15 『嫌な気分は始まる数時間前がピーク』
七月ともなるとやはり暑い日が増えてくるらしく、今日はそんな突発的に訪れた真夏日だった。
玄関を一歩出た時点で分かる、およそ人が生きるのには適さないであろうこの温度。今すぐクーラーの効いた快適な部屋に戻ってごろごろするべきだと、心の底からそう思う。
だがしかし、オレは行かなくてはならないのだ。
『約束通りコラボ、しよ?』
この一連の流れは休日で有頂天だったオレを地面に叩き付けてめり込ませるのに十分な火力を持っていた。
何より…何より厄介だったのは、この発言が個人メッセージやオフでの通話などではなく、配信で出たものだったことだろう。チャットだけならまだ「なあなあ」にできた可能性があったものを!
マネージャーさんに「無理ですごめんなさい死んでしまいます」と正直にメッセージを送ろうと決意した頃には、Twitterやらまとめサイトやらで
(そういえば確かにコラボしよう、みたいなことは
あんなの、普通その場のノリというか、社交辞令的なものだって思うじゃん?? まぁ、同期だし言っておくか、的な! それが実際蓋を開けてみればこれだ。
歌配信、オフコラボ、場所は本社、そして何よりオフコラボ。オレの苦手なものがまとめて押し寄せてきて――今、こうしてオレはクソ暑い中歩いている、というわけである。
(うあーもうあっちい…溶ける…)
今日も今日とてまっくろくろすけな己の服装に後悔しながら歩くこと十分ほど。ようやくいつも利用している駅に辿り着いた。
この後待ち受けているコラボと、アホみたいな暑さがオレの精神力と体力を同時に削っていく。ついでに言えば朝からずっとお腹も痛いし、あまり眠れていないせいで頭も痛い…気がする。
――――――――――――――――――――――――
宵あかり@ON_Akari_Yoi・14分 …
おなかいたい
o〇 15 ↺ 101 ♡ 212 ↑
――――――――――――――――――――――――
なべ@xxxxxxx・12分 …
返信先:@ON_Akari_Yoiさん
こいついつも腹痛がってんな
↺ ♡ 1 ↑
――――――――――――――――――――――――
すきま@xxxxxxx・10分 …
返信先:@ON_Akari_Yoiさん
伝 統 芸 能
↺ 2 ♡ 11 ↑
――――――――――――――――――――――――
pico@xxxxxxx・10分 …
返信先:@ON_Akari_Yoiさん
草
↺ ♡ 1 ↑
――――――――――――――――――――――――
駅の中に入り壁際に寄ると、休憩がてら家を出るときに呟いておいたTwitterを開く。相変わらず優しくない世界がそこには広がっていた。
とりあえず一番最初に「草」とか言いやがったやつには「草じゃないが??」と返しておくとして…電車は何分だったかな。
「ねぇねぇ君」
時間の余裕はかなりあるので急がなくとも問題はないはずだが、もし遅刻なんてした日には大変なことになるだろうからな。それでなくともマネージャーさんから目を付けられてるってのに。
まったくオレが何をしたって言うんだ。ちょっとTSしたって暴露したり寝落ちしたり、ここ最近だとTwitterで自分のセンシティブ絵にいいね押して回ったりしただけじゃないか。ちなみ最後のは本当に反省して今では保存するだけに留めている。えろい。じゃなくてえらい。
「ねぇ無視しないでよ」
「っ!?」
いきなりスマホを持っていた方の腕を掴まれて我に帰る。えっなに。何事!?
おそるおそる視線を上へと向けてみれば、そこには大学生くらいの…いかにもオレが苦手とする雰囲気をした男が立っていた。
(うえええ!!!! まっ、マジかよ……)
い、いや待て…! 話しかけてきた理由はなんとなーく想像がつくが、まだワンチャン、ワンチャンあるかもしれない…! 落し物を届けてくれた、とか駅で迷ったから道を聞きたい、とかそういう感じの!
チャラい見た目に似合わず普通に良い人的なアレが! そう、そうだよな。人は見た目で判断しちゃいけないよな!
が、しかし
「君めちゃめちゃ可愛いね。誰か待ってるの? もし時間あったらどっかで話さない?」
(ああぁーー!!!!)
き、決まりじゃん…オレ今ナンパされてんじゃん…。うわぁ、マジかよ…なんだこのなんとも言えない気持ち…。確かにオレ、文句なしに美少女ですけども!
さてどうしたものか…。「いやオレ男です!」なんて言ったところで退散してくれるわけはないだろうし、寄っかかるために壁際に立ってたから逃げ道もない。てかデカいなお前?? オレが見た目通りの大人しい系美少女だったら泣きだしててもおかしくないぞ!?
(いっそ、言う通りこいつに付き合ってさっさと解放してもらうか…?)
いくら見た目が良いとは言ってもオレの陰キャっぷりを目の当たりにすればナンパする気も失せるだろう。それにどう間違ってもお茶に付き合っただけでエロ同人みたいな展開にはならないはずだ。仕方ない、そうするか。決して断るのが怖いとか、そもそもまともに声すら出ないとかそういうのではない。ついでに目も若干潤ってる気がするが、ないったらない。
オレがそう決心し、言われるがままについて行こうとしたその時だった。
「ごめんね、待たせちゃって」
そう言って割り込んできたのは、背の高い女性――女性!?
「は、い…?」
蚊の鳴くような声で辛うじて返事を返したオレへ安心させるようにウインクをすると、そのままその人はオレと男の間に入ってくる。
男の方はというと初めは何か言おうとしていたようだったが面倒になったのか、はたまた自分とそう変わらない身長の女性に恐れをなしたのか、こちらを軽く睨むと素直に立ち去って行った。
(た、助かった…?)
安心感からだろうか、少しの間突っ立ったままぼーっとしてしまう。
「大丈夫だった?」
そんなオレを心配したのか、顔を覗き込むように女性が言う。
…薄っすら目元に隈を浮かべた、紛うことなき美人がそこにはいた。さっきは焦っていてしっかり顔を見ている暇がなかったから気がつかなかったが、どうやらオレを助けてくれたのは顔面偏差値の高すぎる大変な美人さんだったらしい。
「ひええ…かっ、顔が良すぎる…」
「えっ?」
「あっ、えと…大丈夫、です…」
「ならよかった」
軽く微笑みながらそう言うと、彼女は「気を付けて」と言い残して改札口の方へと去っていった。美人なだけじゃなくイケメンでもあるのか…つよい…。
しばらく彼女が歩いて行った方を見ていたオレだったが、いつまでもそうしているわけにはいかない。
「…電車、何分だっけ」
そんなことを考えながらも、思い出されるのは今しがた助けてくれた美人さんのことだった。
口調こそまったく違うけれど、あの声はどこかで聞いたような気がする。とはいえオレにはあんな美人の知り合いなんて当然いないし…気のせいだろうか?
そんな疑問も、最高にクーラーの効いた電車に乗り込む頃にはすっかり忘れてしまっていたのだが。
残ったのは元男なのにナンパされたあげく、イケメンで美人な完璧超人に助けてもらったという羞恥心と、この後控えているコラボへの憂鬱さだけだった。
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