我が家のメイドは非の打ち所がない

 入学式までの時間、担任の先生による挨拶の後、僕達クラス一同は各々の自己紹介を始めたのだった。


「城田健司です。よろしくお願いします」


 大人数の前での自己紹介。思えば、それも随分久しいことだったので、緊張しながらなんとかつっかえずに言葉を繋げることで精いっぱいだった。

 椅子に座りながら、ふうと大きめのため息をつくと、カズが何緊張しているんだ、と早速茶化してきた。

 そうして、皆の自己紹介を順番に行っていき、


「高城栞子です。よろしくお願いします」


 栞子ちゃんの挨拶の番。丁寧な口調の挨拶に、思わず見惚れてしまうような微笑みを貼り付けての挨拶だった。

 可愛い、だとか、どこぞの女子が羨望の色が混ざる声で感嘆としていた。


 それから、入学式が始まるまでは自由時間という流れになった。ただ、入学式のために体育館に移動するまでの残時間は、僅か十分程度しか残されていなかった。

 それでも内向的な僕と違って、バイタリティ溢れるクラスメイトは、再び栞子ちゃんの周りに寄って集っていた。


「えぇ、栞子ちゃん。新入生の挨拶を読むのっ?」


「すごーい。あれって、入試試験の成績上位者が読むんでしょ?」


 早速、この後の入学式の話で栞子ちゃんの周りは盛り上がっていた。


「全然、たまたまだよ」


 我が家にいる時よりか、幾分か明るい栞子ちゃんの声が群衆の間から聞こえてきた。僕にはずっと敬語なのに、クラスメイトにはそうはしないらしい。

 なんだか、差を感じるなあ。

 面白くない僕は、肘を机について、顎に手を当てて難しい顔をしていた。


「健司。なんだよ、彼女を取られて不満か?」


 カズが言った。


「いや、別に彼女じゃないし」


「そうなの? お似合いだと思ったんだけどなあ」


「……どこがだよ」


 現在進行形でたくさんの人を集められる栞子ちゃん。

 対して僕の最盛期は、幼少期。それ以降の僕の人生は、まさしく晩節を汚す、という言葉が相応しい有様だ。

 晩節と言うほど、これからの人生が短いわけではないが……まあ、言いたいことはそんな感じだった。


 それからカズとポツポツと会話を交わして、僕達クラスは体育館へと移動することになった。

 体育館に行くと、恐らく生徒会の人達や先生方が準備してくれただろうパイプ椅子が所狭しと並んでいた。

 拍手と共に体育館に入って、順々に僕達はパイプ椅子に腰かけていった。ただ一人、栞子ちゃんは入学生挨拶のため、移動しやすい最前列の端に腰を落とした。


 面白みのない校長や生徒会長の話を聞き、栞子ちゃんの挨拶の時間がやってきた。


「桜の花が咲き始めた今日この頃……」


 栞子ちゃんは、堂々とした態度で、丁寧な口調でスピーチを読んでいった。透き通る声はマイクを通し拡声器で拡大されて、耳に優しく浸透していった。


 ……思えば。


 栞子ちゃん、最近はウチに住み込みバイトを始めて忙しそうだったのに、一体いつスピーチ原稿を用意したのだろう。スピーチ原稿だけではない。新入生と言う立場であれ、この場で挨拶をするような立場であれば、予行練習にも参加していたことだろう。


