我が家のメイドは人気者

 入学前からの住み込みメイドのひと騒動も落ち着いた頃、僕達の高校入学を祝う入学式の日は訪れた。


「それでは、そろそろ行きますか。健司さん」


 数日前、真冬のような肌寒い日が続いたというのに、今日はブレザーを着ていては暑いくらいの天気だった。

 栞子ちゃんの言葉を聞き、僕は難しい顔をしていた。


「ねえ、栞子ちゃん」


「はい。なんでしょう」


 玄関に腰を落として、ローファーを履きながら、栞子ちゃんは淡々と聞いてきた。


「本当に、一緒に行くの?」


 僕の疑問は、入学式初日の登校について。

 昨晩、栞子ちゃんは唐突に言い出したのだ。明日、一緒に学校に行くぞ、と。戸惑う僕を他所に、栞子ちゃんはさっさと仕事納めの日報を書き始めてしまったから、直前での文句となってしまった。


 ちなみに、僕が栞子ちゃんに一緒に登校するかを尋ねた理由は、ただ気恥ずかしかったから。それだけだった。


「はい。行きましょう」


 淡々と、さも当然のように栞子ちゃんは言った。


「でも、周囲の目もある」


「それが何か問題でも?」


 言われて、確かにその通りだと思わされた。ちょっと美人で華奢でお淑やかな彼女の隣を歩き、それを周囲に見られる。そのことの、一体何が問題だって言うのだろうか。


「あたしは、効率を重視するために言っているんです。通学時間中、あたしと一緒に健司さんが通えば、問題を解かせながら通学出来るでしょう?」


「えっ」


 ここ数日、散々栞子ちゃんには勉強に付き合ってもらって、その結果彼女の鬼教官ぶりに参り始めていたというのに。

 まさか、通学中もそれを続ける気なのか……?


 さっきとは別の理由で、僕は彼女と一緒に登校したくなくなっていた。


「そこまでする必要、ないじゃないか」


「駄目です」


 栞子ちゃんは、相変わらず頑とした態度だった。


「……どうして?」


「仕事だからです」


 そう言われると弱い。

 ただ、それにしても、だ。


「君、なんでそんなに仕事熱心なのさ」


 前から、栞子ちゃんはことあるごとに仕事を理由に頑なな態度を崩さない。ただ、雇い主がおらず監視の目がないこの環境は、普通の神経であれば少しくらい手を抜いても良いと思うと思うのだ。

 その方がお目付け相手との関係も良好になるし、楽だから。


 でも、彼女はそうはしない。

 それはどうしてなのか。


 ……一つ、思い当たる節があった。


 それは、僕のことがす――「高いお給料をもらっているためです」


 ……どうやら、違ったらしい。


「奥様には、感謝しかありません。二人分の食費まで出してもらっているのに、その上お給料まで。なんとか、もう少し恩返ししたいものです」


 いつになく感慨深そうに、栞子ちゃんは言った。


「真面目だね」


「そうでしょうか」


 鉄仮面の栞子ちゃんは続けた。


「そろそろ学校に行きましょう。遅刻してしまいます」


 確かに、スマホを見れば時間は遅刻しかねない時間。

 結局、栞子ちゃんと別々に登校も出来なければ、通学中に勉強させられる悪夢を僕は味わってしまった。

 ノイローゼになるかもしれないとか思いながら、僕達は学校に辿り着いた。校庭に咲いた桜の木に、少し感嘆な声を漏らしながら、向かった先は玄関付近。僕達は、事前に学校側から持って来いと言われていた受験票の番号と、クラス決めの張り紙の番号を照らし合わせた。


