第7話 証明は不可能なので神託にすがります(神頼み)

 エイムはそれから三日三晩いろいろと調べたり考えたりした。

 ルイたちにも相談したが、そもそも公害という概念がないのだ。公害に一番近い知識は毒だろうが、じわじわと数年以上という長い時間をかけて影響を及ぼす毒というのはこの世界では知られていないようだった。

 これでは仮に工場の排出物を特定し、それが奇病の原因だと科学的に証明できたとしても民衆や為政者を納得させることはできない、エイムはそのことに気づいた。

 仮にエイムが科学的にそれを論証できたとしても、それを多くの人々に納得してもらえるだけの知的な背景がないからだ。やはり教育が重要なのだ。民衆に一定程度の知識がないと公害問題を理解してもらえない。直近の問題を解決したら教育を普及させるのが使命になるかも知れない。

 無理に公害を主張すれば、商人から圧力がかかったり、貴族に狙われることすら危惧される。貴族社会では貴族による意志決定は強力で絶対的だ。むしろこの可能性はとても高い。暗殺されるという恐れもあるだろう。


「真実として理解してもらえるかどうかは二の次か」

 そこでエイムは割り切ることにした。

 なにしろ転生スキルを歌と演奏による説得(洗○)に全振りしてきたぐらいだ。ここは情報戦と考えるべきだろう。情報戦の主題は必ずしも真実である必要性はない。真実が真実であるから勝るというならば情報戦などという概念も成り立たない。

 そうはいっても根無し草のような暮らしをするサーカス団員には説得力がない。

 今のエイムの歌と演奏の力では町全体を説得するような力もまだない。この力は徐々にエイムが高めていかなければならない。最初から万能にするとそのために旧神の力を割くことになり、最大値が下がってしまうというのだ。それならばとエイムは初期値は低くなっても、最終的な効果が最大となるように設定してもらったのだ。

 それであれば内容自体に説得力を持たせるしかない。ここに矛盾が生じる。


 そこでエイムは地の旧神を奉る神社を訪れた。転生の際、まともに話ができたのは地の旧神だけだったからだ。

 神官に献金し、神託をしてもらうことにしたのだ。なぜならばこの世界では多くの人々が神託を無条件に信じるのだ。それはそうだろう。神々は実在し、神官の魔法を通じて実際に様々な効果を顕現するのだ。

「それではこれより神託の儀を執り行います。このたびのこの儀はサーカス団員エイムのたっての希望によるもの。神託は必ずしも得られるとは限りません。その問に答えることが神の意にかなうときにはじめて神託が下ります」

 なにやら後半は免責事項のような説明だったが、神官が祭壇の前で荘厳な祈りを捧げる中、エイムは手を合わせて心の中で祈りを捧げた。

「地の旧神よ。どうか工場による水汚染が病気の源泉だとお告げください。そうすれば人々を救えますよ」

 それはずるだろう。こんな風に神託内容を具体的に要請する祈りは聞いたことがない。普通は助けてくれと言った漠然とした願いを込めるところだ。

 旧神もこれには困ったのかも知れない。だが突然、神官に光が降り注いだ。

「おぉ!」

 立ち会った別の神官が叫んだ。

「十年ぶりに神託がなったぞ!」

 神社は大騒ぎになった。

「染め物工場が水を汚している! それが人々の健康を損なっている!」

 ずいぶんと説明的な、エイムの希望に添った神託が下った。

「神託とはそんなにレアなことだったんだな」

 エイムはちょっと呆然としていた。

 とはいえ騒ぎになることはエイムとしては臨むところだ。

 できるだけ情報を拡散して人々に工場による水質汚染への関心を持ってもらう必要があるのだ。

 噂が広がるだけでもエイムの狙いは達成されるかも知れない、とエイムは考えた。

 だが話はそううまくはいかないものだった……。


 神託のあった翌朝。

 エイムは1階の食堂に降りてきて朝食セットのトレーを受け取った。固いが大きなパンとたっぷりのシチュー、飲み物は蜂蜜入りの牛乳だ。これから働くぞ、というエネルギーに満ちた、安さとボリュームが売りの朝食だった。

 エイムが座ろうと言うときに、遠くからガシャン、ガシャンという音が徐々に近づいてきた。

 サーカス団が泊まっている宿に領主である男爵の兵隊がやってきた。

「ここにサーカス団のエイムという者がいるな?」

 隊長らしき男性が言う。

 静まりかえった宿屋の1階にある食堂にその声が響いた。

 皆の目がエイムに向かう。

「俺です」

 隠し立てもできないし、エイムは手を挙げた。

「よし。領主様がお前に話がある。これから領主の館へ来てもらおう」

 エイムは自分の目の前の朝食を見た。まだほとんど食べていない。

「急いで食べるからちょっと待って欲しい。朝から空腹では耐えられないよ。逮捕されると言うことではないだろうし、そちらで食事を出してもらえるわけではないんでしょう?」

