮想デスクトップを開いて暇を潰すことにした。

 

 十時五十八分。

 今日の天気。

 ニューストピック。

 エクスプローラー。

 現在の健康状態。

 今日の消費カロリー。

 更新されるスケジュール。

 大小様々なアイコンが青児に情報を伝えてくる。

 

 ラウンジの白い壁だったところには、投資を呼びかける広告やこの周辺でオープンした新しいランチの店舗情報が並び、青児の視界をカラフルに埋める。繁華街から外れた研究所でも、仮想デスクトップを利用すると視界の至るところにこうした音声付きのホログラム広告が映し出され、青児の気を散らす。


 前時代の携帯端末から続いている広告の恩恵で、BICBrain Interrupt Chipも外付けの仮想デバイスも発売当初と比較して安価になった。ユーザーの個人情報を元に、どの広告が適しているかAIが判断して提供するのと等価交換だと考えれば、少しでも気が晴れるかもしれない。

 しかし、そう合理的にも割り切れないひねくれ者も中にはいて、青児がわざわざ眼鏡型の仮想デバイスを使っている理由の一つは、単に広告が嫌いで、広告を消すために高い追加料金を払いたくないからでもあった。


 今では現実世界の広告が随分と減り、カンパニュラ曰く景観が随分とましになったそうだ。しかしそれは一日に浴びせられる広告の量が減ったことを意味しない。


 ちなみに仮想広告のシェア世界トップは、一番最初に仮想デスクトップを作り上げたフェアリーテイル社だ。


 ニューストピックから、WCCで検索をかける。

 現在にかけて特に話題になっているのは、唯一神ウィムについてだ。


 今まで音沙汰のなかったウィムが、何故このタイミングで現われたのか。一部では存在すら疑われた彼が、どうして秩序を乱すような行動に出たのか。様々な憶測が飛び交っているが真偽は不明だ。


 そんな彼が落とした爆弾――WCCスクランブル部門の報酬上限撤廃は、あらゆるチームの参戦を促した。

 既に前回大会の招待枠は埋まっており、残った枠の抽選が今日の昼すぎに発表される。しかし、出場するチームもそうでない観客も他人事ではいられないのが、今回のWCCだ。各チームが、或いは個人が何をウィムに願うのか、話題の中心にいるウィムがそれ以来姿を現さないのも議論の種になっている。


 話を難しくさせているのは、この提唱者がウィムという点だ。

 ルイスであろうとカンパニュラであろうと、同じことを実現しようとすればまずどこの主権国家の法律にも引っかかる。しかし、連邦のみならず世界のありとあらゆる法律は、唯一神のウィムを想定していない。仮に今から施行しても、全知全能とされるあれを一体どうやって取り締まるというのか。

 

 今まで影も形も現さなかったウィムがなぜ観察者に徹していたのか、青児は少しだけわかった気がする。法、社会、経済、政治、あらゆる糸を絡み合わせ、閉じられた仮想の戦場が現実にも開かれようとしていた。


 その現実の戦場では、今や主流となった無人兵器システムが台頭しているが、分野が違うとはいえフロントランナーになるはずだったIの参戦は、WCCにどう影響するのか。世界の注目は一時期ウィム以上に大きかった。


嘱託者エージェント〉以外のほとんどはIが引っ提げた願い――人工知能の権利――に気が向いているだろう。佐伯の奔走が功を奏したのか、先の二つと比べるとIの話題は落ち着いてきて、ワード検索も時間を追うにつれて減少幅が大きくなっている。しかし、中にはIに対して嫌悪感を示し、否定的な意見を記述する記事もある。


『Iは世界を滅ぼす存在。その十の理由』

『I、リンネウスへの復讐を始める』

 昨日今日だけで数百件はこういった記事がネット上に出回っていた。


 ほんの百年ほど前まで、リンネウスの生産における役割はもっと広く、計算すら機械よりも人類種の方が優れていたという。それが情報処理、画像処理、自然言語処理等、徐々に、リンネウスの能力に近づき、ある分野では越えて領域を奪っていった。かつてはゆっくりと思われた進歩も、今や急速に、それも青児たちのすぐ後ろまで迫っている。


