第3話『世界樹と龍』

 目を覚ました勇者は、世界樹まであともう少しというところまで来ていることに気が付いた。傾いていた日が反対側に移った。


「一晩寝てたらしいな」


 辺りは朝日に照らされて美しい光景を見せている。騎竜の背に留まっていた小鳥が勇者の身じろぎに驚いて飛び立った。


 それから魔法の騎竜はゆっくり歩みを進めて、遂には世界樹に辿り着いた。


「これは普通にすげえ」


 上が見えない。幹でさえ端から端まで見渡すのに頭を動かす必要がある。恐らく幹の中に町ひとつ入る大きさだ。足元の落ち葉は腕の長さほどもある。そして特に、枝の間を悠々と飛ぶ龍。巨大なドラゴンが小さく見えるほどの世界樹がそこにあった。


「3人が生きてる頃に来ればよかった」


 黒猫を肩に乗せた勇者は騎竜を降りて、飛行魔法を展開した。ふわりと地面を離れて、目指すは世界樹の上。体にかかる圧力を消して高速で上を目指した。


 しばらく飛んで辿り着いた中間地点、開けた場所に出た。見れば龍たちが枝ーーといっても王城の塔ほどの太さーーに寝そべっている。


 龍のうちの真っ黒な一頭がこちらを見て、来ることが分かっていたかのように指で手招きしてきた。


「来たか、人間の英雄よ」


 黒龍の声に龍たちが集まってきた。


「人間だ」

「よく辿り着いたな」

「例の英雄だ」

「ああ、そう言うことか」


 口々に話し出す龍に一瞥をくれ黙らせた黒龍は、改めて勇者を見て言った。


「ここで一番の年長は我々だ。黒龍アダルザードと名乗れば通ずるか?」


 その名は伝説に語り継がれる龍の名だった。滅びの禍を退けたとされる世界の誰もが知る、原初の存在。


「まさか、本当に……?」


 穏やかな龍が一瞬力を放つと、辺りの龍たちが騒めいた。


 確かに凄まじいオーラだ。思わず膝をつく。絶対的な存在に、敵わないと悟った。


「座るといい。ここに其方が来ることは分かっていた。人間の英雄よ、ここへは墓を造りに来たのだろう? そう、3人の英雄、エルフの魔導師エリン・フォルトゥス、ドワーフの戦士アデルスハイト・ドゥーナ、獣族の聖女メリア・オーガストを弔うために」


「その通りです」


 膨大な年月を生きる龍が、その名前を覚えているとは。たった数十年の人間が口にしなかったその名を。


「彼らは人間にとって、偉大な英雄であった。その肩書きに驕ることなく己の使命を全うしたのだから。そう、人間にとっては」


 この世界において、魔族以外の知性を持つ二足歩行の生物は殆どが人間の扱いである。エルフもドワーフも獣人も、人間の中の種族。人間の中の人族、人間の中のエルフ族と、そう決まっている。


「其方の思い浮かべたそれはとても素晴らしいことだ。数百年前は、種族ごとにそれぞれ別に戦争をしていたのだ。人間として手を取り合ったことは素晴らしい。以前の王は賢かったのだろう」


 確かに、賢王と謳われた先々代の国王は種族を統一した。それで差別が減ったのだからなるほど確かに素晴らしい功績である。


「俺も、それは思っています。ですがーー」


 そう。今の王だ。俺を魔族に嗾けた張本人。


「其方、いや、敢えて言おう、今代の勇者よ。魔族が人と同じだとは思わないか?」


 それは、それは俺が気づいてしまったことの核心だ。龍には全て見透かされている。


「魔族と呼ぶ彼らは、二足歩行で高い知能を有する。其方らよりそれぞれが強いだけで、同じ人間だとは思えないのだろうか。エルフと人ではエルフの方が何倍も生きるのと同じように、魔族と呼ぶ彼らも其方らより強いだけの生命よ」


 責めて、いるのか?