「二組だ」


「あたしもです」


 ドキリ、と心臓が跳ねた。これから、栞子ちゃんとは同じクラスのクラスメイトとして過ごすことが出来るのか。

 廊下を歩いて、教室へ。


 教室内は、あまり騒ぎ声が聞こえない静かな環境だった。クラスメイト全員がまだ顔見知りが少ないのが、その原因なのだろう。


「あたしの席、あっちなので」


「あ、うん」


 ここで、僕はようやく栞子ちゃんと別れた。さっきは一緒に通学したくないだなんだと思ったにも関わらず、今になると少し名残惜しい。


 気を取り直して、僕は自分の座席を探して、腰を下ろした。


「やあ」


 椅子に座ると、前に座っていた男子に声をかけられた。気さくに声をかけられたが、初めて見る顔だった。


「君、名前は?」


「城田健司」


「健司君か。よろしく」


 いきなり下の名前呼びか。


「よろしく。君の名前は?」


「桑原和樹。カズって呼びなよ。僕の友達はみんな、僕のことをそう呼ぶ」


 遠回しな言い方だが、つまり僕達はもう友達ってことなのだろうか。


「よろしく、カズ」


 気恥ずかしさを感じたものの、ここで乗らないとクラスから浮きそうで、僕は乗っかった。


「君、さっきの子とはどんな仲なの?」


 さっきの子。つまりは、栞子ちゃんのことか。


「顔見知りだ。お互い同じ学校に入るって偶然知ってさ。不安だからって一緒に来たら、同じクラスだったんだ」


 僕は適当に誤魔化した。

 だって、そうだろう。

 高校生になるにあたり両親が転勤になりその両親が家事の出来ない僕の身を案じ僕の初恋相手だった栞子ちゃんを住み込みバイトで雇って来て運命的に一緒の学校だったから一緒に通学してきた、だなんて言って、果たして誰が信じられるだろうか。


「へえ、羨ましい。僕の中学からここに入学してきたの、僕だけなんだ。だから、この学校の友達は健司が最初だ」


「そっか」


 少しだけ、胸がほっこりとした。

 この学校は都内でも知れたそれなりの進学校。同じ中学からの入学生も辛うじているものの、友達百人ってタイプではない僕に、同じ中学の顔見知りはいなかった。


 気さくでフレンドリーな人が、前の席に座っていてくれて助かった。それでいて、早速こんな特別扱いしてくれるだなんて、嬉しい限りだった。


「それにしても、凄いね」


 カズが言った。


「何が?」


「君の顔見知りさ」


 ちょいちょい、とカズが後ろを指さした。その先は、さっき栞子ちゃんが歩いて行った方。


 僕はそちらを振り返って、


「うげっ」


 うんざり気な顔をしていた。


 ……思えば栞子ちゃんって、家事全般こなせるわ、勉強は出来るわ、お淑やかだわ、綺麗だわ、スタイルが良いわ……。


 彼女、非の打ち所がないじゃないか。


 そんな栞子ちゃんに、クラスメイトは我先にと寄って集っていた。まるで街灯に集る蠅のように、不気味な光景に僕には見えた。


「人気者のこと、羨ましいと思うかい?」


 カズは僕に尋ねてきた。その言外から、彼はそう思っていないだろうことは容易に想像出来た。

 

「……いや、別に」


「妬み?」


「そうだね。純度百パーセントの妬みだ」


 ただどちらかと言えば、僕が妬んだのは人気者な彼女に対してではない。その人気者に、初対面から平気で絡んでいける、クラスメイトにだった。


「アハハ。君とは良い友達になれそうだ」


 奇遇なことに、僕もカズに対して同じことを思った。


 それから僕達は、栞子ちゃんの人気ぶりを少し離れた自席から拝んでいた。


 ……そして、僕は気付いた。


 鉄仮面だと思っていた栞子ちゃんが、クラスメイトと話す時に微笑んでいることに。


「……微笑むこと、出来たのか」


「何か言った?」


「いや、何も」


 少しだけ、胸中穏やかではなかった。年相応の微笑みで楽しそうでクラスメイトで話す彼女と、我が家で住み込みで働き僕に淡々と話す彼女を、どうしても比較してしまうのだ。


 そんなに、僕との会話は、楽しくないのだろうか。


 これから高校生活をスタートさせるというのに、気持ちは滅入る一方だった。

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