第5話『言葉』
星は流れる。何百と繰り返される流星に、龍の調べに、世界樹の輝きに魅せられる。
「ああ、やばいな、永遠に見ていたい」
「ほんと、美しいわね」
願わくば、この時間を止めてくれ。このまま、世界が最も美しいまま、何も起きないでくれ。誰も死なない、平和なこの世界を、このまま、変えずに残してくれ。
まだしばらくは、きっとこのまま空を眺めていられる。そんな根拠のない淡い希望は、エリンによって破られた。
「そろそろ、次の人が訪れるから、私たちは行くわね」
現実に引き戻された。
「もう、行っちゃうのか」
まだ再会したばかりだ。みんなと2度と会えないかもしれない。
「そうね。でも別に消えるわけじゃない。最後に話をしましょう」
エリンがこちらを向いて、
「いい、立夏、あなたのしたことは間違ってない。でも、私たちがどんなにあなたを励ましても、結局あなた次第なの。だって私もあなたも、魔王だって、同じ人間ですから。間違いも起こすし正しいこともする。どっちが悪いこともないし、どっちも悪くないわけでもない。私たちは、
語る生き物よ」
そう言って、美しいエルフは笑った。
「私はあなたに魔法を教えた師でもある。もちろんあなたの魔法は私の知るものではなかったけれど」
昔を思い出す。俺はこの力をうまく使えず、簡単にゲームのスキル程度に考えていた。実際の魔法は違う。簡単に出来もしなければ、安全でもない。それを扱えるようにしてくれたのはエリンだった。
「あなたと焚き火を囲んで魔法について話した日々は、私の長い長い一生の、素晴らしい思い出になった。私から、最後の授業をします」
最後だなんて言ってくれるな。久しく忘れていた、不思議な痛みに襲われる。これはなんだ。
「魔法は、言葉であり、言葉は、魔法です。私たちの口から紡がれるこの音は、誰しもが使える、最古の、そして最大の魔法。一言で人を殺せて、誰かを救える、そんな魔法。でも言葉は厄介ね。普段はその力を隠してしまって、肝心な時には力を示さないこともある。逆に、ふとした言葉が魔法となって人を襲うこともある。あなたが、魔王の最期の言葉に自分を責めているように、私もまた、あなたの何気ない一言で救われたのよ」
俺が救った?俺は世話になってばっかりだった。勇者なんて言っても役に立つのはこの力だけだ。
「旅に出て一年目の夜、あなたは私に『常に冒険する。変わらない日常にも、こう言う旅にも冒険を求めて生きる。それが俺の目標だよ』と言ったわね。私は長い歳月を歩んで、それを忘れていた。生きる楽しみを思い出した。あなたの言葉、魔法は私を救ってくれた。それを忘れないで。あなたの魔法は、生み出す魔法なのだから」
体の奥が苦しい。何かに締め付けられているようだ。目の前がチカチカする。この感じはなんだっけ。しばらく前に忘れたような、不思議な気持ちだ。
「私からの"言葉"はもう充分。まだまだお喋りしていたいけど、それは次の機会に取っておくわ。それに、こんなに綺麗な空なんだから、これ以上私から言うことはないね」
エリンが心なしか揺らいで見えた。
「次はワシがお前さんに話そう。とは言っても、ワシは気の利いたことは言えねえぞ。ドワーフってのは手先が器用な代わりに口は器用じゃねえんだ。そうだな、まあひとつ、ワシの若い頃の思い出したくねえ話をしよう。とは言っても数百年前のことだがな!」
アデルスハイトはいつも、楽しそうにしていた。最年長から来る経験か、俺たちの気持ちが落ち込んだ時には、誰よりも早くフォローしてくれるのだ。
「ドワーフってのは子沢山だ。地下生活は力仕事だし、労働力は多いに越したこたぁねぇ。そんで、部族の長も沢山の息子がいた。どの国でもかつては、兄弟同士で争って、力を示し、どんな手を使ってでも長になるために戦ったんだ。ワシの一族も例外じゃあなかった。ワシは族長の三男だったが、もちろんその争いに参加することになったんだな。思い出しても嫌な話だ。ワシの一族は特に血気盛んな奴が多かった。口を開けばやい殴り合いだ、勝負だ、敗者には死だ、って、野蛮なこと甚だしい。そんな日を送ってたある日だ、兄貴が当時勢いのあったワシに刺客を送ってきた。当然ワシは強かったんで、返り討ちにしてみれば、弟じゃねえか。弟に思い切り刀を浴びせちまったワシは、どうしようもなくその死を眺めてるしかなかった。どうにも兄貴がワシを殺せば補佐として殺さずに生かしてやると唆してたんだな」
ドワーフはものづくりを好むが、一方で交戦的でもある。話を聞くまでアデルの一族について全く知らなかった。ただ、滅んだとだけ聞いていたが、結局どんな種族でも、結局考えることは同じなのだ。
「結局ワシのところには兄弟の半分が刺客としてやってきた。全員を返り討ちにして、それからワシはどうでも良くなった。結局のところ、自分が死ななければいいってのが考えだったんだろうさ。そこで愚かなワシは、あろうことか地底の底に眠る古の怪物を呼び覚ましてしまった。一族は皆殺され、ワシも死ぬつもりだったんだ。だが、気が付けば必死で戦っていた。己の知る魔法、知恵、武器、全てを使って死ぬまいと必死になって、それで最後は、倒しちまった」
ドワーフの戦士は悲しそうにため息を溢す。
「古の怪物はワシより弱かった。あんなに絶望することはない。自分が結局一番強かったのに、その力を守ることに使わずに、怠けた挙句、潔く死ぬこともできなかったんだ。ワシはワシが嫌いだった。でも、だ」