 この龍は確かに俺を責めているように聞こえる。それも無理はない、か。俺は実際に何も出来なかったんだ。勇者が聞いて呆れる。


 だけど。


 だけどたったの20だった俺に何が出来た。ぬくぬくと生きてきた20年に、この世界で役に立つことなど殆どなかった。結局地球の知識で無双だとか、そんな夢物語は通用しない。ただ女神にもらっただけの力で生きるしかなかった。人から渡された力だけしか頼れなかったんだ。


「責めているように聞こえたなら申し訳ない。いや、責めたい気持ちもある、が、それは酷なことだ。其方は確かに勇者だった。其方の心の奥、見栄や自信や傲慢さのその奥には、しっかりと人を想い人を助けようとする信念を感じたのだから。我が其方に伝えるのは、そんなことではないーー」


 龍はそう言って空を見た。龍でさえその頂を知らない空の彼方を眺めて、呟いた。


「ーー気が付けてよかったな、文月 立夏」


「お、俺は」


 気が付いている。俺がやったことを。気が付けばなんて、とっくに気が付いているから必死になってそれを隠して、俺はまだ気が付いていないから正気を保てるのだと自分を偽って。


 全部、見透かされている。


 ああ、そうか、俺は俺が許せなかったんだ。人のためと言って、この手で命を蹂躙していたことに、端から疑わずに創造を破壊に使ったことに、この世界に生きる同じ命を、人を。


 俺が殺したんだ。


「何も言うな勇者よ。人は弱い。弱いから人なのだ。己の齎す破壊に生涯気が付かない生命の何と多いことか。知性を持つと同時になぜ生命は醜くなるのか。知恵を手に入れた人間の祖先を恨むべきか、はたまた彼らのせいか。そうではない。与えられた命、その体を以ってどう生きるか、それがこの世に生を受けた生命の定めだとは思わないか」


「俺は、その醜さに気が付いて尚、それを周りのせいにして逃げていた……王が悪い周りが悪いと、自らの目で見たはずの光景を全て終わってから後悔してみせるような卑劣な人間だ! そんな俺に、そんな俺は、そのことに、俺がこの手で殺したのは種族が違うだけの人間だったってことに気が付いたのに壊れない! 人殺しになったのにも関わらず正気を保っていられるようなクズだ……そんな俺が、気が付けてよかったんですか!」


 龍は心なしか口角を上げて、それから言った。


「ああ。気が付けてよかったな。命である以上、己が一番大切なことは当たり前だ。それに其方が守った命だってあるだろう? 結局自分のしたことに対して気が付ける、そのことが大切なのだ。我も沢山の命を消してきた。しかし後悔はない。その時にはそれしか出来なかったと言うだけのこと。後悔するな勇者よ、後悔しても遅いのだから。終わったことが再び始まることはない。その時の選択をこの先も抱えて、次はどうするべきか考えよ」


 俺は、これで良いのだろうか。やってきた殺しが消えるわけじゃない。


「だからもう一度言おう勇者よ。気が付けてよかった」


 考えてもわからない。どうしたら良いかもわからない。だけど今は、龍の言っていることを考えてみる、それしか出来ない。歳をいくらか食った、未だガキのままの俺には。


 それからしばらく、俺は龍たちとノクスと、人間たちの大地を眺めた。今晩、今晩俺のこれからを考えよう。墓を作ってそれからどうしようか。


「さて勇者よ、今夜はかつてないほどの大流星群が見られることを約束しよう。友を眠らせるにはもってこいの場所がある」


 そう言ってとある枝を指し示す。そこには部屋ほどの木の洞が空いていた。


「ありがとう、黒龍アダルザード。考えてみようと思います。俺はどうするべきか。このまま生きているのか死ぬのか、色々考えます」


 荷物を持って宙に浮かぶ。俺はどうしたらいい。呵責の念は本物だろうか。アヴニール流星群に答えはあるだろうか。


 洞の中は細く陽の光が差し込んで幻想的に見える。所々から新しい芽が生え、命を体現しているような光景に息を呑んだ。俺はこれから友を弔う。この世界だけは3人を忘れないために。


「さて、始めようか」

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