第231話 夜空に別れのキスを


 足をもつれさせて、レッドは転がった。静かな住宅街に蒼牙そうがが道路を削る音が響き渡る。


 本気を出した『一志かずし』は護りから攻撃へと刀の振り方を変えてレッドを追い詰めたのだ。守勢に転じたレッドは連撃をさばききれず、押されていた。


 起きあがろうと顔を上げた瞬間、民家から一人の女性が出て来たので、レッドは蒼牙を瞬時に消した。


 追う側の『一志』はレッドが蒼牙を隠したことに違和感を感じて足を止める。


 距離にして車一台分、離れた所だ。


 ——まさか、一般人を盾にする気じゃないだろうな?


『一志』は身構えた。





 女性が出て来たドアから暖かなオレンジ色の灯りがこぼれて、そのシルエットを黒く浮かび上がらせる。


「……あの、今、男の子を見ませんでした?」


 その言葉に、レッドは体を震わせた。


 もはや眼中に『一志』は居ず、レッドはその女性を凝視している。


「あの、ごめんなさいね。そんなはずないわよね——ああ、あなた大丈夫? 転んだの?」


 量子りょうこは遅まきながらレッドの様子に気が付き、玄関から出て来た。彼女の足に何か小さな物が当たって、飛び跳ねたはカツンと音を立ててレッドの側に落ちた。


 ——反魂玉だ。


 レッドはそれを拾い上げると、ゆっくりと立ち上がった。


「大丈夫です。それより、お子さんがどうかされたんですか?」


「あ、いえ、なんでもないの。ちょっと……昔の幻を見たような気がして……」


 レッドは量子の言葉に真剣な顔でうなずくと、心からの気持ちを込めた言葉を述べた。


「その幻は、きっと本物です」


「え?」


 量子の引き止めるような眼差まなざしを振り切ると、レッドは悠々と『一志』の前に進んだ。それから先ほど拾った反魂玉を彼に差し出した。


『一志』はそれを受け取ると、目を閉じてため息をつく。


『……』


「行きましょう」


『……つまり、ユウタはを叶えたのだな』


「ええ」


 ——全て後手にまわってしまったな。


『一志』は先ほどまで刃を交わしていたレッドと並んで歩きながら、彼女の行動を振り返る。


 ユウタの反魂玉に鬼力きりきを入れさせ、今まで新宿から出られなかった彼を連れ出す。それから事前に聞き出していた的場まとばの家に向かう。


 ボディガードの黒木をほふり、ユウタの復讐を果たさせる。追って来た自分を足止めしてユウタを母親の元へ向かわせ、本当の心残り——最後に母に会いたいという願いを叶えて、その身体を昇華させた。


『俺のが知っているかなめさんは、こんなに食えない人ではなかったが』


「——妹の佐和さわから聞いたのでしたか?」


『そんなところだ』


「妹が知っている私は、自分から行動しないお嬢様でしたからね」


『そうは思わんが……』


「百年近く生きて——さすがに変わりました」


 レッドはくすくすと笑った。


「ああ、何年ぶりでしょう。ここ数十年、こんなに思考がクリアになる日はなかったので、素直に嬉しいです」


『俺は復讐を止められず、後悔している』


「それは私のせいにしてください。決してあなたのせいではありません」


 冬の寒さの中、夜の住宅街を歩く二人は戦ったのが嘘のように穏やかである。レッドは鼻腔をくすぐる冷たい空気を楽しむと、足を止めた。それから『一志』に向かってきっぱりと言い切った。


「私が全てを引き起こしたのです。この仮初かりそめの命で責任を取るつもりです」





 つづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る