第234話 紫煙を燻らせ、来る君は



「私の望んだ——別れ?」


 レッドの瞳が揺れる。それは不安か期待か。


一志かずし』が握る『鬼丸』が待ちきれないように話し出す。


『反魂玉の素材にはの、反魂香はんごんこうというものをつこうておるのじゃ』


「反魂香……」


 古来より伝えられる反魂香とは香を炊いて死んだ人の魂を呼び出す道具であるとされる。


『わしが鬼火おにびを出してやるわい。お前さんは会いたい奴のことを念じてみよ』


『鬼丸』にそう言われても、レッドは戸惑っている。本当にそんなことが出来るのか、と思っているらしい。


「そんな……人の魂を呼ぶことなど……」


 ——百年前の人を呼び出せるのか?


『俺は出来ると思う。これは人間が作ったものではない。反魂玉の力を見れば、魂くらい呼び出せるだろう』


『一志』はそう言ってポケットから一粒の反魂玉を取り出した。ユウタの残したものだ。それを手のひらに乗せ、『鬼丸』を近づけた。


『ユウタもきっとあなたがきちんとこの世を去ることを願っていると思う』


『一志』の言葉が終わると同時に、『鬼丸』がカチカチと歯を鳴らした。鋼鉄の牙が擦れ合い、紫色の火花が飛び出す。


『鬼火って、それか?』


『うるさいわい!』


 その瞬間、ガチッと大きな音がして、一際大きな火花が出る。それは反魂玉に飛び移り——ポッと宝玉が燃え出した。


 紫がかった薄い煙が立ちのぼり、柔らかな曲線を描いて広がっていく。


『彼を呼ぶといい』


 ——呼んでいいのですか?


 私のせいであたら若い命を落とすことになってしまった恋人よ。


 ここに来てくれますか?


 レッドは——かなめは祈った。


 ただひたすらにあの時の気持ちを思い出して、榑松くれまつを呼ぶ。


 あの日、あの人に会えたあの時。


 紫色の煙はやがてひとつの形を成していった。煙は渦を巻いて顔を、肩を身体を作っていく。


 要を除いては、『一志』と曲垣に見覚えのある姿——榑松孝弘だ。


「榑松さん……」


 生前の姿を作り上げた反魂香は、鬼の力でさらに鮮明な色合いを出してゆく。榑松はゆっくりと話し出した。


 ——かなめ、さん。


「榑松さん!」


 ——貴女に伝えたい、ことがあった、のに。


「榑松さん、ごめんなさい。私のせいであなたは——」


 ——そう、ではありません。貴女あなたのせいではない、です。


「私のせいです。どうぞ恨みつらみを述べてください」


 ——そんなことを言うために、戻って来たのではありません。私は待っていたのです。


「え?」


 驚き、聞き返すかなめの様子に、榑松は微笑んだ。


 ——貴女あなたとともに、生まれ変わりたくて。貴女が来るのを待っていました。


「榑松さん、私は——」


 かなめの、金色に光る獣の瞳から涙がこぼれ落ちる。かなめは言葉を切ると、『一志』に尋ねた。


「……刀のきみよ。私は、いま幸せだと感じている。私みたいな、罪を重ねた者が、幸せを感じて良いのだろうか?」


此奴こやつに聞くな。一志は真面目な子どもなんじゃ。悪事を飲み込めるほど大人じゃないわい。その子どもを依代よりしろにしとる本人ヤツが好き勝手に返事出来んじゃろ』


 少し怒ったような声だった。『鬼丸』は言いたいことを言うとムスッと黙り込んでしまった。


「ごめんなさい」と、かなめは『一志』に謝ると、そっと手を伸ばして紫の煙に触れた。白い指先が触れるところから煙は霧散して行く。


『一志』はかなめの問いにすぐには答えられなかったが、本心を言えば素直に幸せになってほしいと思う。


 彼女はレッドとして数多あまたの人を傷つけたが、彼女が化け物のようになってしまったのは元はと言えば結婚を強いた父親のせいである。


 その不幸を思えば、死の直前に死んだ恋人に出会えたことくらい許されるのではないかと考えるのだ。


 一方で、やはり彼女のしたことは許されないことであるとも思う。


 だから『一志』は答えられなかった。


 しかし高校生の一志なら、素直に口にしたかもしれない。


『幸せになっていいんだよ』と。





 つづく

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