 一体、いつの間に。

 彼女がなんでも出来ることは、ここ数日我が家に住み込みでメイドをしてもらって良く分かった。でも、さすがに彼女、要領が良すぎる。


「以上。新入生代表、高城栞子」


 栞子ちゃんは、檀上から一歩下がり、深く頭を下げた。

 粛々とした、されど大きな拍手が体育館に響いた。生徒会長がされたそれより、校長がされたそれより、心なしか拍手が大きい気がするのは気のせいだろうか。


 ……母さんが、僕に栞子ちゃんを諦めるように取り計らった理由が分かった気がした。


 なんでも出来る彼女を鑑みて……今僕は、自分なんかでは彼女と釣り合わないことを悟ったのだ。


 入学式の日、新入生は半日で帰宅することになっていた。

 長ったらしい入学式も終えて、面倒事を終わらせた喜びから、クラスメイトの声が大きい連中が早速、親睦を深めるためにカラオケに行こうと言い出すのだった。


「健司、お前は行かないの?」


「あんまり、騒ぐのが得意じゃないんだ」


「ほう。僕は行ってくる」


「楽しんできてくれよ」


「ああ」


 騒ぐのが得意じゃない。それは、嘘偽りは一切ない。

 でも、一番僕がその打ち上げに参加したくなかった理由は、栞子ちゃんを熱心に誘うクラスメイトの姿を見たからだった。

 

