You'll never walk alone ⑥

 西からの冷たい季節風の中を、自転車で突き抜けていく。大きく息を吸って青児の肺に朝の空気を送り込むと、自然と頭が冴えて一日の活力が満ち満ちていく。


 昨日、荷物の整理をする際に唯一持ち込みを悩んだのが自転車だった。前は通勤で乗っていたが、入院してからはすっかり乗らなくなってしまい、また再開するかどうか自分の体力に問いかけなければならなかった。結局、自転車だけ別でドローンに運んでもらい、朝には走ることができた。


 引っ越した部屋は8LLDKで七人分の個室の他にミーティング室が用意されており、以前のチームのときと間取りはほぼ変わりなかった。

 新しい自室の隣にはIの部屋があり、なにかあれば彼女がすっ飛んでくる手筈になっている。今朝顔を洗いに行くと、青児に合わせて彼女も起動していた。つまり、自分はほぼ二十四時間つきっきりで護衛されているわけだが、今回の外出だけは事情を説明して同伴を控えてもらった。


 マンションから本社ビルまではゆっくりめに漕いで二十分、そこからまた三分ほど進めると目的地に辿り着く。


 四季植物園。

 アマテラス連邦にできた最初の植物園であり、世界でも類を見ないほど膨大な研究資料と種類を揃え、植物・菌類の研究分野では五〇〇年以上前から第一線を走っている。起源は連邦に本拠地を置いた当時の四季が海運業と商社で世界中を開拓していた際、当時の連邦政府高官や四季の一人が実用的、或いは珍奇な植物採集に高い可能性を見出したからであった。


 そして四季植物園が世界的にも高名なのは、単なる植物園に留まらない点だ。新種の発見、菌類や植物の保護、記録は高い価値があ、現在でも世界中の植物学者が四季植物園を訪れている。

 その初代園長でもあり早朝からせっせとスプリンクラーの調整をしているのが、今日から再び青児の上司となるフローラだった。


「青児ですか?」


 白いシャツにデニム姿のフローラは、背後で声をかけようとした青児を視界に入れず言い当てた。


「よくわかりましたね」

「この時間に来る外部の物好きは、あなたくらいなものですから」


 彼女の姉にあたるカンパニュラよりも短く少し色の落ちた金色の髪をなびかせ、青児の方に振り向く。使い魔か或いは青児には知覚できないマナから認識したのだろうが、青児は黙っておいた。


「またお世話になります」


 青児が異動したのは、Ghost of the Throne―通称GT社と呼ばれる民間軍事会社PMCだ。GT社が四季の子会社になったのは百年ほど前だが、その前身はもっと古く四季の創業当時から組織は存在していた。海運業と同時に他の船の護衛をビジネスにしたカンパニュラは、その現場担当にフローラを据え、時には自らも商船で現地との交渉にあたった。四季の表と裏、その二枚看板の一人がフローラだ。


 そしてなぜPMC業界のGT社にWCC部門があるかというと、戦闘シュミュレーション系のシステムや装備が、限りなく固定費用を削減しがちな業界にしては破格とも思えるほど揃っていること。そして一番の理由は、〈嘱託者エージェント〉の大半が元々GT社の別部門で働いていたからだ。


 軍事業界は、元の仕事が現在の仕事の雇用基盤を創りだす。


「元」アマテラス連邦軍兵士。

「元」ペレ帝国兵士。

「元」クロリス王国兵士等々。

 

 国内外の市場から優秀な人材を、正規軍のような訓練と技能評価にかかるコストをある程度無視して引き抜くことができる。そういった意味ではWCCが元軍人で溢れかえっているのは何もおかしなことはなく、PMCにWCC部門が内包されているのも同じ理屈であった。


 なので、青児のような当初軍事専門教育を受けていなかった文民が業界に入る事例は、かなり珍しかった。


「随分有名になって戻ってきたじゃないですか」


 フローラも当然Iのことは聞かされていたようだ。


「そのことを話しに、今日は参りました」


 青児としては異動が決まった時点で、フローラの元へ顔を出さなければならないと思っていた。それは、再び上司となる彼女への挨拶などではなく、元チームメイトとして謝らなければならないから。


