散歩日和

CHOPI

散歩日和

 「雨の匂いがするねぇ」

 彼が玄関を開けてアパートの廊下に出ると、アスファルトが水に濡れて放つ独特な匂いが漂っていた。ここ数日間雨が続いているせいか、湿度もかなり高く感じる今日この頃。洗濯物も干せない、外に出るのだってなかなか億劫になってしまうのに、彼はそう言いながらのんびり笑っていた。

 「そろそろ晴れてほしい気分……」

 彼の隣に並んで空を見上げると、まだまだ薄暗くて分厚い雲に覆われていた。青空を最後に見たのはいつだっただろう。雨は特段嫌いじゃないけれど、ここまで続くと流石に少し嫌気がさすのは仕方ないことだと思う。


 ――たまには雨の日に出かけてみようか。

 彼がそう言ったのは今から3時間ほど前。彼の気まぐれは今に始まったことじゃない。だから免疫はできているけれど、今回ばかりはあまり乗り気になれなかった。

 「えー……、濡れちゃうし、湿気で髪の毛も一筋縄じゃいかないのに……」

 ぶつくさ文句を言う私を横目に彼は笑っていた。

「まぁ、いいじゃない。こんな日も」

 彼の中では出かけること自体決定事項になっていて、こうなると梃子でも引かないことは経験上明らかだ。仕方なく私は出かける準備をすることにした。


 出かける、と言ったから行き先が決まっているのかと思っていたら、そうでは無かったみたいで歩き出して早々に「どこに行こうか?」なんて言われてしまった。

 「え、行きたいところがあるんじゃないの?」

 そう尋ねたら彼は視線を宙に投げて、そうして少し考えてから「特に、無いかな」と言った後、「散歩、でいい?」と尋ねてきた。ここまで準備した手前、出かけること自体を止めるのは勿体ない気がして、一方で『散歩ならここまで気合い入れて準備しなくても良かった気がする……』なんて思う。でもだからと言って私自身が行きたい場所もとくには無くて。

 「……いいよー、散歩で」

 そう返して二人、なんとなく歩き始めた。


 傘を持って歩いているから、その分いつもより少し二人の距離が遠い。雨の音と傘が邪魔をするから、会話もいつもより少なくなる。歩道が狭くて二人で並んで歩けないから、彼の背中を追う形で歩く。そうして、ふと気が付いた。最近は二人横に並んでいることが多くなって、彼の背中をあまり見ていなかった。当たり前に二人、横に並べるようになっていたことに気が付いて、なんだか少し照れ臭くなった。


 近所にある少し大きめの公園につく。いつもは子どもの声でにぎやかな公園だけど、流石にこの雨だと子どもの声も聞こえない。人気のない公園を二人歩いていると、雨に負けない色の鮮やかさが目に飛び込んできた。

 「紫陽花だー、キレイだねぇ」

 彼の言葉に同意する。

 「本当。そっか、もうそんな時期になるんだ」

 散歩しているうちに少しずつ雨雲が薄くなってきていたのだろう。雨に濡れた紫陽花は程よく光を反射してキラキラと輝いていた。晴れた日の紫陽花も勿論キレイだけれど、雨に濡れて光る紫陽花はその何倍もキレイに思えた。



 自分は単純な性格で良かったと、つくづく思う。

 彼の横に並ぶことが当たり前になっていたことに気が付けたこと。

 雨に濡れて光る紫陽花を見られたこと。

 もうそれだけで充分、雨の日なのに出かけて良かったと思っている私がいる。そんな私に追い打ちをかけるかのように、彼が笑って空を指さした。

 「あっち、晴れてきたみたい。虹が出てるよー」


 明日はきっと、久しぶりに晴れるはずだ。

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