第8話 騒動のきっかけはやはりエイムのようです(団長の溜息)

 物事が動き出すきっかけはいつ・何になるかわからない。

 エイムが宿に戻ってみると、あの足の不自由な弟の姉がいた。

「どうした?」

 その姉の様子は悲壮だった。

「お、弟が。足だけでなくて上半身まで動かなくなって……」

 エイムは顔をしかめた。それほど早く進行するとは予想していなかった。

 それを聞いた隊長も目を瞠った。「なんだと?」

「本当なんです!」姉は叫んだ。「もうどうしたらよいか……」

 周囲がざわざわとし始めた。

 やはり神託が正しいんじゃないか、といった声が出ている。

 そこへ団長がやってきた。

「隊長さん。エイムを連れて戻ってくれてありがとうございます。どんなことになったのか、詳しくお話を伺いたい。我々の部屋へ来てもらえませんか?」

 騒ぎに困っていた隊長は団長の誘いに乗ることにした。


 エイムと隊長は領主との会話について簡単に説明した。

 話を聞いた姉は怒っていた。「それじゃ弟が!」

「わかっている。だが」隊長はなだめるようにいった。

「とりあえず弟さんには井戸の水だけを与えるように」エイムは言った。「難しいことはわかってるけど、それしか今すぐにできることはないんだ」

「井戸の水?」

「そうだ。今はそれだけだ。それから神社へ連れて行って診てもらうこと。水の話はしないで、間違って農薬を飲んでしまったとでもいえば解毒の魔法をかけてもらえるんじゃないかな」

 姉は納得しきってはいなかったが弟のためと立ち去った。

「それで解決するのかね」隊長が聞いた。

「おそらく短期的にはよくなると思います。長期的には無理でしょう。仮にできても町民の多くが同じことができるわけじゃないんでしょう?」

「井戸はそれほどない」隊長はうなずいた。「川の水なしではこの町での生活は立ちゆかん。どうしろというのか」

 エイムは肩をすくめた。「俺はできることはしましたよ。問題はあなた方の受け止めじゃないですか? 俺は追放される。それで生命の危険からは遠ざかる。でもそれをするのは俺自身じゃない。あなたやあなたの支持する領主だ」

 隊長はうなだれた。「わかっている。わかっているが」

「自分や家族の命と今の暮らしのどちらをとるのかという話です。残酷ですがね」

 追放されるのはエイムだというのに、残る隊長の方が悲しい表情だった。


 翌朝。

 エイムはサーカス団とともに町を出た。

 エイムは自分だけがといったのだが、団長は断固として一緒に町を出るといった。

 他の団員たちも町の人たちが病気に冒されていること、神託があったことを知っていてあえてこの町に残りたいとはいわなかった。

 隊長はただ一人それを見送りに出てきた。

「わざわざ来てくれたんですか」エイムはちょっと皮肉っぽく言った。「それとも監視かな?」

「町を出たことは門番が確認する」

 隊長は首を振った。

「一晩考えてみた。だが結論が出せない。俺はどうしたらよい?」

「あなただけの問題じゃないでしょう? 家族もそうだけど、部下や知人だって多いでしょう。隊長さんは神託が事実だということは知っているはずだ。そこに疑義はないんだから、俺にいわせれば選択肢はほとんどないはずですよ」

「家族を連れて町を出ようかとも考えている」

「それで隊長さんが納得できるならそれでよいんじゃないですか。家族の安全は守れるでしょう?」

 エイムはまったく感情のない声で言った。

「そうは思っていないんでしょうしね。それじゃ」


 町を出ると猛獣使いの美女ルナがちょっと責めるように言った。「少し可哀想だったのではない?」

「言葉だけの慰めを隊長さんが求めていたわけじゃないでしょう?」

 エイムは肩をすくめて見せた。

「彼だって事実はよくわかっているはずだ。目の前の暮らしはよいものかも知れないけれど、その先にあるのは悪夢だ。疫病と同じようなものですよ。違うのは対処するだけの時間が与えられていることで。

「それに何のとがもなく追放されるのは俺の方ですよ? 皆さんも巻き込んでしまっているわけですが」

 ルナはうなずいた。「わかってるわよ。でももう少しなんとかしてあげられないかしら?」

「何もしないともいってはいないです」

 エイムは言い切った。

「俺は領主の指示通りに町を出た。それだけです」

 そういってエイムは懐からちょっと怪しげな目元を隠すマスクを取り出した。この世界には少なくともまだ存在しないサングラスに近い。

「じゃじゃーん」

 エイムはそれを装着して見せた。

「謎の覆面歌手、ダブルの登場です!」

「おぉ!」

 ピエロのラザールが感嘆の声を上げる。

「素晴らしい!」

「そういってくれると思ったよ」エイムは懐からもう一つ同じものを取り出した。

 ラザールはそれを受け取ると同じく身につける。

「謎のピエロ、ツインの登場ですぞ!」

 エイムとラザールはハイタッチを決める。

 ルナは呆れたように溜息をついた。

 団長はしようがないなという様子だった。「やっぱり戻るつもりか? 領主の命令は絶対だ。見つかれば次は厳罰だぞ? 死罪もあり得る」

「俺はまだ歌い足りないんですよ。あの町へ俺の歌をちゃんと届けないとね」

「ぜひお手伝いしましょう」ラザールもいう。

 双子のリーズとロールがエイムにいう。「そのマスクはもうないの?」

 エイムは鞄を開けた。「まだあるよ?」

 そういってエイムが取り出したマスクをルナがかっさらう。「私にも必要よ」

「二人が行くなら」ルイもマスクを受け取った。

「お前たちは正気じゃないぞ」

 団長が最後にマスクを受け取った。「まぁ、あの弟思いの少女をあのままにするのは忍びないな」


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サーカス団はこの世界で独特に立場にあります。根無し草でどこにも拠り所がない半面、娯楽も情報も少ないこの世界では貴重な存在でもあるのです。領主といえどもむげにできないことはないが、民衆の反感を買うことはしたくはありません。

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