アデルは今も笑う。かつても、今も、そしてこの先も、きっと笑っていただろう。
「今こうして生きて……いや、死んでたな! はっはっは! まあしかし、後悔はそこまでないんだ。お前さんに出会えたし、皆で旅も出来た。最後に人の役に立ったんだから。あまり背負い込みすぎるな立夏。生きるのが楽しいと、そう思える日はきっと来る。お前さんより数百年長く生きたワシが、多分お前さんより酷い過去を持つワシが言おう。立夏、未来を見て生きろ。死ぬな。命を大切にして、そして、"死"と友になってこちらに来い。ワシからの、最後の言葉だ」
アデルが揺らぐ。
何かが、内側から俺を破ろうとしている。叫びたいような、苦しいこの感情は、俺が知っているものだ。覚えがある。これはーー。
「じゃあ、アタシの番っすね」
メリアはこちらを見ない。隣に座る彼女の目に星空が映っているのがやけにはっきりと見えた。
「アタシは……あんまり頭が良くないし、経験もそんなにないからエリンとアデルみたいな話は出来ません。先輩には感謝しても仕切れないんですよ。アタシが困ってる時に、最初に手を差し伸べてくれたのは先輩だったから」
俺がこの世界に来て早々、メリアが襲われているのを見て、魔法を使って助けたのだ。今思えば無理やり作った石飛礫を飛ばして魔物を殺したのだから危険極まりない。よくぞ当たらなかったものだ。そこから少しの間王宮で働いて、先輩と呼ばれることになったのだった。
「思えば先輩もこんな所に来て不安だったのに、自分の安全より先にアタシを助けてくれて、それにその後も色々と助けてくれて……アタシは嬉しかったんすよ。獣族の平民が聖女って認定されたせいで、王宮では虐められてたアタシを助けてくれたのも先輩っす。だから、アタシはーー」
メリアが泣き顔で嬉しそうに言った。
「嬉しかったんです。優しくしてくれるし、話は面白いし、一緒にいて楽しかった。魔王を倒すのだってアタシは初めはどうでもよくて。でも先輩と一緒だったから楽しかった。嬉しかったんす。だから、アタシは……」
何が言いたそうに黙り込む。困ったようにチラとエリンとアデルを見ると、
「メリア、言葉は人を救えるのよ。あなたのしたいようにしなさい」
「そうだぞ。それを言われて嬉しいことはあっても悲しいことはないだろうさ」
2人はニヤリと笑った。
「あ、アタシは、先輩……立夏と一緒に旅ができて楽しかった! もっと沢山お話がしたい。もっと一緒にいたいっす。ずっとずっと、冒険をして楽しく暮らしたかった! でも、アタシはしばらく無理そうです。だから、立夏は死なないで、お土産話を沢山作って、聞かせてください。立夏、アタシはずっと、立夏が大好きでした。アタシに、あなたを、立夏を愛させてくれてありがとう。立夏、生きて、この世界を見て、いっぱい考えて、それから、時間を受け入れて、いつかまた会いましょう! それまでさよならは言わないでおきますね!」
3人が揺らぐ。今にも消えそうだ。いや、これは。
目の前の景色が全て、ぐにゃりと曲がった。キラキラと光ってフィルターが掛かったように見えた。
そうか。俺、泣いてるんだ。
やっと気がついて、それから一気に涙が流れた。
俺はやっぱり、この世界が好きだ。みんなが好きだ。旅ができてよかった。話ができてよかった。全部全部、いい思い出じゃないけど、だけど、この世界に来てよかった。
「またな立夏」
「またお話ししましょう」
「お土産話楽しみにしてるっす」
今度こそ、全員が揺らいで消えた。霞む視界を鮮明にすべく、手のひらで乱暴に顔を擦った。
くっそ。最後に助けられたのは俺じゃねえか。俺が生きてた意味を最後にくれたんだ。
「俺、もう少し生きてみようかなぁ」
燦然と輝く星空に、新しい星が3つ増える。どの星も、誰も見たことがないほど明るく輝いていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
3人の亡骸は穏やかな顔で横たわっている。
「ありがとう、俺は君たちに救われた。君たちは本当の勇者だ」
勇者たちに敬意を込めて、墓の仕上げにかかる。想像しうる限り最も美しい、この星空を永遠に残すようなもの。
目を閉じて、想像する。そして、現実に創造するのだ。
パキパキと音を立てて、3人を結晶が囲んでゆく。星空を映したような、青く、輝く美しい宝石。結晶は棺を囲み、ガラス細工のように美しく広がった。宝石の花が咲き、それぞれに光が灯る。
世界樹も祝福するかのように、花を咲かせた。結晶に蔦が絡み、自然と魔法の最高傑作が出来上がった。
「これこそみんなに相応しい。世界で一番美しい3人だよ」
屈んで結晶に手を翳す。さらさらと文字が刻まれて、最後にキラリと輝いた。
【アヴニールの夜】
エルフの魔導師『エリン・フォルトゥス』
ドワーフの戦士『アデルスハイト・ドゥーナ』
獣族の聖女『メリア・オーガスト』
本当の勇者に捧ぐ。
この夜を、4人で過ごした夜を永遠に残す。俺は、この先どうすればいいかわからないが、生きよう。旅をして、土産話を持っていくんだ。
それに。
俺はまだ、メリアに伝えられてないことが残ってる。
言われっぱなしじゃ終われない。今度は俺が、伝えにいく番だ。
空を伝う流星の輝きが、泣いているようにも、祝福しているようにも見える。でも今なら、後者だと、そう思うことが出来るのだ。
「本当に、綺麗な夜だ」
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