「……3分だ」隊長はうなずいた。

 エイムは急いで朝食をかき込みはじめた。合間に近くにいた団長に小声で言う。

「昨日の神託のせいだと思う。問答無用で捕らえるってのではなさそうだし、行ってきますよ」

 団長は小さくうなずいた。

「気をつけてな」

 逮捕ということではないようだが、エイムは兵士に前後を挟まれて領主の館まで連行されていった。


 この一帯を統治する男爵は50歳ぐらいの痩せぎすの男性だった。

 エイムが書斎に通されると目の前の書類を片付けてから顔を上げた。

 エイムは両側を隊長とその部下の一人に挟まれて立っている。

「お前がエイムか。昨日の神託について話を聞きたい」

「どういった意味でしょうか?」

「なぜ神託を請うた?」

 エイムは肩をすくめた。

「俺は先日この町へ到着したサーカス団の一員です。この町へ来てとても好評をいただいています」

 男爵が隊長に目を向けると団長はうなずいた。

「町ではこのエイムが所属するサーカス団はなかなか評判です。連日満員だそうです」

「なるほど、わかった」

「お客さんの中に僅かだけど体調が悪い人が多かったんです。せっかくサーカスを評価してもらっているのに、それを見ぬ振りはできないではないですか。俺には原因はさっぱりでしたが、何かできないかと考えたんです」

「それで神託かね?」

「学のない旅芸人にできることといえばそれぐらいしか思いつかなかったんです」

 エイムは素朴さを前面に出した。

「なんといってもサーカスは健康でないと楽しんでもらえませんからね」

「健康は確かに重要だ。だがあの工場はこの町の重要な施設なのだ」

「そうなのでしょうが、俺もどういった神託がされるかなんてわかっていたわけではありませんので。なんとも」

 男爵は首を振った。

「そうかもしれん。だがお主が請うた神託で工場に悪い噂が立つようになったことも事実だ。それでは困るのだよ。この町としてはね」

「広めたのは俺ではなくて神社の神官連中です。俺ではありません」エイムは弱く抗議するように言った。

「それもそうかもしれぬがね。神殿もまたこの町には欠かせぬのだよ」

 男爵は平板な声で言った。中立を保つ姿勢だけは見せてもらえるようだ。

 エイムは困った顔をして見せた。

「しかしそうなると俺には何もできません。俺はしがない旅芸人でしかないですから」

「そうでもないのだぞ」

 男爵は暗い顔を見せた。

「それも想像できぬのかね?」

「俺を生け贄に? それは無理でしょう。だって神社は既に神託だと公言してしまったのですよね。それならもはや俺は関係ないし、仮に俺を死罪にしたところで噂は消えないでしょう? むしろ領主様まで悪者になりかねないじゃないですか」

「噂は放っておけば消えるのだ」

「神社は?」

「神官長はこれ以上の流言を抑え込むことに同意している。お主はどうするね?」

「……町を出ろと?」

「それが無難だろう。神託は偽物で、悪質な悪戯だったということになろう。この町へもしばらくは戻ってこれまい。それでよいな?」

 エイムは一瞬考えた。

 ここで断ればそれこそ死罪か幽閉か。いずれにしてもどうにもならないことになるだろう。ここで兵士を振り切って逃げれるような力は持っていない。なにしろ転生スキルは歌と演奏に全振りしたのだ。

 神官長が本当に同意したとすれば、旧神がいずれにしろ何らかの始末をするはずだ。さすがにこのまま放置はないだろう。

「わかりました。仲間のサーカス団があるので、片付けないとならないことがあります。明日の朝一で町を出ます。それは認めて欲しい」

「それは認めよう。だがその間は兵隊に監視させる。市民との接触はなしだ。連れて行け」


 帰りは隊長とその部下1名だけで宿に戻ることになった。

 途中、不意に隊長が口を開いた。

「神託は本物だったのか?」

 エイムはまじまじと隊長の顔を見た。

 隊長は苦虫をかみつぶしたよう顔をしていた。

「私の産まれたばかりの娘もいささか体調が優れないのだ」

「なるほど。俺に神託をごまかすような力があるわけないですよ。そもそもそんな意味がない。俺には何の得もないじゃないですか。こうして追放されるのだし」

「どうすればよい?」

「神託は水の汚染です。あの川以外には水はないんですか」

「この町には井戸は僅かにしかない」

 部下が驚いた顔をして言った。

「隊長。その発言はまずいんじゃ……」

 隊長は表情を変えずに言った。

「お前も家族がいるだろう? どうするんだ。このままか?」

「死ぬほどのことじゃないんでは……」部下は弱々しく言った。

「どうしてそういえる? 神託が下るほどの問題だ。なにも安心できんぞ。少なくとも俺は娘を賭け金にする気は、ない」

「だが領主があれではどうにもならないんじゃないか」

 エイムは言った。

 隊長もうなずいた。

「神社がもう少ししっかりしてくれればよいのだが。現神官長は成り上がりのボンボンで、領主の接待漬けで言いなりだからな」

「なんでそんなのが神官長に」

「そのあたりは工場の商人もかかわっているんだ。悪い人じゃないんだ。町はそれで潤っている。むしろ商人としてはあの商売で儲けは少ないんじゃないだろうか。その意味では領主様だって悪気はない。あの工場のおかげで町はずいぶんと助かっている」

 それはまさに贅沢という名の魔の手だった。

 人々の暮らしをよくした。それを今さら悪くすることができるのか。

 子どものいる世代はともかく既に高齢だったり、まだ自分が養う家族のいない若者には今の暮らしのほうが重要だと考える者も多いだろう。それに対して水汚染の影響は僅かでほとんど目に見えないし、将来はわからない。


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やっと主人公エイムが動き出しました。

公害問題という認識は中世社会では認められにくいと思うのです。だが剣と魔法の世界には神々がいます。デウス・エクス・マキナ的にそれを活用しようと考えるエイムは転生者だからこそです。


ハートと星に支えられて執筆をしています。少しでも続きに期待していただけるようでしたら、ぜひよろしくお願いします。

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