第2話『殺しに行った勇者と、守ろうとした魔王』
王城に用意された部屋を抜け出して、勇者は街を歩く。日が落ちて夜が訪れ、労働者たちの束の間の休息が訪れる。そこかしこの酒場からは笑い声や歌声が溢れ、道ゆく人々は夜を満喫する。
この世界に来た時、輝いて見えたこの光景は、自分を笑っているようにしか感じなくなった。人が今こうして幸せそうに笑えるのは、俺たちの、死んだ3人の犠牲があってのことなのだ。
一番努力して身を削って他人のために戦った人間が死んで、ただ指を咥えて何もせずにいた人間が生きるこの光景こそ、不条理を体現している。
勇者は酒を買うために、酒場に足を運ぶ。アヴニール流星群の夜に飲むための、いつもは買わない高い酒。3人の墓を造って、星を眺めるのである。
王都の近隣にあるワイナリーからは新しい葡萄酒が運び込まれているが、本当にいいものは地下の酒蔵に貯蔵されている。それを取り扱う店にやってきた。
勇者だとバレたら面倒だな。
魔法で創った仮面を被り、店に入る。ありふれた酒場とは違って幾らか静かではあるが、貴族街の店ではないため静かとも言えない。
勇者は葡萄酒を一本買って、ついでに席に着いた。別段やることもない。倒してしまったのだから。
隣の客たちの会話に耳を傾けると、勇者一行の話をしていた。
「ーー俺もそう思った。どうせお前もだろ?」
「そりゃあな。俺らにとっちゃ関係ない話だよ。戦争に変わりはないが、この王都はずっと結界で守られてるし、戦いに行くのは勇者様たちだ。うちの息子は兵士だが、実戦に駆り出されたことは数えるほどしかねぇ」
「ほんとに、勇者様様だな」
「そういや1人だけしか生き延びなかったってな。3人死んで世界が平和になるならいい話だろ。しばらくの間は英雄になって語り継がれる」
「犠牲はしゃーねぇな」
思わず金属のゴブレットを握り潰す。
結局この国はこうなのだ。いや、国ではない、人ってのはこういうもんだ。誰か1人だけでも、あの3人の死を心から悔やんで欲しい。王や貴族だけではなく、民の中でも悲しんでいる者はいない。そもそも会ったことの無い人間に心から涙できるやつは限られてる。
ひしゃげたゴブレットを魔法で戻し、店を出た。
「……嫌な気分だ」
どうしようもない。あれが人間だ。ここに召喚された10年前、ただの高校生の俺は愚かにも勇者になってしまった。俺が招いた結果だ。俺が勇者にならなければ3人は死んでいない。
「試合に勝って勝負に負けるってのはこういうことか」
力だけ、それだけ手に入れて、結局何も救えちゃいない。奇しくも神に与えられたのは創造魔法。俺だけに与えられた絶対の力は、破壊ではなく創造の力だった。それなのに。
「創造は出来てもこの結果を想像出来なかったら時点で駄目だな」
自分でも呆れるつまらない洒落を、少し前までは笑ってくれる仲間がいた。
俺はどうやら、無くしちゃいけないものを無くしたらしい。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
翌日、勇者は少ない荷物をまとめて王都を出た。
「俺はどうしたらいいんだ?」
話しかけた相手は1匹の黒猫。俺が創造魔法で作り出した、唯一の生命。たった一度だけ成功した、人間がやってはいけないはずの生命創造。しかしこの猫は鳴かない。飯も食わず水も飲まない。恐らく禁じられた行為の代償だ。
全く疲れない靴だとか、聖剣を超える神剣だとか、そんなものばかり創って、結局何にもならなかった。
「お前には難しいよな。俺にだってよくわからないんだから」
気持ちいいほど晴れ渡った空の下、草原を行く。走る動物や鳥の鳴き声が平和をより一層感じさせて、なんとも言えない気持ちになった。
「いいよ。俺は言われた通りに国境を守ろう。やることもない、晴れて1人だ。昔の俺に逆戻りしただけだ」
別段仲のいい友達もいなかった高校時代となんら変わらない。場所が変わっただけ。強いて言えば両親がいないということか。
「とっくに諦めたけど、もしかして俺って昔より不幸じゃねえか」
救いもねえな。
「あの時の女神、何してっかなぁ」
俺たちが救った世界を創った女神だ。神なんてのも胡散臭い存在だ。人間じみた喋り方をする上にこんな腐った世界を作るのだから、もともと人間だったりしそうだ。
「どっちにしてももう会いたくはねえや。願わくば俺が死ぬ時に現れませんように」
死ぬ、か。
手かも知れない。
すぐ脇を騎竜が駆け抜けてゆく。
「いっそ俺も動物になりてえよ。そうだろ? ノクス」
黒猫の名前を呼んで、それから前を見る。視線の先には聳える世界樹。魔王領と王国の国境に生える木は、こんな気分ではなければきっと美しく見えた。
「あそこに造るか」
いくぞノクス。
勇者は世界樹を目指すことにした。龍が集まるその大樹なら、墓を守れると思ったのだ。
明日の流星群、あそこから見たら綺麗だろう。
脇を歩く黒猫を肩に乗せて、魔法を展開する。創造したのは、騎竜を模した乗り物。上には寝られるスペース付きだ。歩く速さを遅く設定して、上に寝そべった。
のんびり行ってもいいだろう。
勇者は眩しい空を眺めながら、世界樹を目指す。途中たまに通りかかる商人の顔を見て、気が付く。
人間の顔の見分けがつかない。全員の顔に靄がかかったように、意識に入ってこない。思い浮かぶ顔は、3人と魔王だけになっていた。
「はは、やっぱり俺はおかしいなぁ。遂には人の顔が分からなくなったわ。はは、ははは……まあでも、必要、ねえか」
なぁ魔王。お前は何を思って戦ってたんだ?
人間の国とあんたの国が戦ってたんなら、理由があるんだろ? それとも領地拡大の戦いなのかね。俺はてっきり魔族が悪いと思い込んでたよ。王に聞かされたまま、力を手に入れた自分に酔って、10年も、10年間もかけて誰かを殺しに行った。そんだけかかって殺したあんたは、予想外のセリフを吐いて死んだんだ。
祖国を守れなかった、って、まるで守るために戦っていたようなことを言うじゃねえか。
俺も仲間を守れなかった。だけど多分同じ守れなかったじゃねえよな。
考えなければこれ以上悪い気分にはならないのに、考えてしまうのが人間なのだ。
俺が殺しにいかなければ、そもそも仲間も魔王も魔族も死んでいない。
悪いのは俺だな魔王。お前はすごい。俺みたいな仲間もいないで、全員逃してたった1人で戦ったんだから。
祖国を守れなかった、ってセリフで全部納得が行った。納得したくなくてもせざるを得ない。魔王は守るために戦っていた。人に言われて殺しに行った俺とはまるで違う。人の王とも違う。
くだらない、無意味な10年だったよ。
誰かが死ぬだけの10年だった。
俺が謝るべき相手は誰もいない。全員もういないのだ。
「寝るか」
呟いた勇者の声を聞くものは、もう誰もいない。
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