「なんです?神妙な顔をして」


 温室にいるせいか、青児の背中から汗がどばどば流れ出ていた。


「フローラさんに、次のWCCはどこのチームにも入る気は無いと言いながら、こうして戻ってきたことに、謝らなければいけないと思いまして……」


 青児は半年前まで、WCC部門のオペレーターとして所属していた。それも、フローラ自らリーダーを務め、〈国士無双〉王一星ワンイーシンが率いるチーム〈鳳凰ほうおう〉に唯一すると言われた、チーム〈四季彩しきさい〉に。

 

 当時契約は満了していたが、もう一シーズンやってくれないか、と続投を強く望んでいたフローラに対し、青児は最後まで頷かなかった。

 青児からしてもカンパニュラと並んで親にも等しい彼女の提案を断りたくはなかったが、モチベーションのない〈嘱託者〉がいることでチーム全体の士気を下げたくなかった。


 しかし、青児は彼女の部下でもあり敵として、現在彼女の前に立っている。これはけじめの問題だった。

 それを、そんなことですか、とフローラは穏やかに笑って一蹴した。


「どうせ姉さんの命令で板挟みにされたのでしょう。あなたを責めても、仕方がないことです」


 子供をあやすように青児の頭を撫でると、ミモザの優しく甘い香りが体を包んだ。


「ちょっ、フローラさん⁉」


 フローラに抱擁され、どう反応すればいいか困惑した。


「それよりも、あなたの元気そうな顔を現実世界で見られただけで、私は嬉しい」


 青児が入院していたとき、フローラと連絡は取り合っていたが、出張中だった彼女はつい最近まで留守にしていた。今では仮想空間でどこからでも会うことはできるが、フローラは仮想デバイスをあまり好まない。


 耳長種エルフ特有の、背丈の割に華奢で小さな手が背中に触れる。基本的に耳長種は身体的な接触を好まず、たとえ家族同士であっても滅多なことでは互いの肌に触れ合わないのが潔癖とも言われる耳長種の文化的特徴の一つだった。青児もフローラに体を触れられたのは何回もない。


「本当によく生きていてくれました」

「俺もまた話ができて、嬉しいです」


 フローラたちと同じ部屋に住んでいたときも、彼女とは毎朝植物園で話していた。チームの現状、次の相手や傾向等、時にはしたくもない口論が朝から起きることもあったが、結果的にはチームを三シーズン連続でスクランブル部門総合二位に据えることができた。


「ですが、敵となった以上、戦場では容赦しません」

 

 フローラも青児も、二位という順位には微塵も満足していなかった。


「ええ。『一位以外は最下位と一緒』。これは新しいチームでも変わりません」

「いいでしょう」


 青児がいる間は惜しくも一位という目標を叶えることはできなかったが、今シーズンは〈四季彩〉の本懐を踏みにじる側だ。

 


 温室を出ると、暖かな陽が青児たちを照らす。今日の首都の最高気温は二十五度を越えるらしく、上着いらずの天気になると報じられていた。目の前にある植物園のスノードロップも黄変おうへんしていて、いよいよ本格的な春の訪れを告げていた。


「暖かくなりますね」


 何気なく言ったつもりだったが、カーキ色に染まった薄いコートを羽織るフローラの顔はさっきよりも憂いていた。寒い方が好きだったかな、と一通り考えを巡らせ気づく。彼女は種の多様性を護る植物園の園長だ。


「知っていますか?スノードロップはほんの五十年前までは、二月の末に咲く花だったんですよ。それがどうですか。今や一月には開花して、まだ二月が始まって数日だというのに全部萎んでしまいました」


 人類種ヒューマンの地位が数百年前と比べて飛躍的に向上したのは、なにも軍事力の発展だけに起因しない。しかし、蒸気機関や機械が産業を変え、海底ケーブルが国を繋ぎ、インターネットが人々の身近になり、拡張空間や仮想空間にいつでも繋がるようになっても、この星を取り巻く環境をリンネウスは未だ完全にはコントロールできず、技術に依存して生活している。


 あくまで、今はまだ――の話だが。


「また俺が入院でもしたら、この花を持ってきてくださいよ」


 入院なんて二度とごめんですけど、と冗談混じりで返すと、珍しくフローラは目を見開かせた。


「いえいえ。スノードロップは相手に送ると『あなたの死を望む』という意味になるので、贈り物には避けるべき花なんですよ」

「うっそ」

「まあ、二度死にかけた状況から生還している青児なら、あまり関係ないかもしれませんね」

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