 これまでの住み込みでの働きぶりをみて、察していたはずなのに。


 今更僕は、栞子ちゃんとの差に気付き。ようやく、心の決心が付きそうだった。


 しょうがない。

 しょうがないじゃないか。


 子供の時は、その差は小さなものだった。でも、時が経つにつれて広がった今のこの差に、好きだからこそ、栞子ちゃんへの思いを断ち切る選択をするのは、当然じゃないか。


 ……入学したばかりだって言うのに。


 なんだか、全てが終わった気がしてくるのは、どうしてだろうか。


「……ふう」


 クラスメイトが打ち上げに行って、静かになった教室で、僕は一人椅子に腰かけてため息を吐いていた。

 今日、栞子ちゃんは何時頃帰ってくるだろう。ご飯、何を準備しよう。




「鮭のムニエルにしようと思うのですが、いかがでしょうか」




 ああ、それ凄い良さそうだ。


 ……って。


「うわあっ」


 背後にいた栞子ちゃんに、僕は椅子から転げ落ちた。その際、腰を強打し僕は悶絶した。


「何やってるんですか」


「……君こそ」


 色んな疑問が、矢継ぎ早に浮かんでは消えた。


「君こそ、なんでここに?」


 てっきり、打ち上げのカラオケにでも行ったのかと。


「今日の夕飯、何にしようかと考えていましたから」


 栞子ちゃんの回答は、どうにも的を得ていなかった。わかった事と言えば、今晩は鮭のムニエルが食卓に並ぶだろうことぐらい。


「鮭のムニエル、嫌いでしたか?」


 当惑する僕に、栞子ちゃんは尋ねてきた。


「いいや、大好物さ」


「そうですか。じゃあ、月一くらいで食卓に並べるようにします」


「ありがとう。……って、そうじゃない」


 ペースを乱され、僕は髪を掻きむしった。


「どうしてここにいる。どうして、カラオケに行かなかったの」


「……健司さん」


 栞子ちゃんは、


「逆に、どうしてあたしがカラオケに行くと思ったんです?」


 眉をピクリと動かして、淡々と尋ねてきた。


「クラスメイトと親睦を深めるのは、大切なことだろう」


「自分だって打ち上げに行ってない身なのに、よくそんなことが言えましたね」


「うぐ」


 仰る通り。


「……で、でも……っ、さっき君、クラスメイトと楽しそうに話してたじゃないかっ」


 僕と話す時は、機械みたいに鉄仮面で話す癖に。

 僕と話す時は、他人行儀のように敬語をずっと使う癖に。


 クラスメイト相手みたいに、微笑んだり、気さくな話し方をしてくれない癖に。


 ……言い終えた後に、自己嫌悪に陥った。さすがに、女々しい発想すぎた。


「ごめん」


 僕は、謝罪をした。


「何に対する謝罪ですか。それ」


「……察してくれない?」


「無理です。生憎あたし、不器用なので」


「不器用? 君が」


 思わず、鼻で笑ってしまった。


「冗談も程ほどにしてくれよ。君程完璧な人、僕は他に知らない。勉強も出来る。愛嬌もある。家事も出来る。面倒見もいい。君は完璧だよ。非の打ち所がないくらい完璧だよ」


「……えへへぇ」


 唐突に栞子ちゃんは俯いて、僕には聞こえない声で何かを漏らした。


「……おっほん」


 次いで、わかりやすい咳払い。


「健司さん。それで健司さんは……何が言いたいんですか?」


「……何がって?」


「さっきから、あたしが打ち上げに参加しなかったことを怒ったり。あたしが完璧だと怒ったり。少し、今のあなたは理解出来ません」


 理解出来ない、か。

 理解出来なくて当然だろう。多分今、彼女に対してこんな気持ちを抱いているのは、この世を探しても僕くらいなのだから。


「……君を見ていると、自分の駄目なところが次々と浮彫になるんだ。君に面倒をかけて、君に負担を強いて……そして、思うんだ。僕は君に……住み込みでまでお世話をしてもらう価値があるのかって」


 男の癖に、情けない言葉が口から漏れ出て止まらなかった。ブレーキの効かない自転車のように、心境を統べえ吐露してしまった。

 恥ずかしかった。自分の内面全てをさらけ出すことが、恥ずかしかった。


 ……栞子ちゃんは、


「そうですか」


 いつものように、淡々と、言ったのだ。


「……あたし、言いましたよね。打ち上げに行かなかったのは、今日の夕飯を何にしようか考えていたからだって」


「……それが、何だよ」


 俯いていた顔を上げると、真っすぐに僕を睨む栞子ちゃんと目が合った。思わず、僕は目を逸らした。


「……察しの悪い人」


 栞子ちゃんは、ため息と一緒に呟いた。

 そして、




「あたしは、クラスメイトの皆様と打ち上げに行くより、あなたのお世話をしたいと思ったのです」




 僕の胸が、熱くなった。


「あなたのお世話をすることの方が、クラスメイトと遊ぶことより、あたしにとっては大切なことだったのです」


 胸だけではない。顔も。喉も。目頭も。今にも溶け出しそうなくらい、熱くてたまらなかった。


「さあ、帰りましょう。夕飯の買い出し、手伝ってください」


 歩き出す栞子ちゃんを背に、僕は中々一歩を踏み出せなかった。

 大切だと言ってもらえて、ただ嬉しかった。でも、本当にそうなのか。臆病心が、靡いた。


「どうして」


 僕は、震える声で続けた。


「どうしてっ、僕なんかとの時間が大切だなんて言えるんだ。僕なんて言い訳ばかりで、自発的に行動しないし、迷惑だってたくさんかけてる。未だに脱衣所以外でドライヤーをかける癖だって、直りきってないんだ。どうして……」




「好きだからです」




 心臓が、高鳴った。


「あなたと一緒にいる時間が、あたしは好きだからです。クラスメイトと打ち上げなんかするより、会話するより、よっぽど」


 僕は、何も言えなかった。


「あなたはそうじゃないんですか? あたしと一緒にいる時間、嫌いですか?」


 好きか、嫌いか。

 そんなの、決まっている。決まり切っている。


 ……そんなの。


 答えを言いかけて、僕は思わず口をつぐんだ。




「友達として」




 淡々と、そう付け加えた栞子ちゃんに、僕は一気に興が冷めてしまったのだった。


「……まあ」


 先ほどよりも、口が重かった。上げて落とされたからだろうか。


 うん。それに間違いない。


「まあ、君と一緒にいる時間は好きだよ。うん。……友達として」


「そうですか。それでは問題ありませんね」


「そうだね」


 僕はトボトボとようやく歩き出した。

 ……ただ。


 少し興ざめしてしまったものの、気付いたことがあった。


 それは、さっきまで諦めようとしていた栞子ちゃんへの気持ちのこと。僕はさっきから、自分と彼女を比較しては自分のだらしなさに打ちひしがれ、そうして彼女への気持ちも諦めようとした。

 でも……多分、それは間違いなのだろう。


 好き、に。


 それ以外の感情も。忖度も。恥も外聞も。




 全てはまったく、不要なんだろう。




 胸のつっかえが取れた気がした。


「待って」


 足早に、僕は栞子ちゃんを追いかけた。

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