 Iは青児たちを追い越す最初の一人になるかもしれない。その不安が記事の至るところに散りばめられていた。


「おっ、ここにいたか」


 顔を上げると、髪を縛ったカヲリがラウンジに入る。パーマのかかったボブからしばらく髪型を変えていないのは、手入れが楽だからだそうだ。どうやら仕事の方は終わったらしく、自動販売機に体が向かっていた。


「検査の方はどうだった?」

「異常なし。装備もWCCのアバター登録も、万事問題なし」


 カヲリには失踪していた間に更新されてなかった定期メンテナンスと、WCCで必要な装備を依頼した。WCCの装備は現実では不要だが、基本的にチームで用意できないものは使えない規約になっている。


「いや~Iとお話しできてほんと楽しかったよ~。明日も来る?」

「絶対行かない。相方もIと同じマンションにいるんだし、カヲリが来ればいいだろ」

「そっか!毎日お邪魔しようかな」

「言わなきゃよかった」


 Iへの溺愛っぷりは相変わらずだが、メンテナンスを終えて以前との違いを彼女は感じとっただろうか。カヲリは青児に次いでIを知悉しているし、ハードウェアにおいては青児よりも遙かに詳しいだろう。青児の勘が当たっているなら、カヲリも気づいているはずだ。

 はたまた、本当に勘違いなのか。


「なあ、Iのメンテナンス中、以前と比べて不自然なところはなかったか」

「だから、全部問題ないって言ってんじゃん」

「いや、数値的な話じゃなくてさ。Iと話してみて、彼女に人らしさが増してると感じないか?」

「どういうこと?」


 青児は自分が昨日からの違和感を話した。会議での振る舞い、従来では考えられない発言、特異点等々、お互い仮想デスクトップを切って、様子を伺った。


「なるほどなるほど。Iの意志には興味あるけど、分野が違うからなあ」

「カヲリでも難しいか」


 青児もIの顔を見るまでは人類種と見分けがつかなかった手前、強くは言えない。そもそもIをはじめ、最近のAIは音声だけでなく表情や仕草も人類種たちと見分けがつかないほど技術が追いつき、テストでもヒューマノイドと人類種との識別能力は近い数値を叩き出している。


 他の種族であれば、戦闘用の機械が装備している精霊器官と接続神経の有無などでわかるだろうが、青児たち人類種では困難だった。


 青児は一つ身を乗り出して尋ねる。


「それを踏まえて、俺の考えはあたってると思うか?勘で構わない」


 カヲリは髪先をいじりながら答える。


「あたってると思うよ。根拠は彼女がウィムに会っているからかな」


 結局それか、と青児は頭を抱えた。他種族のことでもわからないことだらけなのに、唯一神のことなど誰が知っているのか。


「あれがIに何か仕組んだと考えるのが妥当か」

「それくらいしか考えられないよ。なんでかは知らないけどね」


 研究者としては頭が痛い話だ。


「ねえ、もしIの意志が現実になったら、世界はどうなるんだろ」

「神のみぞ知るというやつだ。とにかく、WCCで優勝しないことには話が始まらない。そのためにも、午後はメンバー集めだ」

「ちゃんとしてるんだね」

「もう昨日の会議終了後から募集はしてる。うちはスポンサーが強いから、数だけだったらどうとでもなる。問題は質だな」


 今日からそちらの選考も行われているらしいが、青児が関わるのは最終選考だけ。しかし、午後に向かうのは、自らオファーした〈嘱託者〉だった。


「相手はどんな方ですか?」


 と、そこにIが合流してきた。


「気になるか?」

「博士が選んだ方なら問題ないと思いますが、私としても戦力分析が必要ですので」

「〈生々流転せいせいるてん〉」


 わーお、とカヲリが口パクで反応する。

 それもそのはず。〈生々流転〉は『リンネウス』の中で最も誇り高く、最も強いとされる種族の個体だ。


「龍退治、ですか」

「そうだ」


 青児が考えた、チーム〈I〉が勝ち抜く上での必須パーツ。


「だが……場合によってはチームがいきなり詰む」

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